静岡から横浜へ ピアサポートの旅・パート2 胸膜中皮腫患者の前向き一辺倒-闘病記~死ぬまで元気です/31 右田孝雄

患者仲間と@よこはま

皆さま、お元気ですか。前回はくりちゃんの誕生日の墓参りから、静岡市内の患者さんやご家族様と面会し、「中皮腫ZOOMサロン」に参加していただいたところまでお話しいたしましたね。

今回は、その続きで横浜の中皮腫患者さんに面会に行くところからです。「中皮腫ZOOMサロン」に参加した後、その足で新横浜駅に向かいました。その理由は一つ。この日の宿泊先付近にある「ラーメン博物館」で夕飯をいただくためです。ホテルにチェックインした時は、午後6時になっていました。「ラーメン博物館」の開館時間を調べると、ラストオーダーは午後8時30分でした。荷物を部屋に置いて急いで「ラーメン博物館」へ行きました。何故なら、ここには数店舗の全国的に有名なラーメン店が軒を並べて、来た客は複数の店に入ってラーメンを食べるのです。だからと言って、毎回一杯ずつ食べるのではなく、ミニと言うのがあり、それを何店舗か食べていくのですが、この日の目標は4店舗制覇でした。がしかし、この日は昼にもたらふくランチを食べたので、2杯食べたら限界でした。それにしても1杯目の利尻島ラーメン「味楽」はとても美味しい1杯でした。

私には、思うことがあります。がん患者は食べることが大切です。私はこの4年間多くの終末期の中皮腫患者さんを見てきましたが、皆さん痩せ細っていました。患者さんは治療の副作用で膨満感が出たり、悪心があったり、また吐き気を催したり、味覚障害を起こしたりして食べられなくなります。腹膜中皮腫患者さんの中には腸閉塞になる方もいます。また気持ちの落ち込みから、何も食べたくなくなる方もいます。でも基本的に食べないとダメだと思うのです。好きなものを食べて、せめて病気になる前の体重を維持して欲しいと思います。食べなくては、免疫力が落ちるのはおろか、抗がん剤などの治療に堪えうる体力すら無くします。体力さえあれば、せっかくできる治療もできなくなってしまいます。だから私は、患者さんには食べて太って欲しいと思っています。

私の場合は、人からは食べ過ぎだと言われますが私もそう思います。でも、今の私から食べることを取ったら、楽しみが無くなってしまいます。私くらいですよね、中皮腫になって8キロも太ったのは…。

さて、翌日また別の患者さんにお会いしました。約1年近く会っていなかったのですが、その姿を見て、涙が出そうになりました。めっきり痩せ細っていて、体重を聞いたら40キロを遥かに切っていて、二の腕が私の親指と中指で作った輪で回りました。彼女は、食道を邪魔するように腫瘍が横たわり、食べたくても食べられないのです。毎日毎日、ゼリーや細かく野菜を刻んだ野菜スープしか飲めずにいたのです。コロナ禍になるまでは動いたり、テニスしたりそれなりに体力作りもしていたようですが、コロナ禍で外出できなくなってからは一気に筋力も衰え、少し話しただけでも息切れしていました。

本人もこのままじゃヤバいと思っているようで、今必死で食べることを気にしているようでした。まだ40代の女性で、帰りも腕を抱えながらバス停まで送っていきましたが、わずか100メートルほど歩いただけでも息切れしていました。今の抗がん剤の効果が出て、食べられるようになることを願いながら、彼女を見送りました。

皆さん、食べることは非常に大切ですよ。

筆者ミギえもんのブログ「悪性胸膜中皮腫と言われてどこまで生きれるかやってみよう!」
中皮腫サポートキャラバン隊HP みぎくりハウス

関西労災職業病2020年11・12月516号