名村造船所マンガン中毒労災認定闘いの記録ー参考資料(3)「労基則35条改悪に伴うマンガン中毒症の取扱い」に関する意見書/柴田俊忍
「労基則35条改悪に伴うマンガン中毒症の取扱い」に関する意見書
労災職業病と闘う関西研究者交流会
代表 柴田俊忍
労規則35条の改「悪」に伴い、現行認定基準の見直しを進め、ここ数年間に、あらゆる職業病について、新たな「認定要件」を設定しようとする動きが出され、その中でも、マンガン中毒に関しては、本年度中にその「認定要件」の決定がなされる方向が打ち出されてきている。具体的には、改「悪」労規則35条に基づいて出された「昭和53年労働省告示36号」に、マンガン中毒の「主たる症状又は障害」として、マンガン中毒の病像を、パーキンソン症候群のみに限定・制限しようとする案が出されているが、私達は、この案が従来の認定基準(基発第522号)と比しても、明らかに後退であり、改悪案であると考える。私達は、以下に、具体的にこの案の問題点を指摘し、この様な改悪がなされることのない様に、強く要望するものである。
1. マンガン中毒症のとらえ方について
マンガン中毒症については、1832年Couperにより5例が報告されて以来、世界中で比較的多数の報告例があり、その病像については、相当の知見が蓄積されてきている。その中でも、Rodierによりまとめられた病像が比較的正確にマンガン中毒症の全体像を把握していると考えられている。
Rodierによれば、マンガン中毒を、前駆期、中間期、確定期に分類している。前駆期には、全身倦怠、食欲不振、共同運動の困難無表情、時には感情興奮によるマンガン精神病、性欲の減退、及び不能、頑固な不眠、時には強い嗜眠、足痛、腰痛、頭痛、めまいなどをあげ、特に性欲減退、不能は極めて多いと述べている。中間期には、音声の単調、発語緩徐、不明瞭、吃音などの言語障害や、仮面様顔ぼう、強迫笑、運動拙劣(昇降、荷上げ、起座、半回転などの困難)、躍動運動、連続拮抗運動の不能、下肢腱反射の亢進などをあげている。確定期としては、筋緊張の冗進、前方・側方・後方突進症、半回転の拙劣度の高度化、手指振せん、小字症、書字拙劣顔面の生気消失、精神障害、発汗過多などが認められるとしている。
我々は、この様な報告例や、我々自身の経験した症例の検討などを通じて、マンガンによる人体への影響については、全身的な障害という観点から、以下の様に考えている。
(1)呼吸器系に対する影響
- じん肺症
- マンガン肺炎
- 鼻粘膜などに対する刺激症状(嗅覚脱失など)
(2)精神・神経系に対する影響
- 精神症状
無気力、脱力感、不眠症、嗜眠症、情動不安定、記銘力障害、多幸症、うつ症状(時には、マンガン精神病と呼ばれる強い精神障害をひきおこすこともある。) - 錐体外路症状
無動症あるいは、か動症(Brady kinesia)、姿勢異常、歩行障害(小幅で前傾歩行)、(強くなれば、鶏状歩行)
突進現象(特に後方突進が早期にかつ強く現れる傾向がある)
運動の拙劣化(半回転、起坐、微細な運動などの困難)
言語障害(吃音、単調、緩徐、不明瞭など)
仮面様顔ぼう、強迫笑、書字障害(小字症、拙劣化)、連続拮抗運動の障害など。
筋強剛
振せん - 錐体路に対する障害
反射の充進を時に認める。
病的反射の出現は、まれに認める。
筋力低下時に四肢の筋肉のケイレンも認める。 - 知覚系に対する障害
四肢末端の触痛覚低下を認めることあり、時に振動覚の低下も認めることがある。
四肢末端のしびれと自発痛も時に認める。 - 自律神経系に対する障害
発汗異常、流誕、立位低血圧などを認めることがある。
(3)肝障害
動物実験では、急性肝炎、肝壊死の病理所見が認められている。
(4)その他の症状
腰痛、四肢の痛み、頭痛など
以上の様に、多種多様な障害が認められている。
又、病理所見については、人体についての充分な知見が得られているとはいい難いが、現在まで明らかにされているのは、中毒性肝硬変、及び脳基底核(特に淡蒼様大型細胞)の強い変性所見を認あるだけではなく、病変は基底核に限らず、広範に大脳皮質、中脳、小脳、視床下部などにも、びまん性変性が認められている。動物実験でも、線状体や大脳皮質全般に神経細胞の変性や破壊、グリア細胞の増殖を認め、血管性の病変(例えば血栓や毛細管増殖など)も著明に認められる。これらの事実から、マンガン中毒症が、単なるパーキンソン症候群としてのみではとらえきれない病像であることは明らかであろう。
しかも、これらのマンガンによる障害に対する治療法については、L-Dopaをはじめ様々の薬剤の投与が試みられてきているが、いつれも充分有効な効果は上がっていない。そのため、現在ではマンガン中毒症は、不治の病といっても過言ではない。従って、マンガン中毒をなくすためには患者が発生してからでは手遅れであり、唯一予防のみが有効なのである。その様な観点にたって我々は、早期発見・早期対策こそが、何よりも必要であり、Rodierの分類の、前駆期に一致する時期にこそ患者を発見し、適切な対策をとるべきであると考えている。
しかし、少し注意を促したいのは、この、前駆期、中間期、確定期という表現では、ともすれば確定期にならなければ、マンガン中毒ではないという様な誤った見方がなされる点である。我々の経験では、この前駆期に、既に激しい痛みや、インポテンツ、全身倦怠脱力、精神症状などで非常な苦痛にさいなまれている状態であり、加えて、この時期に発見し、適切な対策をとれば、病状の改善が期待できる可能性は大であり、この様な前駆期に早期発見し、マンガン中毒症としての治療と予防対策がとられることが最も望ましいと考える。
その意味では、現行の認定基準(基発522号)では、「2、発汗異常、睡眠障害、記憶障害、性欲減退又は、性的不能等のマンガン中毒をうたがわしめる症状が持続しているものであって、握力の減退、基礎代謝冗進、書字拙劣、細字症等のいずれかが認められるものであること。」という事項が盛りこまれておりこの点では早期発見を促し得る項目として、我々も評価をしてきた点である。しかるに、今回の「昭和53年労働省告示第36号及び基発186号」によれば、現在の認定基準と比しても、この前駆期に一致した症状については不当にも無視されており、早期発見を促すという点からいって、明らかに後退であり、改悪であると考えられる。
以下にこの告示36号、基発186号に基づくマンガン中毒認定に関する問題点を明らかにしたい。
2. 告示第36号、基発186号による問題点について
告示の中で、「主たる症状または障害」として「中枢神経系急性刺激症状又は言語障害・歩行障害・振せん等の中枢性神経症候群」と規定し、しかも、この中枢性神経症候群としてはパーキンソン症候群のみを挙げている。しかも、この主たる症状障害とした掲げた根拠としては、労働省労働基準局長の通達(基発186号)の中では、「労働の場で起こった症例の内、文献的に共通に現れた症状又は障害」と規定している。しかるに、たとえこのように文献的考察だけに限ったとしても、マンガン中毒の病像がパーキンソニズムのみと考えている文献は見当たらないのである。少なくとも、いずれの文献もRodierが掲げたマンガン中毒の病像については、異議をさしはさんでいるものは見当たらないのである。
このような批判を予想してか、労働省では基発186号「別添1」に「精神障害又は肺炎」を急拠付け加えてきているが、しかし歯止めも決して忘れてはいない。即ち、「別添1」の性格として、明らかに「主たる症状又は障害」とは区別をし、「これら(別添)の中には特異的な暴露条件でのみしか起こりにくいと思われるもの、同じに暴露を受けた他の化学物質による影響が否定できないものなど、医学的には必ずしも当該物質との関連性が明らかにされていないと考えられるものが含まれている」と述べ、あたかも精神障害や肺炎が、またマンガンとの因果関係が証明されていないかのように扱い、むしろ、これらの症状を切り捨てていく方向に進められようとしている。この精神障害については、マンガン中毒の主要な病像の1つであることについては世界的にも一致した見解であり、マンガン以外の原因によるものだという文献を少なくとも我々は知らないのである。
しかも、現行認定基準では、具体的にマンガン中毒に特徴的な自覚症状が挙げられ、更に握力低下や基礎代謝冗進などの項目が盛り込まれていたにもかかわらず、今回の告示、通達では「精神障害」という極めて抽象的な表現でしかなく、しかも握力低下や基礎代謝亢進については、理由も示さずに全く削除されてしまっている。特に握力低下については 我々の経験でも極めて高率に認められ、又昭和50年、京都府下の船井郡、北桑田郡で行われた「マンガン鉱山等の元労働者に係る健康障害実態調査報告書」(京都労働基準局発行)にも記載されているように、極めて高率(52.2%)に認められ、しかも職歴との相関が明らかであり、握力低下はマンガン中毒症の病像にとって重要な所見である。
以上述べてきたように、今回の告示、通達ではマンガン中毒イコールパーキンソン症候群という図式をあてはあることにより、パーキンソン症候群以外の症状が切り捨てられ、認定の枠を狭める結果になっている。これは発症初期の症状を無視し、早期発見を遅らせることになり、被災者本人の救済が遅れ、治療の時期を失し、不治の病状におちいらせる結果になるだけではなく、同じ環境で働く他の労働者への予防対策を遅らせ、犠牲者を増大させるという悲惨な結果を招くことは明らかである。
現行認定基準を改正しなければならない理由は唯一、マンガン中毒認定の条件に「当該職場を離れて後、おおむね3カ年未満の労働者」という制限が加えられている点であろう。既述の、京都府船井郡、北桑田郡で実施された調査結果において、この「離職後3年未満に発症」の根拠はくつがえされ、3年以上の発症例が多数発見されており、当然、現行認定基準から削除されるべき項目である。
今回の告示、通達については、このような調査結果に基づいた前向きの改正という面は殆ど見られず、逆に、症状を制限列挙する方式を導入することにより、認定の枠を狭め、早期発見、早期対策を遅らせるものである。我々はこのような基準が実施されることのないように強く要望するものである。