名村造船所マンガン中毒労災認定闘いの記録ー16. 報告書・ソビエト連邦におけるマンガン中毒(1)ー発生状況、予防と研究ー/松藤元

ソビエト連邦におけるマンガン中毒(1)-発生状況、予防と研究-

松藤 元

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ソビエト連邦のマンガン鉱石埋蔵量は世界第一で、全世界の約3分の1を占めている。またマンガン鉱石の年生産額はこれも全世界のほぼ3分の1で、世界第一位である。その産地は後コーサカス、ウクライナ、ウラル、西シベリアなどの地方にあり、後に出てくる後コーカサスのチアツラ鉱山は、ソビエト連邦におけるマンガン生産額の3分の2ほどを産出して、世界第一の大マンガン鉱山である。

これらの産地から採堀されたマンガン鉱石のうち90~95%は冶金用に使われ、その他はガラス、陶磁器、塗料、電気などの工業で使われるし、電気溶接用の電極の被覆材にも入れられている。したがってこれらの作業者のあいだにマンガン中毒が発生していることは推定できる。

ソビエト連邦ではマンガン中毒に関する研究論文が、今日までに少なくとも80は発表されているが、入手できないものが多く、現在日本で読むことができるのは、20以下であろう。またマンガン中毒に関する単行本はこれまでに4冊みつかっている。それらはマンガン中毒につき総説的に述べたものではない。入手することができた「マンガン中毒における中枢神経系の変化」(A.F.Makarchenko、1956)と「動物の中枢神経系に及ぼすマンガンの作用のしくみ」(L.I.Kotliarevskii、1961)の2冊、それと「慢性マンガン中毒における心臓血管系の状態」(N.A.Semenovskaja、1969)、「フェロアロイ工場における労働衛生と職業病の予防」(1973)がそれで、最後のものは多くの研究者の論文集らしい。これらの論文と本を読んで、マンガン中毒についてソビエト連邦では、どんな研究が行われているかを、あらまし知ることができた。

また4巻よりなる「労働保護便覧」(Iu.G.Panovら編集、1973~1975)「労働衛生・産業衛生施設に関する最も重要なる公文書集」第1巻(L.V.Ianin編集1962)、「職業病における労働能力の鑑定」(K.P.Molokanovら編集、1968)、「職業病」(A.A.Letavetら編集、1964)、「職業病」(E.M.Tare-evら編集、1976)などの本を読み、ソビエト連邦でマンガン中毒の予防について、どんなことが実施されているかを知ることができた。

今日の日本ではソビエト連邦の文献を入手するのはむずかしいし、またほとんど紹介されていないから、マンガン中毒に関する研究中毒の発生状況、予防について述べることはこの問題に関心をもつ人には参考になることと思われる。

1. マンガン中毒が発生した作業とその発生状況

最初マンガン中毒の発生が問題となったは、粉末状のマンガンが出る作業場であったが、その後はマンガン鋼の冶金、鋳物、電気溶接などの作業場で、マンガン中毒が研究されるようになった。マンガン鉱山(A.K.Rykadze、1933:P.M.Saradzhishvili、1948;L.N.Gratianskaja、1957;A.A.K-havtasi、1958;M.N.Ryzhkova1959)、乾電池製造(V.S.Surat、1934~1936;M.N.Shishkina、1935)、製鋼(S.V.Millerら、1950;A.F.Makarchenko、1956)、電気溶接(P.D.Makulovaら、1951;A.F.Makarchenko、1956;Kh.A.Eiso、1966;V.M.Baranovaら1976;A.A.Platonov、1976)などがマンガン中毒発生の研究対象となったものである。この点は外の国と違いはないが、電気溶接におけるマンガン中毒の研究が多いように思われる。ソビエト連邦ではすでに1954年にIu.V.Vasilenkoが電気溶接においてマンガン中毒を見出していて、L.N.Gratsianskaja(1957)によれば、諸外国において電気溶接工のマンガン中毒があまり報告されないのは、古典的なマンガン中毒が少ないからである。この点については、鑑別診断の項で述べることにする。

資料の数は少ないが、これらの作業場でどの程度マンガン中毒が発生しているかを次に述べてみる。

Kh.A.Eiso(1966)はマンガン中毒の第1~2期16、第2期8、第3期2名、その他計32名の造船溶接工を調べている。V.M.Baranovaら(1976)は造船溶接工236名を検査し、マンガン中毒の発生率が2.5±1.0%であったと述べ、L.N.Gratsianskaja(1957)も溶接工を調べて、1.3%においてマンガン中毒を見出している。

M.N.Ryzhkova(1959)は1952~1957年のあいだに電気溶接工550名と、マンガン鉱山の労働者200名を診察し、マンガン中毒の第1期46、第2期15、第3期20名を確認している。電気溶接棒の製造労働者では、重症のマンガン中毒が多く、中毒発症までの期間が短く、数ヵ月から2~5年だという。

A.K.Rukhadze(1933)、P.M.Saradzhishvili(1948)は、チアツラ鉱山の労働者を検査し、マンガン中毒を見出さなかったが、A.A.Khavtasi(1958)は1955~1956年のあいだに同じ鉱山の労働者972名を調べ、パーキンソン症候群のあるマンガン中毒患者3名を発見した。L・N・Gratsianskaja(1957)は200名のチアツラ鉱山労働者を診察し、6名の慢性マンガン中毒の患者とその疑い15名をみつけているし、クラスノヤルスク地方のマンガン鉱山労働者110名の中に、同じくらいの発生率でマンガン中毒が発生していたと報じている。

被検者の選び方、マンガン中毒の診断基準などは、これらのどの論文にも詳しく述べられていないから、他の資料との比較はできないと思われる。

2. マンガン作業場の空気中マンガン濃度

ソビエト連邦では作業場の空気中におけるマンガン許容濃度は、1971年の規則(産業企業の設計の衛生基準、SN245~71、付録第4表)で0.3mg/m3と定められ、西欧諸国の値(2.5~5mg/m3)とのあいだには大きな違いがある。それゆえソビエト連邦のマンガン取り扱い作業の現場で、空気中のマンガン濃度がどの程度であるかは、関係者の知りたいところであろう。

チアツラ鉱山における空気中のマンガン濃度は、V.A.Khututija(1964)の数字では、0.3~1.5mg/m3、V.P.Saakadze(1973)の論文では、許容濃度の2~3倍となっているし、M.N.Ryzhkova(1975)の述べていのでは、マンガン鉱石の粉砕と篩いの時、空気中の酸化マンガンの濃度は、許容濃度以上である。

電気溶接作業の時の空気中マンガン濃度については、3つの資料がある。E.I.Vorontsova(1949)のデータによると、換気のよくない場所では、溶接工の呼吸帯におけるマンガンの濃度は、0.53~1.53mg/m3であった。Kh.A.Eiso(1966)は許容濃度の6倍以上のマンガン量を、溶接作業者の作業個所で検出し、V.M.Baranovaら(1976)の測定値は、21.8mg/m3にも達した。

ここで、Kh.A.Eiso(1966)の論文から、ソビエト連邦で用いられている溶接棒のマンガン量を引用してみる。
UONI-13-48には2~7%のフェロマンガン、OMM-5には20%のフェロマンガンと21%のマンガン鉱石、TsM-7には30%のフェロマンガンが含まれ、45-A、55-AおよびフラックスOSTs-45は45%のマンガンを含んでいるということである。

A.F.Makarchenko(1956)は製鋼工場における測定結果を述べている。1940年代には、製鋼作業者の呼吸帯における最高のマンガン濃度は、許容濃度の11倍、クレーンではその20~28倍であった。その後鋼溶解の時の測定15回中その濃度の最低は0.068、最高は0.77mg/m3、許容濃度以上が2回であった。別の測定では、その最低は痕跡、最高は2.5mg/m3であった。また、V.R.Saakadze(1977)の論文には、フェロアロイ工場の空気中におけるマンガン濃度は高いが、チアツラ鉱山ではそれが低いと記述されている。

これらの数値を見ると、マンガン中毒が発生している作業場では、空気中のマンガン濃度はかなり高いことがあり、許容濃度の0.3mg/m3という数字は必ずしも厳重に守られているのではなくて、努力目標のように思われる。しかし先に述べた規則SN245~71の第10節「作業個所の空気中における有害物質の許容濃度」の10.1項には、空気中の有害物の濃度は許容濃度を越してはならないと記され、10.3項には、許容濃度は最高1回値、つまり天井値であると述べられている。また1960年1月8日付の「電気溶接労働における安全と工場衛生の規則」第146条には、溶接職場の換気をよくして、空気中のマンガン化合物の濃度を0.3mg/m3以上にしないようにと定められている。しかしこの許容濃度は努力目標と考えてよいと思われる。

3. マンガン中毒が発生するまでの作業年数

A.F.Makarchenko(1956)の本には、1949年から1953年までに、ウクライナ労働衛生職業病研究所で検診を受けた、製鋼工場のマンガン中毒の患者57名の症状が記されている。そのうち典型的なパーキンソン症候群などのある重い中毒が16例、軽度のものが41例となっている。S.L.Levinら(1956)はパーキンソン症候群のある溶接棒工場労働者2名の慢性マンガン中毒の病歴を、K-h.A.Eiso(1966)は電気溶接工における2例の第3期マンガン中毒患者の病歴を記している。これらを材料にして、マンガン取り扱い作業を始めてから、マンガン中毒が発生するまでの年数を出してみた。病歴があまり正確に詳しく書かれていないので、数字のあやしいものもないとはいいきれない。

症状が1年未満で現れた例5(9.3%)、1~2年11(20.4%)、2~3年11(20.4%)、3~5年16(29.6%)、5~10年9(16.7%)、10年以上2(3.7%)となっている。ここに病状としてあげられているのは、作業者が異常を感じたり、それによって医師の診察を受けた頭痛、全身の脱力、四肢のふるえ、記憶力の低下、睡眠不良、腓腹筋の痛みなどで、マンガン中毒の症状と即断はできないが、その後の動的観察から、マンガン中毒の初期症状とみてよいものである。これをみると、発症の年数が分かっている者の半分は3年以内にはいっている。

しかし細かい記述がないので、パーキンソン症候群が出てくるまでの作業年数の分布をみることはできなかったが、進行の速い例では、作業開始後1年未満でパーキンソン症候群が現れている。

A.P.Dolgovら(1968)は、労働条件が悪い場合には、6~9カ月の勤続年数でマンガン中毒が発生することがあると述べている。

してみると、ソビエト連邦におけるマンガン取り扱い作業の環境条件には、衛生学的にみて不充分なところがあるといえる。

A.F.Makarchenko(1956)が述べている57名の労働者の職名はいろいろであるらしいが、それを記述されていない者が多く、職名別に症状発生までの作業年数を比較することはできなかった。

4. マンガン中毒の症状

マンガン中毒の病期は3段階に分けられている。人によってその説明に若干は相違はあるが、新しい文献に出ているのを次に述べる。

第1期(初期)

中枢神経系の機能障害の段階で、全身の無力症、植物神経の障害、弱い多発神経炎の症状を伴い、大脳皮質では制止の過程が優勢である。自覚的症状としては全身の脱力感、頭痛、目まい、疲れやすい、傾眠、食欲の低下、四肢の感覚異常、記憶の低下が訴えられる。ふつう自分自身、自分の周囲に対して無関心であるから、患者が医師を訪れることは少ない。しかし詳しく質問すると、上に述べた症状のほかに、動作の不器用、四肢の痛みなどが訴えられる。

他覚的には軽度の表情減退、眼裂の開大、瞬目数の軽度の減少、感覚(嗅、味、視覚)の鈍化、筋の興奮性の冗進、筋トーヌスの低下、腱反射の亢進、迅速な動作(回転、膝屈伸など)の不能、流涎、発汗の冗進、脂肪分泌の増加(膏顔)、眼瞼、舌や手指のふるえが認められる。しばしば甲状腺が肥大するが、その機能亢進は明瞭ではない。低酸性あるいは無酸性の胃炎、胃液分泌の減少も見られることが多いが、この時血色素量は少なくないのがマンガン中毒の特徴とされている。そのほか肝臓の解毒機能の低下、性機能の減退が見られる。この時期の症状は可逆的であって、治療によって消失する。

第2期

初期の毒性脳症の時期で、回復はむずかしい。その特徴は無力性・植物神経症候群のほかに、軽い器質的症候が生じることで、寡動・緊張亢進(まれには緊張低下)の錐体外路系の症候群が見られる。すなわち表情減退、瞬目数の減少、不動の視線、歩行時における手の協応運動の障害、筋トーヌスの上昇(時には低下)が現れ、歩行障害、傾眠、言語障害が出てくる。

脳神経の障害では、輻輳の障害、眼球振盪症、瞳孔の不同、時には白色や赤色に対する視野の狭窄がみられることがある。

腱反射は冗進することが多く、病的反射が現れることもある。

また多発神経炎の症状として、遠位部の筋の萎縮、遠位部の感覚障害、錐体路系の症状として手指のふるえが見られる。

第1期から第2期への移行は、時によると非常に速い。

第3期

体外路系の症状、パーキンソン症候群の時期で、中枢神経系の器質的変化はほとんど非可逆的である。時にはパーキンソン症候群が突然現れることがあったり、短い期間に症状が著しくなることもある。

仮面様の顔、無気力、無関心、言語の単調と発語困難、運動過剰、雄鶏様の歩行、後方突進や前方突進、書字不能(小書症)、多汗、流涎、瞳孔の大きさの不同、脳波では波の低下、徐波の存在、気脳図では前頭部の萎縮、脳室の形の変化、筋トーヌスの充進、受動運動における「歯車症状」、強制笑いとか強制泣き、一般知能の低下が認められる。

すなわちマンガン中毒の神経学的な病像は主としてパーキンソン症候群であるが、脳神経、錐体路系、末梢神経系の障害も加わっていて、中毒性脳脊髄多発神経炎とも呼びうるものである。マンガンとの接触を止めても、パーキンソン症候群が進行したり、感染、過労、妊娠、アルコールの濫用でその症状が悪化することがある。

次にソビエト連邦以外の国ではあまり述べられていない症状について、少し詳しく記してみる。

マンガンと肝機能との関係については、いままでにも若干の論文があるが、マンガン中毒の場合肝臓の機能が低下し、プロトロンビンの形成、物質の合成、抗毒などの機能が低くなり(A.F.Makarchenko,1956;A.A.Khavtasi,1958;M.N.Ryznkova,1959)著しい慢性中毒では、肝臓の中等度肥大と痛みがみられることがあり、肝臓の硬変例もある。マンガン中毒では、空腹時の低血糖、糖負荷時における血糖曲線の平担も記されている。

先にも述べたが、特に第1期のマンガン中毒の患者において、食欲の低下、胸やけ、まれには嘔気、胃部の痛みを訴える者がかなりいて、胃炎がみられるという報告がある(L.N.Gratianskaja,1957;M.N.Ryzhkova,1959;Kh.A.Eiso,1966)。

動物の筋のクロナキシーに及ぼすマンガンの作用については、R.V.Borisenkova(1954),V.A,Mikhailovら(1955),L.V.Kuznetsova(1955,1957),F.S.Trop(1958)らが、またマンガン中毒の労働者については、A.F.Makarchenko(1956)が調べている。A.F.Makarchenkoによれば、クロナキシーの状態とマンガン中毒の重さのあいだには関係があり、屈筋の興奮性の低下と伸筋の興奮性の上昇により、両者のクロナキシーの差が少なくなる。慢性マンガン中毒の時のクロナキシーの変化は、鉛中毒、炭化ガス中毒、ヒ素中毒の時のクロナキシーと違っているし、脳炎後のパーキンソン症候群で見られるものとも違っている。

マンガン中毒の時の脳波については、A.F.Makarchenko(1956)が患者を調べ、α波の低下と徐波の存在を見出し、それが早期診断に利用できると述べている。D.A.Ginzburg(1962)もマンガン中毒患者の脳波を研究し、同じ結果を得ているし、光刺激を与えても大脳皮質のリズムに変化は起こらないが、マンガンと接触しても中毒症状が現われていない者、初期の中毒症状しか示さない者では、対照者とのあいだに脳波の所見の差が認められないと書いている。さらに脳波の変化は他の症状よりも遅れて現われるし、治療によって自覚症状、他覚症状が軽くなっても、病的な脳波の特徴は残留すること、脳皮質の構造は複雑であるうえ、ある間隔をおいて付けられた電極を通って頭蓋骨の上から取り出される脳波が、脳構造の細かい変化を示すことはむずかしいと述べて、脳波の診断的価値を疑っている。

マンガン中毒の時の条件反射は、A.F.Makarchenko(1954,1956)とL.I.Kotiarevskii(1961)によって研究された。いずれもマンガン中毒の動物(イヌ、ネコ)について調べたもので、マンガン作用による動物の行動の変化がまだ観察されない時でも、大脳半球の皮質において防衛制止が発生し、中毒の第2期になると、皮質下に興奮の過程が強くなって皮質に拡延し、その結果著しい興奮過程が出てくる。中毒の第3期になると、大脳の皮質と皮質下に制止が進行すると記述している。

マンガン中毒の時の血液の変化にっいては、F.Ia.Bernshtein(1935)が実験している。彼は雄鶏にマンガンを経口投与し、血色素量と赤血球数が増加すると述べている。V.A.Khubtija(1964)はマンガン取り扱い作業者262名を調べ、赤血球数、血小板数、血色素量の増加、白血球数と好中球数の減少を見ている。また赤血球の滲透抵抗は低下するが、赤沈と粘性には変化がないと述べている。A.A.Khavtasi(1958)はマンガン中毒の患者で、網赤血球数と単球数の増加を認めている。マンガンはまず赤血球の生成を刺激してその数がふえ、次いでそれは正常となり、重いマンガン中毒では貧血が生じるようである。

血液中や尿中のマンガン量については、まとまった研究が少ない。A.F.Makarchenko(1956)は80人のマンガン作業者について調べ、マンガン中毒の症状が進めば、両方とも多くなるが、マンガン量と中毒の程度のあいだには、厳密な相関はないといっている。A.A.Khavtasi(1958)の測定結果では、マンガン作業者の大部分において血液中のマンガン量は増加し、一部の者では尿中のマンガン量がふえていた。M.N.Ryzhkova(1959)が記しているのでは、中毒の重さと血液中のマンガン量のあいだに平行関係がある。

マンガン鉱石を扱う労働者では傷が治りにくいし、戸外で労働していると、皮ふ炎や慢性の湿疹が生じ、リンパ腺の肥大が見られることがある。N.V.Ionovら(1977)は110名のマンガン鉱山労働者を調べ、その31.8%において皮ふの臨床的変化を見出し、皮ふの電気抵抗の減少を見ている。

また興味があるのは、V.R.Saakadzeら(1973,1977)の研究で、動物実験の成績とマンガン作業者の調査結果から低濃度のマンガンはアレルゲンとして作用し、労働者に感作が生じ、気管支喘息が起こると報じている。

A.A.Platonov(1976)は、マンガン中毒の電気溶接工100名(第1期22、第2期23、第3期55)について、ミネソタ多層パーソナリティ分類目録(MMPI)による検査を行ない、マンガン中毒の病期が進むにつれて、同じパーソナリティの特徴を示すようになり、慢性マンガン中毒の臨床診断が確定する前にそれが明らかとなるから、早期診断の一助となるといっている。

マンガンと粉じん肺炎との関係については、すでに多くの報告があり、これを肯定する研究者が多いようである。この方面の研究をわずか一つしか見出すことはできなかった。G.Sh.Gabunija(1964)はチアツラ鉱山労働者の疾病統計から、マンガンの粉じんは肺のクルップ性炎症の発生を助長する、特殊の原因とは考えられないと結論している。

5. マンガン中毒の早期診断

早期診断の目的は、病気が著しく進行しない前に、病気を発見することであって、そうすれば治療を施して、健康を回復させることもできる。マンガン中毒の場合であれば、巾毒の第1期で診断ができると、症状は可逆的であるから、早期診断といってよい。

ところがマンガン中毒ではパーキンソン症候群が主として問題になり、従来初期症状と称せられているのは、パーキンソン症候群からみればたいてい初期症状であるものの、マンガン中毒の初期症状ではないといえる(L.N.Gratsianskaja,1957)。

しかしマンガン中毒の第1期症状に数えられているものは、どれ一つとしてマンガン中毒に特異なものはないから、その検査には細心の注意が必要である。まず入念に質問する。初期の中毒患者では高次神経活動が不活発で、自分の状態に対して関心がなく、積極的に症状を訴えないからである。その症状は傾眠、関心の範囲の縮少、唾液分泌の増加、疲れやすい、足の力の衰えなどで、作業歴、足の筋の生物電気活性の変化など、他覚症状が診断の重要な参考にはなるが、1回の検査で診断を決定するのはむずかしい。疑わしい場合には、入念な動的観察が望ましい。マンガンとの接触をやめて治療を強力に行ない、症状が消失すれば、マンガンによる作用であったと考えてよい。

6. マンガン中毒の鑑別診断

マンガン中毒、特にマンガンによるパーキンソン症候群と鑑別すべきものとしては、流行性脳炎後のパーキンソン症候群、振せん麻痺、多発硬化などがあげられよう。ここでは流行性脳炎後のパーキンソン症候群との鑑別診断を述べてみる(K.R.Molokanovら編集、1968;A.A.Letavetら編集、1964など)。

両者の症状はよく似ているが、詳しく調べると、若干の相違がある。

マンガンによるパーキンソン症候群の患者では、もちろん既往にマンガンと長い期間接触しているが、脳炎後のパーキンソン症候群の場合には、流行性脳炎に罹って、発熱、著しい傾眠、あるいは不眠、著しい頭痛、複視とか斜視の症状が既往歴に見られる。したがってマンガン中毒の場合には、症状が急性に起こらないで、絶えず進行して悪化を続け、その進行は脳炎の場合より速い。

マンガン中毒の場合には、雄鶏様の歩行、すなわち踵をつかないで爪先で歩行するのが特徴であり、淡蒼球の症状が線条体の症状より強く、ふつう視線のけいれんはなく、瞳孔の幅較反応障害はないし、脳神経障害や錐体症状も少ない。

精神障害でも違いがあり、マンガン中毒の場合には無関心、不活発、人格の崩壊が見られるが、脳炎後のパーキンソン症候群では、知能は完全に保持され、攻撃性、粘着性の傾向がある。

なおここで電気溶接工に見られる慢性マンガン中毒の症状を述べておこう。それは他の場合のマンガン中毒の症状とやや違っていて、錐体外路系の症状が軽く、しばしば著しい無力状態、多様な植物血管障害を伴い、強い頭痛、心悸充進、心臓部の鈍痛、四肢の痛みと感覚異常、情緒の不安定、脈拍や血圧の不安定、睡眠障害があるが、著しいパーキンソン症候群は少ない(A.P.Dolgovら、1968)。

7. マンガン中毒の予防

マンガン中毒の予防には、マンガン粉じん、蒸気などの発生をできるだけ少なくし、生産工程をなるべく密閉し、マスクの着用、作業室外での食事、作業衣のひんぱんな交換、手洗の励行など個人衛生的手段の厳守、健康診断の実施などがあげられている。

まず定期健康診断を行なうべき職業、その間隔について述べてみる。1969年5月30日付の規則No.400「労働者の入職時検査と定期健康診断の実施について」の付録1にある、「職業病予防の目的により、入職時・定期健康診断を行なうべき作業・職業表」の4に、マンガンとその化合物があげられ、定期健康診断の間隔が次のように定められている。

1 粉砕、混合、飾過、粉末の荷作り

a マンガン鉱石とマンガンの酸化物
6カ月に1回
b マンガンの他の無機化合物
12カ月に1回

2 マンガンを含有する電極やフラックスの製造

6カ月に1回

3 マンガンを含有する被覆のある電極を用いる溶接

a 密閉空間での労働12カ月に1回
b 開放空間での労働24カ月に1回

4 マンガンを10%以上含有するマンガン鋼や他の金属の溶解

12カ月に1回

5 マンガンの有機化合物の製造

12カ月に1回

※レントゲン検査(肺?)を24カ月に1回行なう。

※※マンガンの作用を受ける条件で労働を始めて3年後に最初の検査をする(他の企業での労働をも加算する)

この身体検査には必ず神経病理、内科、レントゲン科、必要に応じて耳鼻科、精神科、眼科、産婦人科の医師が参加する。必ず行なうべき検査は、胸部のレントゲン写真撮影、一般尿検査、血色素量、血中と尿中のマンガン量および血沈の測定である。

前に述べた規則No.400の付録5「職業病の予防の目的で労働者が定期健康診断を受けるべき作業・職業に就く際の医学的禁忌表」の中で、No.4にマンガンとその化合物の項があって、次の病名があげられている。

1 中枢神経系の器質的疾患(てんかんを含む)
2 精神疾患(症状が軽くなっている時も)と精神病質
3 神経症
4 多発神経炎
5 著しい植物神経機能異常
6 著しい機能異常を伴う内分泌腺の病気
7 肝臓の慢性疾患
8 腎炎、ネフローゼ、腎硬化
9 慢性気管支炎、肺気腫、肺硬化、気管支喘息、気管支拡張症

次のものを入れているのもある。

10 萎縮性鼻咽頭喉頭炎、臭鼻症

予防用の薬剤として、CaNa2EDTA、ビタミンB1、乳酸を勧めている人もいる。

1968年5月22日付の通達「有害労働条件の労働に直接従事する労働者と職員に牛乳あるいはそれと等価の食品を無料で支給する件の医学的文書」では、その第35条に「マンガンとその化合物、酸化マンガン、硫酸マンガン、塩化マンガン、その他のマンガン化合物のエーロソル」があり、1交代ごとに牛乳が0.5リットル支給されることになっている。牛乳の飲用がマンガン中毒の予防あるいは治療にどんな作用があるかは、資明(ママ)が見当たらなくて、不明である。

8. 身体検査の事後措置と労働能力の鑑定

マンガン中毒の予後は悪いし、症状が悪化してくると、マンガン取り扱い作業を中止しても、症状は進行するから、早期に診断を下し、正しい職場転換を図ることがたいせつである。

前にも述べたとおり、多くの場合最初の検査で診断を確定するのはむずかしいが、マンガンの作用を受けている疑いのある時には、医師が監視をして、1.5~2カ月間マンガンと接触しない作業を行なわせる。完全に健康が回復し、労働条件が悪くなければ、以前の労働へ復帰するが、神経病理学の専門家がその健康状態を見ていて、傾眠や脱力などの症状が再発すれば、即刻マンガンとの接触を中止させる。たとえ軽度にしろ慢性マンガン中毒の診断が下されると、マンガンと接触することを直ちに中止させて、治療を行ない、職場転換をさせる。この場合新しい仕事を習得するのに、再教育を施すが、病気の経過に悪い影響を与える、鉛、振動、著しい筋緊張などと接触しないようにすべきである。

第2期のマンガン中毒が診断されると、病除において積極的に治療をしなければならず、労働能力は失われる。その喪失程度は、神経学的な病変、病気の経過、どの職に転職が可能であるか、などで違うが、有害物との接触、重労働、神経精神的緊張、感染、妊娠、更年期で病状が悪化することがあるから、注意がたいせつである。

第3期のパーキンソン症候群では、多くの場合労働は不能で、労働能力は全く失われる。重い運動障害があれば、労働能力がないばかりでなく、常に他人の看護が必要となる。

労働能力の喪失は、医学的な問題であるのみならず、大きな社会問題であり、ソビエト連邦では職業病における労働能力の鑑定に、大きな努力を払っている。病院には労働能力審査会が設けられ、その審査によって、労働不能の第1度、第2度、第3度が決定される。第1度の労働不能は労働能力を完全に喪失したもので、自分で用をたすことはできず、他人の看護を必要とし、マンガン中毒の重症がこれに相当する。第2度の労働不能というのは、労働能力が長いあいだ全く失われるが、場合によると特別の条件で若干の労働が可能であり、1日中絶えず他人の看護を要するというのではない。第3度の労働不能は、労働能力の一部が長いあいだ失われたものである。

9. マンガン中毒の治療

マンガン中毒あるいはその疑いで治療を受ける場合には、マンガンとの接触をできるだけ早く、完全に断つべきである。

マンガン中毒の治療は、原因療法、対症療法、体内からマンガンの排出を促進する方法、一般体力の増強方法、外科手術に分けられる。中毒の疑いや初期の中毒においては、静脈内ヘビタミンC、B1、Pなどを混ぜたぶどう糖を注射する。ビタミンB1はマンガンと同じように、細胞のミトコンドリアに選択的に集積するから、マンガンをミトコンドリアから追い出すのに効果があると考えられている。

マンガン中毒に睡眠薬による睡眠療法を行なって、一般状態が好転したと述べている人がいて(A.F.Makarchenko,1956)、プロム剤、カフェインとともに少量の睡眠薬が推奨され、ノボカインの静脈内注射も試みられている。

パーキンソン症候群の患者には、ベラドンナ根の浸剤が用いられるが、M.N.Ryzhkovaら(1975)はL-ドパを用いて、錐体外路系症状の好転、一般状態の改善、精神的活性の高まりを認めている。アルタン、ジネジン、リジノールなどの製剤を用いると、筋の固縮、流涎、振せんが減ると記されている。

体内からマンガンの排出を促進するのに、EDTAのCaNa2塩やBALに近いウニチオールが用いられているが、効果はあまりないらしい。

全身の抵抗を高めるのに、物理療法、体操浴なども行なわれているようである。

パーキンソン病の場合には、脳の定位手術が行なわれているが、マンガン中毒のパーキンソン症候群では、実施されたという報告に接していない。しかしアルコールや放射性同位元素、超音波、レントゲン線、陰極電気分解など、化学的や物理的方法による脳幹神経節の破壊が提案されている。

10. マンガン中毒の動物実験

マンガン中毒に関しては多くの動物実験が行なわれている。その目的が、動物におけるマンガン中毒の発生、その症状の観察、病理組織学的変化や治療効果の研究にあるのは、他の国の研究と変わりはない。

動物実験に使われているマンガン化合物は、塩化マンガンが最も多く、そのほか二酸化マンガンMnO2、三酸化マンガンMnO3、フェロマンガン、シリコマンガンなどがあり、用いられた動物は、カエル、マウス、ラット、ウサギ、ネコ、イヌ、サルなどである。

動物の体内ヘマンガン化合物を入れるには、吸入、静脈内、腹腔内、皮下、気管内・などの道がとられているが、独特なのは脳脊髄液内および脳実質内への注入であろう。周知のごとく、腹腔内、静脈内、皮下などへの注入では、マンガン中毒の症状を起こすのに長い年月を要し、しかもマンガン中毒に典型的な症状が見られないことが、ことに小動物では多いといわれている。そこで1961年、L.I.Kotliarevskiiは、体重1kg当たり0.1mgの塩化マンガンを0.5ミリリットルの生理的食塩水に溶かして、ウサギ、ネコ、イヌの後頭下に、1日置きに3~8回注入してみた。20日ぐらいのあいだにマンガン中毒の典型的な症状が発生したと述べている。一方Z.T.Samoilovaら(1974)は、塩化マンガンをラットの皮下、腹腔内、腰椎内などへ注入したが、マンガン中毒を起こすのに最も効果的であったのは、腹腔内注射であったと記している。I.A.OsiPovaら(1969)はサルMacacus rhesusの脳脊髄液内と脳実質内へ塩化マンガンを注入した。カニューレを通して視床下部へ塩化マンガンが注入されると、わずか数時間後に筋固縮が生じ、1昼夜で四肢の振せん、3昼夜後には広範な運動過剰が現われ、小脳や皮質下部に注入して、傾眠と流誕が見られたということである。これらの方法はマンガン中毒を短時日の内に発生させる方法として、広く用いられるに違いない。

11. マンガン中毒における組織の形態学的変化

マンガン中毒患者の剖検成績は目につかなかったが、マンガン中毒動物についてはAF.Makarchenko(1956)とL.I.Kotliarevskii(1961)の本に、詳しく記述されている。その成績や職業病の本に書かれているものを読むと、だいたい次の変化が見られている。淡蒼球、線状体などの皮質下神経節と小脳に重い変化があり、炎症はなく、び慢性、退行性の変化で、著しい血管反応を伴い、中毒症脳症と呼ぶべきものである。神経細胞は空胞化し、しわが形成され、破壊し、血管内皮細胞の過形成、小血管壁の線維化とピアリン化、壁の透過性の障害、周囲組織への出血が見られる。神経細胞の破壊は前頭部や頭頂部にも見出される。視床、四丘体、バロリー橋には軟化巣や荒廃巣があり、大脳や脊髄の白質にはグリアがびまん性に増殖し、灰白結節や線状体では、血管に沿って小瘢痕が存在する。内部諸器管の変化は少ないが、時には心筋、副腎皮質、甲状腺に破壊的変化があり、肝臓や腎臓、心臓に蛋白性ジストロフィーが見られる。

G.I.Kiknadzeら(1976)はマンガン中毒ラットの脳の微細構造を研究し、ヌウロン、シナプス、毛細血管内皮細胞の退行性変化と神経膠の強い再生を見ている。

またL.I.Kotliarevskii(1961)はマンガン中毒ウサギの交感神経系について調べ、上頸部交換神経節をあらかじめ除去しておくと、マンガン中毒の主要症状の発生が早く、また中枢神経系の変化がより著しいことを見出した。

12. マンガンの有機化合物の毒性

ソビエト連邦では毒性の強い四アルキル鉛の代用アンチノック剤として、マンガンのシクロペンタジエニルトリカルポニルが製造されている。O.G.Arkhipovaら(1963)はその毒性を調べ、神経系と腎臓に毒作用を及ぼし、赤血球の滲透抵抗が低下することを見出したが、それは皮ふを透過せず、四エチル鉛より毒性は低いと述べている。

13. マンガン中毒の症例

A.F.Makarchenko(1956)の本に出ているマンガン中毒の1症例を次に述べておく。

A-ko,Z.S. 38歳、製鋼工、既婚、健康2児。

マンガンが使われる鋳造工場で、1941年から1944年まで労働した。1944年の4月中旬から異状に気づき、全身の不快を感じ、頭痛が現われ、2週間後突然足、頭のふるえがみられた。数日後四肢のふるえが強くなり、著しい傾眠が現われ、発語が困難となった。平衡が失われ、速く頭を回転すると、後へ倒れ、全身に蟻走感があり、夜中に発汗した(その後の状況不明)。

1950年3月7日、頭痛、全身衰弱、歩行障害、腓腹筋のひきつる感じ、発語困難、著しい傾眠の訴えで、ウクライナ労働衛生職業病研究所病院を訪れ、マンガンによる脳症の診断で入院した。

発育異常なし、幼児に罹った病気不明、しばしばかぜをひく、飲酒わずかで、喫煙せず、性病を否定。家族に結核患者なし。

身長中ぐらい、体格可、皮下脂肪層の発達可。皮ふ浅黒く、可視粘膜蒼白。四肢の先端部ややチアノーゼをみ。心尖の第1音不純、脈拍70、血圧110/60。

腹部軟、触診で痛みあり。肝臓は肋骨弓から1.5㎝出ていて、触れると痛みあり。糞と尿の排泄正常。

肺のレントゲン像に異常なく、横隔膜の動き正常、心臓や血管に異常なし。

神経学的現症

仮面様の顔、表情に乏しく、少し汗ばんでいる。ことばは単調、不明瞭、冗長で、抑揚傾向あり。一定の姿勢を長く崩さず、視線は一点に向う。対光反射は不活発、輻輳と調節の反射は正常。右に軽度の眼球突出症。眼球の運動に異常なし。視野正常。瞬目の数は少ないが強い。眼瞼にふるえ、眼瞼を閉じると、円形筋の強い収縮で、眼瞼を開くのが困難、左側三叉神経の中枝の部分に軽い知覚過敏、角膜反射と結膜反射は右側で低下、右の顔面神経の不全麻痺、声は無声音、舌のふるえ、他の脳神経に変化なし。

四肢の自発運動は制限されず、速さは緩除、受動運動では筋の著しい緊張、筋力は右側で低下、前方突進と後方突進あり、迅速な回転では反対側に転倒、歩行は痙性・失調性、小歩幅で、床から足を離さず、手の協応運動なし。イスやベッドから立ち上がるのは困難。腰かける時は倒れ落ちるようである。

腱反射、骨膜反射は弱く、腹筋反射と挙反射は不活発。

指鼻試験は軽度の企図振せんで失敗、膝踵試験は足のふるえで不能。右側に拮抗反復不能症が顕著。ロンベルグ試験で動揺はなはだし。感覚正常。小書症あり。

全身の多汗症、赤色皮ふ紋画症。

患者の言では性欲、性交能低下。精神は正常。

脳脊髄液圧400/380、蛋白0.56%、リンパ球3/1mm3、ワッセルマン反応陰性。

血色素量72%、赤血球数504万、白血球数4500、色素係数0.72、赤血球の形状、大きさ正常。好酸球、桿状核1%、分葉核44%、リンパ球48%、単核3%、血沈4㎜/1時間。血液のワッセルマン反応陰性。

尿正常。

クロナキシーは筋とその拮抗筋のあいだで差がない。一般にクロナキシー値高し。

脳波ではα波の抑制と消失。額後頭誘導でδ波型の徐波あり。

静脈血を調べコリンエステラーゼの活性低下あり、安息香酸ソーダ負荷試験で肝臓の解毒作用低下。肝症状なし。

(まつふじ・げん=労働衛生検査センター)

「労働の科学33巻6号、1978年」より転戴。