みず薬を詰まらせ窒息しかけて救急入院-胸膜中皮腫患者の前向き一辺倒-闘病記~死ぬまで元気です/66 右田孝雄
皆さん、こんにちは。今年は正月から大変なことだらけやと思っていたら、自分自身にとんでもないことが降りかかってしまい、多くの方々にご迷惑をお掛けしました。
そのとんでもないことが起こったのは、年明け新薬の投与で入院し、退院後に、家族で小旅行をして帰ってきた矢先でした。
1月15日の午前7時前のことでした。起床すぐに朝の飲み薬を飲もうと寝ながら薬を口に入れました。その途端、薬でむせてしまい咳き込んでしまいました。そこからが地獄の始まりで、私は咳き込むばかりでどんどん自力で呼吸ができなくなりました。目の前にいた親父に「助けて。救急車」と必死でお願いするのが精一杯でした。
それを察した親父も大慌てで、パニックとなり妹に電話するのが精一杯でした。電話を受けた妹が気付いて救急車を呼んでくれました。もうその間は苦しくて苦しくて、救急車が来て病院に運び込まれるまでは窒息して何度か意識が飛んでいたようです。
あの世に行ったら、お花畑や川が見えると聞きますが、私はそのようなものは見えず、真っ暗闇の中に黒い横に長い棒があって、その棒が呼吸とともに伸びたり縮んだりしてました。「ああ、この棒がパチンと弾けたら私はあの世へ行くんだ」と思いましたね。
ただこの時でも呼吸は自力なんでしょうが必死なんです。ただ海の中でもがき苦しむような感じで。横で看護師さんが「ゆっくり吐いて、ゆっくり吸って」と優しく介抱してくれていた声を思い出します。
救急措置室から運ばれたのはICUでした。真っ白で明るくて初めて入る部屋で、入れ替わり立ち代わり看護師さんとドクターが入ってきて検査をしたり、様子を見たり。ところが、途中で入ってきた若い看護師さん、一生懸命なのはいいのですが、私が床ずれしないかと右へ左へ動かすんです。それが災いして、せっかく落ち着いていた呼吸が乱れだし、またも呼吸困難に陥りました。別の看護師さんが気付いて慌てて来て助けてくれたのを覚えています。その後もう一日、ICUで過ごし、一般病棟に戻れました。
その後は順調に回復に向かい、どうにか1月26日に退院することができました。退院してからは紆余曲折しながらも元気に過ごさせていただいてます。
一度なくしかけた命だと思ったら、怖いものがたいていなくなったので、本当に「死ぬまで元気です」を地で行けそうです。
ただ、酸素と車椅子なしでは動けないのがつらいですね。
関西労災職業病2024年2月551号