溶接工のマンガン中毒、日本で初めて労災認定/南大阪・名村造船
前号でも一部記載した通り、1981年7月7日、大阪労基局は、全港湾建設支部名村分会のY氏のマンガン中毒性パーキンソン症を認め、労働災害として認定することを遂に正式決定した。
これは1979年の労災申請以来2年余にわたる粘り強い闘いの大きな成果であり、造船所におけるマンガン中毒の日本における最初の認定という画期性加えて、分会が今後名村造船資本を追い込んでいく大きな足がかりとなるものである。
名村資本がY氏の症状を私病視し、労災申請に対しては「造船工業会あげて対抗する」と言明したのをはじめ、労働行政側も当初はこの資本側の気勢に押されるように「日本では例がない。困難だ」と逃げの姿勢ばかりが目立った。
しかし、分会を中心として、全港湾、安全センター、松浦診療所等のスクラムは行政をじわりじわりと押し込み、大衆交渉の積み上げ、マンガン濃度模擬実験の成功などで遂に寄り切ったのである。
しかし労災は認めたものの阿倍野労基署は新たな攻撃を行なってきた。それはY氏が一昨年い「軽労働可」の診断書を名村造船に提出していることを理由とする、休業補償の不支給決定処分である。これに対して分会を中心として現在この不当処分を撤回させるべく闘いの準備が進められている。
関西労災職業病1981年8月88号
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