辺野古からの通信ー1【新連載】/宮崎史朗(全港湾建設支部)
辺野古新基地(V字型滑走路)反対闘争が始って10年目を迎えました。キャンプシュワブゲート前の座り込みも3358日(9月15日現在)を迎えました。
長くつづく闘いではありますが、しかし、1995年の少女暴行事件を契機とした県民大会に始る反米軍闘争は、普天間基地撤去合意後の県内たらい回し、名護市民投票、辺野古沖案へのおじぃ、おばぁやカヌーを軸とした阻止闘争、「命を守る会」から辺野古漁港横のテント村(現在、浜のテントと呼んでいます)8年+7090日の闘いとして、現在に続いています。
50年近く前、F工業職員労働組合大阪支部の役員だったころ、関西労働者安全センターの事務局Mさんから、本誌の第三種郵便取得に協力して欲しいとの依頼があり、職場の先輩であるNさんと相談してお手伝いした記憶があります。本誌の第三種郵便認可は1975年10月とありますから、それ以前の話です。以来、双方に長く続くそれぞれの闘いがあるわけで、辺野古の闘いにも長く続く沖縄の闘いが底流に流れていることを意識し理解を深めていくことが必要だろうと思っています。
今、辺野古の闘いは、一つの転機(とは言ってもかなり大きなものですが)を迎えています。ご存知のとおり、9月4日最高裁は、沖縄県知事の変更申請「不承認」を取消した国交相の裁決を支持したばかりか、同知事に「変更申請」を承認せよとの「指示」を認める判決をしました。罰金も期限もありませんが、沖縄県知事には判決に従う「義務」があると言われています。知事が ①変更申請を別件で再度不承認する ②判決に従わず承認しない ③判決に従い「承認」する のいずれを採るのか、座り込み現場を含め注視しています。
県庁前では連日のように市民団体による、「デニー知事支援」「不承認支持」の集会が開かれています。「オール沖縄会議」も判決翌日、不当判決を糾弾し、知事の不承認を支持する集会を持ちました。
最高裁判決は、知事の判断について、担当大臣(国)が裁決をしたら自治体はその裁決に従わなければならないというもので、司法権、地方自治を全く放棄したものと言われています。軟弱地盤90mの地盤改良工事が本当に安全なものとしてできるのか、その工事過程で、ホープスポットに認定された大浦湾の生物多様性は維持できるのかなどなど様々な沖縄県知事の訴えについて、司法はついに何も判断しませんでした。
座り込みに度々見えている東京のU弁護士は、判決後のメールで、(最高裁判事は)憲法に殉じたか、法に殉じたか、と問うておられました。
最高裁判決に関わらず、辺野古新基地阻止の闘いは沖縄県知事を巻き込んで力強く闘われるという思いを強くしている昨今です。 (9月17日記)
宮崎史朗:全港湾建設支部 辺野古基地反対闘争支援で沖縄滞在中
関西労災職業病2023年9月547号
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