木本憲雄さんインタビュー(大阪地域合同労働組合書記次長)/関西労働者安全センター運営協議会 委員紹介

当センター運営委員のご紹介。今回は大阪地域合同労組で長年活躍されている木本憲雄さんのインタビューです。
-大阪地域合同労組の始まりについて教えてください。
元々は港区にあった港相互タクシーの争議が始まりです。
当時、総評や同盟に支援要請しましたが、上手くいかず、地域の労組で全金田中機械支部に相談にいったら、大和田委員長が「じゃあ、地域でやろうか」、ということで全港湾とか全電通とか労金労組とかが協力して地域の闘いとしてやろうという話になりました。当時、「職場少数を地域多数で」というスローガンもありました。
尾上さんという総評のオルグの人も加わって、尾上・大和田指導で取り組むんですが、地域の単組集合ではなく、法的にも「合同労組(ユニオン)」が必要ではないかということで、大阪地域合同労働組合が誕生します。
1972年に正式に大阪地域合同労働組合が結成されて、港相互タクシーは分会という形で活動し、それから大正区でめぐみ保育園に分会ができ、ワールド印刷(現国際印刷出版研究所)、けんこう(日本予防医学協会)、パチンコ景品交換所、MJB珈琲、関西国際旅行社と73年、74年に次々と結成され、今の基本形ができ上がります。
全国で2番目の地域ユニオンが大阪地域合同労組ということのようです。業種もばらばら、一人争議もあれば、組合作りからいくところもあったし、大阪だったらどこでもいく、という活動をしていました。
-木本さんが労働運動にかかわったきっかけは?
兄が8番目にできた分会、関西国際旅行社という中国専門の旅行社で働いていて、学生の頃に、どこかアルバイトないかって聞いたら、7番目にできたMJB珈琲を紹介されて、ウェイターをしてたんですが、ユニオンショップの喫茶店で組合動員でワールド印刷の泊まり込みや争議の現場に行かされる。そこで活動家の人とも顔見知りになりました。「木本の弟か」ってことで、ずっと「ジュニア」って呼ばれてました。
その後、大正区でワールド印刷争議を経てできた自主管理の国際印刷出版研究所って、今、「関西労災職業病」刷ってるでしょ。兄貴らから僕に、「この会社に入ってくれ」という話が来る。当時僕は1年留年していて、大学はもうゼミしか残っていなかった。少し時間があったから、週4ぐらいのアルバイトとして行き出したんだけど、卒業後もそのまま働いた。
入社しばらくは組合運動はメーデーとかの動員くらいで、月曜日から土曜日まで9時から21時までほぼ7年間、現場の仕事しかしてない。印刷工場の現場労働者。インクも練るし、機械も回すし、断裁、折、製版も、版下も作るし…。
仕事ばかりしてたけど入って3年目に分会長になって、2年後に本部の会計監査、6年目から執行委員になって、組合機関紙はそのころから今も40年担当してます。
―印刷工場の安全対策についても詳しいですよね。
労災事故で言うなら断裁機が一番危ない。今は作動ボタンの両手押しをしないと刃が降りないようになっていますが、そのころは紙を手で押さえながら足ペダルで断裁刃を落とすんです。紙がずれないように刃の落ちてくるギリギリのところを押さえてペダルを踏むから、指を落とす事故がよくある。
私も切断はないですが、指先を潰したことは2 回あります。国際印刷は労組の自主運営の会社ですが、当時、労災保険すら入っていなかった。
それはあかんやろ、ということで、僕が入ってしばらくして社会保険も加入したんですよ。
まあ 、労災って言っても、その頃はみんな忙しいからね、ぎっくり腰をやってもその日1日休むぐらいで、翌日から腰を押さえながら仕事してる。
当時は製版代が高く取れて、会社がすごく儲かっていく。現場の従業員としては、もうちょっとボーナス増やしたり、福利厚生をちゃんとやろうや、と。残業手当すらついてなかったですからね。
組合としては、残業もみなしでつけるようにしたり、なんやかやとしたけれど、やっぱり相対的に低すぎる。賃金を上げるのと、ボーナスもちょっと出そうと。それに、新たに人も入れて労働時間も少し減らそうや、できるやろ?と申し入れた。でも当時の組合副委員長で実質社長業をしていた山崎さんは「設備投資が必要だ」っていうわけ。 まあ、自主運営の内部矛盾ですね。
そこで揉めて、 僕ともう1人 がやってられへんからもう辞める、と言い出して。そこに大和田さんが間に入って、「どうするんや?会社も組合も残さなあかんやろ」と。地域合同労組は僕らを支援してくれました。最終的に解決金として2人で 700万ぐらいもらって辞めた。
-そんなに解決金が出るんですか ?
お金ないから10回払いの手形でね。そのお金で2人で会社を作った。2人で組合活動もできて、なんとか飯食える会社を作ろうや、ということで作ったのがユニワールド印刷センター。国際印刷ではワールド印刷争議から分会名がワールド印刷分会だったので、その名前を残したいからユニワールド印刷センターって名前にしました。そして私が大阪地域合同労働組合の委員長になる。34才だったかな。
その頃に 第一世代がほぼ全員、取締役や理事、組織の幹部になるんです。国際印刷の山﨑さんも辞めて社長になるでしょ。職場で組合の力が強くなった証でもありますが、一方で組合は弱体化する。
-地域合同への相談は多かったんですか?
最初はすごく忙しかったようです。いつも労働委員会や裁判を抱えていて、当時労働委員会の書面、ガリ切りですよ。80年ぐらいからコミュニティユニオンもできて受け皿が複数になった。
争議や労働委員会やらは減って楽にはなったけど、今度は組合維持がしんどくなりますよね。
そんなときに「連合」ができるんです。「総評の冠を連合に代えるだけやし、やること変えへんかったら別にええやんか」ということで連合に入りました。
5年くらいは連合大阪のハートフルユニオンの下でやってた。それから連合大阪が相談ダイヤルを始めて、組合加入の相談が入る。今の仕組みの原型がその頃にできました。で、連合大阪に事務所を置かせてよ、と、当時のエルおおさか11階連合事務所の一番奥に机2台置かせてもらったんです。
-ハートフルユニオンはもともとお坊さんの組合だったと聞いてますが?
ハートフルユニオンの名前で有名になりましたが、組織は大阪地域合同労働組合国分寺分会です。それとJR四国分会 がハートフルユニオン時代の大きな争議です。両方とも新聞にも載って結構話題になった。
まあ、僧侶の組合というのは話題になります。内容は今でいう住職のパワハラです。JR四国は、女性の非正規雇用の問題でした。彼女らは「準社員」として雇われていて差別的な取り扱いを受けていた。社員が一人もおらん中、彼女らが主力として働いている。大阪で雇用されていて大阪で組合を作ったのに、JR四国は、「高松まで来ないと交渉に応じない」とか言い出して。それから3人が解雇されて、本町の伊藤ビルの中でビラ撒きをしました。ビラ撒きをすると向こうが四国から10人ぐらい動員してきて邪魔するので、ビルの中で騒ぐもんだから注目を浴びました。
JR四国争議の時期に、有名な丸子警報器事件があってね。女性の賃金や退職金の差別事件やったかな。朝日新聞が「東の丸子、西のJR四国」と、女性差別との闘いという着眼点で記事を書いた。
-安全センターとのかかわりについて教えてください。
地域合同労組としては1970年代後半に375通達の事件。キンダーハイムって保育所の保育士の頸肩腕で労災が認められて、鍼灸治療をしていた。ところが国の375号通達で、「鍼灸治療は労災保険での療養は認めない」と言うことになって、安全センターが中心になって裁判で闘った。それが一番安全センターと一緒にやった大きな事件です。長い裁判でした。

結成初期の植田マンガン闘争もありますね。あそこも地域合同の分会なんですよ。マンガン中毒の労災で、裁判をずっとやっていて、そこの委員長やってた人は年に2、3回、激を送ってくれてました。「地域合同の役員はもっと頑張れ」って。
うちは保育士が多いので、頸肩腕、声帯ポリープなど安全センターには幾度もお世話になってます。
-ほかにも労災事例はありますか?
若い女の子が自死した事件。働いていた店舗の店長にいじめられて、給料も出ない。ただ、独り暮らししてたから、全然わからないんですよ、その背景が。ただそのスマホに残ってる写真とかメモにね、こんなこと店長に言われたとかなんとか。特にコロナの時で、店舗も自死の1ヶ月ぐらい前から閉めてたから働きに行ってないんですよ。で、もう、なんか来週から店始まるよ、というときに亡くなったんです。労働者性が問題になって認められず、今は再審査請求中です。
あと3年くらい前かな。運転手の自死事件。運送会社でね、未払残業・過積載なんかを問題にして組合を作った。組合を結成する1年半ぐらい前に亡くなったドライバーのお母さんから、組合ができたなら話を聞いてもらえないか、と相談に来たんです。亡くなったのは働き過ぎじゃないか、と。
会社としては過重労働なんかない、と突っぱねるんだけど、組合員の事務員が全部資料出してくれて、すごい残業してたことがわかる。亡くなったドライバーの奥さんなんかまだ1歳の子どもを抱えて生活保護でしたからね。なんとかしてやらなあかんと、頑張って会社から損害賠償も取りました。
職場の安全については、労働者って結構無頓着。何か起こってから考える。組合の要求でも賃上げだけ要求するんじゃなくて、他に、職場の問題とかって聞くと、なかなか出てこない。環境が悪い、危険なところがある、仕事がきついなど、そういうことをちゃんと言わないといかんね。
労基法は割とみんなさん意識あるけど、安全衛生法は意識が弱い気がします。これぐらいええやん、という感じの現場は多いです。
-是非、安全パトロールとかする機会がありましたらご一緒させてください。地域合同労組と安全センターの関わりが、こんなに深かったのかのかと改めて知る機会になりました。(文責 事務局)
関西労災職業病2025年11・12月571号


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