名村造船所マンガン中毒労災認定闘いの記録ー02.労災闘争は分会闘争を鍛える/山本敬一
労災闘争は分会闘争を鍛える
全港湾関西地方本部 執行委員長 山本敬一
建設支部名村分会のY君の、マンガン中毒の認定闘争は、79年5月21日労災認定申請以来、実に、2年3ケ月の闘いの結果、ついに勝利をかちとった。名村分会は所謂、70年代石油ショック後半の造船大合理化、10万人首切り大嵐の中で、77年12月1日名村造船資本の下請労働者十余名で結成した分会である。Y君は、雇用を守る反合闘争の中で、名村資本の本工労働者の中から分会に参加した同志であったことに特徴がある。
所謂の阿倍野基準監督署は勿論、大阪労働基準局と一致して、造船現場でのマンガン中基毒は例のないこととして、名村資本の主張を容れて認定をしぶったことは言う迄もない。
資本にとっては背後の全港湾は恐るべき「牙」とみたことは皆無である。これを突き破ったのは、労働者の闘いと優れて先進的な医療技術団・松浦診療所と関西労働者安全センターの指導によるものであった。この職場闘争の背後の力が「不当解雇三週年糾弾」の分会の長期不屈の闘いを持続させているエネルギーなのである。
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