天明佳臣先生(神奈川労災職業病センター所長)を偲ぶ

在りし日の天明佳臣先生(右) 2005年2月はつり親方の故・新垣重雄氏(沖縄県粟国島出身)と大阪市立豊崎本庄小学校ソテツ前で記念撮影

昨年11月12日、横浜港の波止場会館で天明佳臣先生を偲ぶ会が開かれ、当センターより田島事務局長と片岡が出席した。波止場会館は天明先生とも縁の深い全港湾が闘いによってかちとった施設である。

天明先生は1932年東京生まれ。

医学部卒業後、東京で外科研修、農村医学の研究を経て1971年から間にチェコ、イギリス留学をはさんで山形県の2つの自治体病院に勤務したのち、1979年神奈川県勤労者医療生活協同組合設立と同時に開設された港町診療所の所長となった。

以後、出稼労働者の健康管理、労働現場の労働安全衛生、アスベスト、外国人労働者などの問題に取り組み続けた。現場から、仲間とともに、対策と予防を重視して、熱く語る天明先生だった。

「明日死ぬかのように生きよ(Live as if you were to die tomorrow)、永遠に生きるかのように学べ(learn as if you were to live forever.)。」

昨年5月30日に亡くなられた天明佳臣先生の書斎にガムテープで貼られていたメモ用紙に書かれていたと、偲ぶ会最後の謝辞で「まさに偉大な父でした」と話されたご長男の晃太郎さんが教えてくれた。

なるほど、天明先生の生き様はそれであったかと妙に合点がいった。

会のはじめは、在りし日の先生の姿がスクリーンに映写された。神奈川の写真家・今井明さんがこの日のために制作した。出稼労働者健診、外国人労働者に医療を提供する「みなとまち健康互助会」(MF-MASH)、世界アスベスト東京大会…と元気でにこやかなで真剣な先生の若い頃から齢を重ねた最近の姿はどれも胸を打つ。

沢田貴志・港町診療所長が「それぞれの場で先生の仕事を引き継いでいる私たちお互いが知り合う場として偲ぶ会があればいいと思います」と会をスタートさせ、先生と活動をともにした方々がつぎつぎと亡き先生との思い出を語った。

平野敏夫・亀戸ひまわり診療所理事長は、港町診療所の最初や出稼ぎ労働者の健康問題、なかんずく「出稼ぎ健康管理ネットワーク」の活動をまとめた本の原稿が遺稿となってしまったけど、出版が今日に間に合った、先生の取り組みの100%がこの本にある、また、川崎市の給食や横浜の食肉公社などで産業医としての活動に力を注がれた、労働者全に健康に働ける職場をつくっていこうという天明さんの意志を引き継いでいきたいと話した。

古谷杉郎・全国安全センター事務局長は、1978年に神奈川労災職業病センターに入職したので1979年開設の港町診療所の天明先生とはそのときからのつきあいだけど、この日はアスベスト問題における天明先生のことに絞って話された。先生はアジアの草の根の労災職業病・安全衛生運動交流の初期、1986年から深く関わってこられた。アスベスト問題には1982年の横須賀の造船退職者自主健診を皮切りに、日本のアスベスト運動の大きな転換点となった第2回世界アスベスト会議(東京)の組織委員長を務め、クボタショックを経ながらアジア、世界のアスベスト運動の発展に力を尽くされたのだった。

神奈川での天明先生の同志である斎藤竜太・十条通り医院院長は、ともにとりくんだ港湾病のことをはじめさまざまな想い出を話され、朗々たる追悼の歌で締めくくった。

このほか移住労働者と連帯する全国ネットワーク事務局長の山岸素子さん、学生時代からの天明先生の親友・小木和孝さん、全統一労働組合の鳥井一平さん、韓国からかけつけたヤン・ギルソン医師、秋田から来られた出稼ぎ労働者支援関係者、全港湾委員長の鈴木誠一さんがそれぞれ想いを語った。

2003年10月沖縄職業病相談会@那覇市

かつて沖縄から大阪に出稼ぎにきて斫り(はつり)労働者として働いた人たちの多くが重症じん肺を発症した件に当センターが本格的に取り組むようになったのが2000年前後からだが、その人達の出身地である沖縄県の那覇市と粟国島で相談会をすることになった2003年10月、天明先生はこれに積極的にというか、ご自身の課題という感じで参加された(このとき一緒に相談会をおこなった白石昭夫・愛媛労働安全衛生センター事務局長も偲ぶ会に参加した)。その後、クボタショックがおきたのは2005年6月末だったが、その年の2月、大阪市北区にあった斫り親方故・新垣重雄さんの事務所でも10数人のはつりじん肺患者の聴き取り調査をされた。そういったことを偲ぶ会で話させていただいた。

2005年2月はつりじん肺調査@新垣組事務所

「天明と斎藤竜太医師は奈良県立医大の車谷典男教授らと、2000年代の初めに沖縄から大阪に「はつり工」として出稼ぎしてきた労働者の胸部X線を読影し、粒状影累々の典型的なけい肺患者とともに不整形陰影を主とするアスベスト肺患者を見つけていました(第10回国際職業性呼吸器疾患会議、於北京、2005年4月19~22日で発表)。」

先生の遺著となった「出稼ぎと医療~「出稼者健康管理ネットーワーク」(一葉社)の『アスベスト関連疾患を発生する危険がある多彩な職種』の一節である。

天明佳臣先生は関西労働者安全センターの大切な恩人であった。

関西労災職業病2023年2月540号

出稼ぎ者の「赤ひげ」逝く 健診を24年続け…天明佳臣さんの信念 毎日新聞 2022/10/1