楽しく好きなことを-胸膜中皮腫患者の前向き一辺倒-闘病記~死ぬまで元気です/56 右田孝雄
皆さん、こんにちは。お元気ですか?
私は少し前まで元気ではなかったのですがお許しください。実は、3月8日に大好きだった母が逝去したのでした。数年前から不整脈と糖尿病を患い、私と同様に病院通いをしていました。その上、一昨年には肝臓にがんが見つかり、肝硬変にもなっていることが判明しました。医師は、抗がん剤治療を勧めたので母もそれに従いました。ところが一度抗がん剤をしたところで、母が自ら「しんどいから抗がん剤止める」と言いました。この時は、妹と私、親父でどうするか相談し、もう80歳ですし、もう母につらいことをするのは止めて、好きなことをしてもらおうと腹を括りました。
母は40歳を超えた頃に脳の腫瘍を摘出する手術を受け、60歳の頃には交通事故に遭って両足骨折するなどつらい思いをたくさんしてきたので、これ以上つらい思いをさせるのはかわいそうだというのが、家族の総意でした。
それからはなるべく母のやりたいことをさせてあげようと、私も妹も出かける時は母に声を掛けて連れて行ったりしました。昨年の9月には北海道へ両親と子供たちと妹を連れて行きました。この頃母はほぼ車いすでの移動でしたので、温泉に入るのも介助が必要で、子供たちと妹にも来てもらいました。
夜中に札幌市のすすきのでラーメンを食べようと、妹と娘と行こうとしたら母が「私も行く」と言うので、車いすを押しながらラーメン屋を探したのを思い出します。あの時は行くところ全て長蛇の列ができていて、ようやくたどり着いた札幌新ラーメン横丁の「つばさ」のラーメンを母も美味しく食べていたのが忘れられません。
年明けには和歌山の那智勝浦温泉にも連れて行きました。たまたま宿泊したホテルが昭和天皇も泊まられた由緒ある老舗のホテルと聞いて母も喜んでいました。この後から母は急激に様態を悪くして入退院を繰り返しました。
実は北海道から帰って来た時に次は家族全員で沖縄に行こうと計画し、その頃から飛行機やホテルを予約し、準備をしていました。母は家族で沖縄に行くことを本当に楽しみにしていて、年末から「沖縄いつやった?」とよく聞くようになっていました。ところが、沖縄へ行く日が近付くにつれて母の様態がどんどん悪くなり、一時は医師から沖縄行きは無理かもしれないと告げられました。母の思いを考えたらどうしても沖縄に連れて行きたかったので、医師に「沖縄行きは母も私たちもどうしても行きたいので、どうか沖縄だけには行かせてくれるようにお願いします」と切実にお願いしました。すると、医師も私たちの思いを汲み取って下さり、旅行の三日前には意識もしっかりとして退院してきました。母を連れての沖縄旅行は叶いました。
沖縄では、琉球ガラス工芸で自分のグラスを作ったり、美ら海水族館で楽しんだり、大好きな果物やステーキを堪能してくれました。
この旅行は母のためだけではなく、私たち家族にとっても母との最後の大切な思い出になりました。
悔いがあるかと言われたら、あると答えますが、母との時間をこれだけ一緒に楽しんだので、ほとんど悔いは残さず看取ることができました。
私は、相談に来られた患者さんのご家族に「治療も大切ですが、元気なうちに楽しいこと、やりたいことをしてはどうですか」とよく伝えていますが、自分が実践できたことで、これは本当に大切なことだと益々強く思いました。
皆さん、私は死ぬまで元気でいれるように楽しいことをたくさんしようと思っています。
関西労災職業病2023年3月541号