中皮腫死亡の電気工、労災認定なるも給付基礎日額問題が発生/大阪南

機関誌2023年7月号掲載の「時効寸前の労災遺族補償請求、中皮腫の電気工」の続編となる。

昨年4月20日に大阪南労働基準監督署に遺族補償年金を請求したところまで報告した。

同年9月に、無事に遺族補償年金の支給が決定された。10月に安全センター事務所に於いて、配偶者に建設アスベスト給付金請求のため開示請求を行うにあたって、書類等の作成と説明を行った。その後、遺族補償年金の給付日額を見るとあまりに低額なことに気がついた。不信に思って事務局の片岡に相談すると、「電気工であって従事歴も長いのにこんな低額な給付日額はおかしい」となり、決定を下した大阪南労働基準監督署に説明を求めるため、10月31日にアポイントを取った。

10月31日、大阪南労働基準監督署の担当官と労災課長、副署長の説明では、被災者が勤務していた会社へ給与関係が立証できる資料の提出を求めたが、処分したのか無かったため、配偶者に連絡を取り、社会保険の標準報酬月額の開示の許可を得て、その額に基づいて算出しようとした。しかし、あまりに低額なため、労災保険の最低賃金を基準として算出し決定した、とのことであった。

大阪南労働基準監督署が社会保険の標準報酬月額の開示を求めた際、その標準月額の低額な金額について不信に思わなかったのかという点を指摘すると、「手順通り行った。不服であるなら審査請求を行ってくれ」との対応で、それ以上の回答を得ることができなかった。大阪南労働基準監督署の怠慢と言える対応に唖然とするばかりであった。

11月14日配偶者に事務所へ来てもらい、大阪南労働基準監督署の対応を報告し、審査請求を行うことに同意をもらった。また、当時の報酬を証明するにあたり、同僚等を紹介してもらった。元同僚には事前に電話を入れ、簡単に状況の説明を行って了解をとり、12月1日にお会いすることとなった。

12月1日、同僚の方の自宅を訪ね、経歴を伺うと、被災者とはほぼ同じ時期にN電設工業(株)に入社しており、約42年の勤続年数があった。また、両名は離職した時期も同じで、平成21年に退職し両名とも独立していた。

平成21年、離職寸前の賃金を伺うと、日給15,000円、月額375,000円ぐらいはあった。元同僚は、被災者の給与はこんな低額ではなかった、最低でも日額10,000円以上はあったと思うと言い、この社会保険の標準報酬月額は何かの間違いだろうとも指摘した。

また後日、この方と電話で話していた中で、離職する数年前、社長より「会社経営がしんどいので社会保険をやめて、国民健康保険及び国民年金に切り替える」と言われ、雇われている側として断ることもできず了解した、との話も伺った。

それらの証言をもとに同僚の証言書を作成し、大阪労働局に提出する予定である。

その後も片岡と社会保険の標準報酬月額がなぜ59,000円なのか、なにを根拠としたのか疑問に思っていると、たまたま社会保険の掛け金一覧表を見て、掛け金の最低のランクが59,000円であることに気づいた。会社は経費節減の為、虚偽の申告をしていたのであった。

次回の報告へと続く。(事務局 林繁行)