名村造船所マンガン中毒労災認定闘いの記録ー01.発刊にあたって

Y氏のマンガン中毒労災認定が、2年3カ月の長期闘争の末、ついにかちとることができました。

全国ではじめての溶接作業関連作業者のマンガン中毒の申請ということでもあり、造船工業会の圧力と、それを気使う労働行政のカベをつき破ることができましたのは、ひとえに御指導・御支援いただいた仲間の皆さんの力と、心より感謝申し上げるものです。

わが名村分会は、造船「不況」合理化の只中、77年12月1日分会結成、翌78年1月25日には、10名全員解雇をうけ、以来解雇撤回闘争を継続しているものです。その中でK分会員の「脳血栓(77年12月発症)」労災認定闘争に勝利し、そのことが名村の構内の仲間に、労働者の権利と、生命と健康を真に守るのは御用組合、造船重機ではなく、我々であることを指し示したことが、Y氏の名村分会への結集の大きな力となったことと思います。

この「マンガン中毒」労災認定闘争は、全くの「暗中模索」、とにかくやれるところまで、精一杯やってみようというところから出発しました。しかし、調査を進めれば進めるほど、「労災だ」という確信が深まり、名村の不当な対応への怒りは、ますます強まり、認定闘争の勝利は分会にとっても、名村との闘いの自信と確信を一層強めることとなりました。

また、認定をかちとって以降、2年3カ月の休業補償の問題について、「実損回復」を求めて現在、労基署、名村との交渉を続けているところであり、今後もいくつもの課題が待ちうけておりますが、一刻も早く認定闘争の報告集を発行することが、我々の責務であると考えたところです。

最後に、本労災認定闘争に、日夜を分かたぬ御指導・御協力いただいた、南労会松浦診療所の松浦良和医師、健診部の方々、関西労働者安全センター、労災職業病と闘う関西研究者交流会の品川興造先生他の皆さん、大阪総評労災職業病対策委、および、全港湾関西地本労災職業病対策委、建設支部治水・中央ENG分会はじめ、各分会の方々に、心からお礼を申し上げます。

この報告集が、多くのかくれたマンガン中毒被災者の発掘一労災認定と、働く仲間の生命と健康を守るための武器として、活用されることを期待しつつ、発刊のあいさつといたします。

1981年11月

全日本港湾労働組合関西地方建設支部名村分会