ヤマンさんの受難●愛知

ヤマンさんは2019年3月に外国人技能実習生として来日し、残業が少ないことを理由に2021年2月に事業所から逃亡して不法就労を続けていた。不法就労はヤマンさんにとってハイリスクの選択だったにもかかわらず、まったく利益がないと言ってよいほどハズレの毎日だった。

帰国も視野に入れていた2023年1月、正式な在留資格で働いている友人に、あるブローカーを紹介してもらう。雇用契約書はブローカー宅に置きっぱなしになっていて手元にないが、就労開始時には時給1100円、2か月目は1130円、3か月目に1150円、4か月以降は1180円となると説明を受けた。

ヤマンさんはブローカー宅の一部屋を借り、歩いて約2分にある工場に派遣されることになった。会社名は覚えていない。覚えているのは外国人労働者が多い事業所で、何人かのブラジル人と、ベトナムから来た多くの外国人技能実習生、さらに多くの不法就労者が混在していたということ。同国出身の不法就労者はヤマンさんのほかにすでに4名が働いており、すべて同じブローカーから派遣されていた。ヤマンさんの仕事は、派遣先のこの工場で木材に釘を打ったり、パレットを積む作業だった。

今回は順調に金を稼げるのではないか、とヤマンさんも安心したが、働き始めて3日後にボール盤に手を巻き込まれて負傷する。この日、ボール盤係のブラジル人従業員が、前日に職長と喧嘩したことが原因で出社しなかった。このため、派遣先の社長からボール盤作業を命じられたのである。午前中は問題なく作業を行っていたが、昼食後の午後1時頃、作業を再開して間もなく事故に遭う。軍手を着用したままボール盤作業をしていたため、手袋の布地が巻き込まれ、ドリルの回転に合わせて右手が引っ張られてしまったのである。

重傷を負って血まみれになったヤマンさんを救助したのは、同じく不法就労中の同僚たちであった。しかし、負傷した指は落ちかけて血が止まらないものだから、このまま放っておくわけにはいかない。不法就労仲間に付き添われてヤマンさんはブローカーの家に向かった。

ブローカーもさすがに慌てて、すぐに大病院に搬送した。そこで手術を受け、2週間程度の入院加療が必要と診断されたが、入院5日目に病院から保険について尋ねられたヤマンさんはパニックに陥った。在留カードは偽造しているが、健康保険証の偽造まではしていない。また、仮に保険証を持っていたとしても、自己負担分すら負担できない身の上である。ブローカーに相談したところ、「明日の10時、帽子とマスクを着けて病院の玄関まで来い」と指示を受け、言われるがままブローカーの手引きで病院を脱走する羽目になった。その日のうちに警察がブローカー宅を訪ねてきたが、ヤマンさんは保護を求めるどころかかえって隠れてしまう。当時のことを振り返り、自分でも何をやっているのかわからなかった、とは、現在のヤマンさんの言である。

病院にもいかず、治療も受けず、しばらくするとヤマンさんの負傷部位は悪臭を放ち、色も黒ずんできた。「どうしよう」と、ここに至ってブローカー宅から逃げ出し、相談に来たことから事故が明らかになった。負傷したヤマンさんの指は切断の一歩手前だったが、なんとか形は保つことができる状態である。しかし、一安心したのちに気になってくるものは療養費である。今後も治療は継続する必要があるし、後遺障害も残るに違いない。労災保険を用いて療養を継続するべきだが、はたして事業主証明を得られるだろうか。調べてみると事業所は法人格もある人材派遣会社で、不法就労者だけを専門に取り扱っているわけではない。しかし、ヤマンさんは働いて3日目、まだ一度も賃金も受け取っておらず、給与明細はない。雇用契約書も先に述べたようにブローカー宅に置きっぱなしである。事業主証明を受けようとしても「そんな奴は知らん」と突っ撥ねかねられない。

となると頼れるものは不法就労仲間の証言であるが、これも過大な期待はできない。下手に協力して行政機関に赴いて、捕まってしまっては元も子もないからである。たまたまヤマンさんの救護をした二名の同僚が、自分たちが証言する、と言ってくれたので、陳述書を作成して監督署に提出することができたが、さすがに出頭までは付き合ってもらえないだろう。

当のヤマンさんは療養終了後に障害補償給付請求を行って帰国、業務上外の決定を一日千秋の思いで待つばかりである。

関西労災職業病2023年9月547号