日本も私もいったいどうなる!?今年もよろしくお願いします-胸膜中皮腫患者の前向き一辺倒-闘病記~死ぬまで元気です/65 右田孝雄

皆さん、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

今年は元旦早々に能登半島を中心とした最大震度7の大震災で甚大な被害が出ました。また次の日は羽田空港で旅客機と海上保安庁の飛行機が衝突炎上で5人の犠牲者が出た大事故がありました。多くの犠牲者の方々のご冥福をお祈りいたします。

今年の日本は一体どうなるのかと暗示しているようで新年早々怖かったですよね。ただ、私も体調はこの頃半端なく悪くなっていて、年末の診察では3人のドクターからいつ状態が悪くなってもおかしくないと言われていました。今は常時酸素ボンベを使用していて、外して少しでも動くものなら酸素飽和度は70~80台に落ち、心拍数は120以上に簡単に爆上がりします。例えば酸素ボンベのチューブを外して僅か十数歩のトイレに行くだけで酸素飽和度は70台、心拍数は130台になります。また、他の方々が寒いと言っているのに私は暑くて汗がびっしょり。なぜそうなるのか考えたら、常に走っている状態の心拍数なので身体が走っていると認識してするんですね。今までしんどいと言ってきたことは大したことないと感じます。時折、中学時代に真冬の海岸線でよくマラソンしたのですが、当時のそれがフラッシュバックしてきます。

やはりいつもの調子で活動などできることなく、病院へ行くときなどは車いすでの移動も余儀なくされました。それでも、ZOOMサロンには毎週出て、他の患者さんたちと励まし合ってます。これからはできることを選別してやっていこうと思います。

このようなことが続くといよいよ来たか!?と思いますが、とは言ってもすでに7年間も頑張って来れたんですから、正直かなり前から腹は括ってます。7年以上前に一旦は余命2年と言われて、落胆しました。それでもそこから奮起して、くりちゃんと出会って、多くの中皮腫患者さんやご家族、支援者の方々と出会って励まされてここまでやってくることができました。また、色々な治療を受けながら、中皮腫の治療を知るために学会に行って、多くのドクターと知り合うことでセミナーや市民公開講座なども開催することもできました。

本当に関わって下さった皆様に感謝しかないです。でもこんなこと書いたらもう死ぬんじゃないかと思うかもしれませんが、心臓への負担を考えると、元気なうちに皆様にお礼申し上げたいと思います。皆様に感謝せず、逝くことほどの後悔はありません。だから、次お会いしたら、「まだ生きてるやん」と笑って許してください。

そしてこれからも中皮腫サポートキャラバン隊へのご支援よろしくお願いいたします。私も「死ぬまで元気です」から。

関西労災職業病2024年1月550号

悪性胸膜中皮腫と言われてどこまで生きれるかやってみよう!とおかげさまで5年経過達成しました~平成28年7月突然の「悪性胸膜中皮腫」確定診断。その後「中皮腫サポートキャラバン隊」中心に全国行脚を展開しながら治療を続けてきました。これからは目指すべきものの達成に向けて鋭意活動中です。(右田孝雄氏のブログ)

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