長時間労働体験記~がんばりすぎないようにしましょう/種盛真也(事務局)

1.前書き
お疲れ様です。関西労働者安全センター事務局員の種盛です。
去る2025年11月29日、30日の2日間にわたり、コミュニティユニオン全国交流集会が開催されました。その2日目に、様々なテーマの分科会があったのですが、「長時間労働」をテーマにした会で、私が以前勤めていたある機械メーカーでの経験を報告する機会を頂きました。せっかくなので、そこで報告した内容をここにまとめようと思います。
今回の体験記では、体験を通して、私がなぜ長時間労働するようになったのかというところを、会社のシステムと、私の気持ちの両面から考えています。これを読んだ人が、もし誰かから長時間労働の相談を受けたときに、少しでも参考になれば幸いです。
2.会社の紹介と、社員時代全体の概要
私は、2010年4月から2020年12月までの10年8ヶ月、工業用の機械を作るあるメーカーで働いていました。勤めている間ほぼずっと設計開発の仕事をしていました。
会社の規模は、入社当初で従業員が300名程度、中国の子会社連結だと1000名程度でした。中小企業の定義が、製造業だと従業員300名以下なので、子会社抜きで考えるとぎりぎり大企業といった感じです。10年の間に、よその会社を買収したりして、従業員自体はかなり増えたのですが、元あった部分の人数はそこまで大きく推移していないと思います。
そして、そのぎりぎり大企業の印象通り、会社の雰囲気や製造システムはあまり洗練されておらず、町工場がそのまま大きくなった感じでした。取引先の、いわゆる超大企業の人の話を聞いたりしていると、設計開発と製造現場が、システム的にも地理的にも完全に分断されていることが多いのですが、私の勤めていた会社は、国内工場が本社建屋に併設されており、加工の催促や出来上がった部品の追加工といったことを工場に直接お願いしに行ったり、逆に製造現場の人から、この図面だと加工できないからここをこうしていいかと聞かれたりということが割と頻繁にありました。また、月末や決算前には、出荷台数を上げるために製造現場の応援にということもあったり。こういう泥臭い雰囲気は、正直好きでした。
そんな会社での私の仕事ですが、入社後3か月は新人研修でした。その後、新製品の設計開発部門に配属されて5年弱、そして中国の子会社に半年間出向して、帰ってきてからまた同じ部署に配属されて5年ほど勤めて辞める、といった形です。おおまかな時間外労働の時間は、新人研修時代がほぼ0、開発部門に配属されてからは、初年度はほぼ0でしたが、だんだん増えて、5年目には月30~40時間、たまに60時間程度でした。そして、中国子会社出向時は月80~150時間で、時間外労働の時間が一番多かった時期です。日本に帰ってきてからは、月50~60時間、たまに月100時間といった形でした。これぐらいの労働時間の技術職はかなりいると思いますので、以下の体験記があてはまる人も結構いるのではないでしょうか。
次章からは、各パートを詳しく見ていきます。
3.新人研修時代
まずは新人研修時代です。2010年4月1日~同年6月末の3か月間ですが、この期間はほぼ時間外労働0でした。理由としては2つ考えられます。1つは決められたことをするという時間が読みやすい内容だったこと。もう1つは、実はこの会社は、ある企業の子会社なのですが、研修全体を計画した総務部の部長が、その親会社から出向してきた人だったからです。というのは、親会社が、当時言葉として流行し始めていたブラック企業として、まず槍玉に挙げられる会社で、そのイメージを払拭しようと必死であり、その命令を受けている部長も、新入社員の残業に非常に敏感だったわけです。ここで言いたいのは、人事も兼務する総務部のボスがそんな感じだったので、私の勤めていた会社自体のスタンスとしては、別に長時間労働を推奨しているわけではなかったということです。じゃあなぜ長時間労働することになってしまったのか。次章に続きます。
4.開発部配属後、中国に行くまで
新人研修後、新製品の開発部門に配属されました。
1年目は、ほぼ時間外労働0で、あっても月2日ぐらい、時間にして4、5時間でした。この期間は、仕事内容が、上司の設計した試作品の組み立て手伝いや性能試験、上司先輩が構想した単純な治具の製図だったりと単純なもので、基本的に上司から逐一指示されて仕事をしていました。そのため、私の仕事内容を上司が把握して管理している状態であり、残業はすべて上司から命じられてやっていました。
2~3年目は、月20~30時間程度だったように思います。図面がある程度かけるようになり、任される仕事が増えてきた時期です。仕事の指示自体は変わらず上司からされるのですが、指示された担当分の図面を、締め切りまでにどういうペースで描くかなどは任されているため、進捗の把握が段々甘くなってきており、残業は、私から申し出て行う形になっていました。
4~5年目は、月30~40時間程度、忙しい時で60時間ぐらいでした。この頃には、新製品の耐久試験を構想から任されたり、開発案件を持つようになったりして、仕事の指示もかなり抽象的になっていました。残業は、ついに何も言わずに勝手にやるようになっており、上司も、何かわからないが仕事しているのだろうという風になっていました。なので、残業がほぼ通常業務の延長線上にあるような気分であり、とりあえず仕事が多い時は残業でなんとかするという雰囲気でした。
この時期から見て取れる会社側の問題点としては2点あります。仕事の進捗管理が個人に任されているということと、勝手に残業していても上司が何も言わないことです。また、この時点では、個人の頑張りでなんとかしても耐えられる仕事量だったので、間に合わないことは残業で、という癖がつきました。
5.中国の子会社へ出向
開発に配属されて5年弱働いたころ、中国の子会社へ半年間出向することになりました。2015年4月から10月までです。理由は、私のひと昔前の世代で行われていた、中国での仕事を通じた若手の修行制度を復活させようという動きがあったのと、中国の工場で新製品の耐久試験ができる環境を作るというものでした。たぶん、どちらかといえば修行の方が主な目的だったので、半年で帰ってくることは行く前からほぼ確定していました。この点は、後で重要になってきます。
さて、この時期の残業時間は、月80~150時間でした。これだけ時間外労働が多くなった理由は何点かあります。そもそもの制度として、当時の中国子会社は週6日勤務だったので、土曜日は普通に出勤していたこと。工場自体は週7日24時間動いているので、勤務が終わって帰っていようが日曜日だろうが連絡が来て、内容によっては会社に行かなければならなかったこと(滞在していたホテルは会社から徒歩10分だったのでそこは救い)。中国での仕事をやりつつ、日本でやっていた仕事の続きもやらないといけなかったことなど。まあざっくりいうと仕事量がすごかったのです。
ちなみに、150時間残業した月は、平日は平均4時間残業して、土日も全部会社に出て定時まで働いて、ただ、日曜日のうち2日間だけ半ドンで帰れたというものでした。ニュースや相談で聞いた時にイメージするのに役立ててください。
この時期の会社側の問題点として、会社側が現地の状況をあまりよくわかっていないということがあります。現地に行ったことのない人はそもそもよくわかってませんし、私より一昔前の、修行を経験したことのある世代の人は、この環境を普通に乗り越えたタフな精神の持ち主で、思い出話、笑い話としてこの期間の話をしてしまうので、しんどさが周りに伝わらないのです。さらに、会社の制度がそれに拍車をかけます。中国の子会社に出向になる人が管理職じゃなかった場合、残業40時間分の特別手当つきの、管理職扱いで現地に送られるのです。つまり、残業時間が一切カウントされず、正式な記録は残らないということです。どれだけやったかを把握しているのは自分だけ。これに関しては、労働時間の把握という意味でもダメですし、みなし残業で残業代未払いという意味でもアウトです。
そんな状態でもなんとか働けたのは、なんといっても、半年で帰れるということが大きかったと思います。半年我慢すれば帰れるという事実はなによりも心の支えになっていました。そして実際、割といろんな仕事をやりっぱなしのまま、後任に全部押し付けて帰ってきました。
以前、大阪過労死防止センターの総会で、海外赴任で過労自殺してしまった方の話を聞いたことがあります。その方は、命じられた仕事が終わらず、ずるずると滞在期間が延びていたそうです。日本だとそういう場合、死ぬぐらいなら辞めてどこかに行ってしまえばいいのですが、言葉も通じない海外だとそうもいかない。本当に辛かっただろうなと思います。海外赴任は期限を切ること、現地の状況はいつも気にかけて把握すること。会社側はその2点に気を付けないといけません。
6.日本に帰ってきてから
中国出向が終わり、日本に帰ってきて、また同じ新製品開発の部署に配属されました。仕事の内容も以前とほぼ変わりなかったのですが、時間外労働は増えており、通常は月50~60時間、年に2か月ぐらい忙しい時があり、その時は90~100時間程度となっていました。
時間外労働が増えたのは、新製品を試してみたいという会社が増え、自社で完結する性能試験、耐久試験だけではなく、他社相手の試験が増えてきたからです。そうすると、今まで社内でやっていた試験とは違う要求がいろいろ出てきて、負荷のかけ方が複雑化したり、精密に測定しないといけなくなったり、台数が多くなったりして、手間がかなり増えました。また、試験をしながら報告書を暫時出すことも必要になり、社内の簡易なものではなく、それなりに手の込んだものを作る必要が出てきて、それも手間でした。上述した年に2ヶ月ぐらいの忙しい時とは、その試験開始時期が数社重なったり、その新製品の耐久試験中に製品が壊れて、そのリカバリにおおわらわになったりした時です。
また、ノウハウのない新しい試験をやる場合は、手分けがしにくいことも問題でした。負荷の計算はこれでいいのか、このコントローラで本当に理想の動きができるのか。上司に相談はできるものの、結局、装置のイメージが共有できてないので、実際に装置を構想するのは自分ひとりということになりがちです。そんなこんなで、時間外労働が以前に比べてかなり増えました。
ちなみに、私の時間外労働は前述した通り、通常は月50~60時間、忙しい時は月90~100時間程度だったのですが、公式な記録では、通常は月42時間、忙しい時は月80時間です。これは、社内の労働組合と会社が決めた36協定で、「時間外労働は月42時間まで、年3回は申請すれば80時間まで可」と決まっていたからです。ただし、これは、36協定違反を防ぐために会社に勝手に減らされたとかではなく、私自身が、申請したり時間外労働超過でやいやい言われるのがめんどくさくて、残業時間を適当にごまかしていたからです。入社当初は、残業時間が手書きの用紙での申告だったので、簡単にごまかし放題でした。しかし、私が中国に行っていたぐらいの時に、ICカードによる出社時間と退社時間の記録が始まりました。なので、電子記録上は、出退社の時間をごまかすことができなくなりました。ただ、結局なんとでもなるもので、出退社の時間は自動的に記録されるものの、残業時間の申告自体は結局自分でアプリケーションを使ってやるので、そこで少ない時間を申告し、なぜ会社内に残っていたのかの理由を適当に書けば、それで大丈夫でした。なので社内の記録では、私は、月の後半になると、定時の午後5時30分から午後9時とか10時まで、社内の休憩室に置かれていたルームランナーで体を鍛えていたことになっています。
7.なぜ辞めようと思ったか
さて、そんな生活を送りながら、なぜこの会社を辞めようと思ったかですが、主に2点あります。
1点目は、単純に忙しい時の労働がしんどかったこと。時間外労働が月80時間を超えるような業務は、私には無理でした。
2点目は、嫌な業務が増えてきたからです。こっちが納期を破りまくっている客先の対応や、ある客先が試験の様子を見に来た時に競合他社向けの試験を隠す作業など気の進まない業務はいろいろあったのですが、1番嫌な業務は、耐久試験をしていた製品が壊れた時でした。新しい製品を急ぎ手配したり、壊れた原因を探る作業も大変なのですが、それ以上に嫌だったのが、報告書です。
客先向けの試験品が壊れた時は、破損したことと、考えられるもっともらしい破損理由、その改善策などを付けて、再試験させてくれという報告書を作ります。それを考えるのも面倒ではあったのですが、それができる客先はまだましでした。絶対に失敗できないとされていた客先へは、あたかも破損してないように報告書を偽造したのです。
どんな感じで偽造していたのかというと、そもそも、そういう客先の場合、試験開始時点で余分の台数を試験にかけます。相手から例えば「3台試験にかけて3台OKだったら使ってみる」と言われた試験なら、うちの会社は9台ぐらい試験にかけていました。そして、最初報告していたNo.1、2、3の内、No.1が壊れたら、そのNo.1のデータの続きはNo.4が引き継ぐという形で報告をしていたのです。そして、さらに壊れまくって、ついに7台壊れて2台しかないという状況にすらなったことがありますが、その場合も、観念して壊れたことを白状するのではなく、それらしい、完全に空想のデータで結果を埋めていました。こういう偽造の何が嫌かと言って、「こういうデータならそれっぽい」みたいな身のない打合せを上司と真面目にやらないといけないのが嫌でした。で、そのあほらしい打合せをするために、定時後、上司が会議から帰ってくるまで待っているなどという時は、私はいったい何をしているんだと思っていました。
このへんのことを考えると、やりがいというものは意外と大事なんだなと思います。自分が誰かの役に立っている実感、自分のやった仕事が何かの礎になっていること。その感覚がない仕事は、同じ時間働くにしても結構心に負担がきます。ニュースや相談で、企業の追い出し部屋の話なんかを聞いたりすると、どうしてわざわざ楽な仕事の部署にしてくれたのに辞めるんだろうと思っていましたが、意味が感じられないことを延々やらされるのはやっぱりしんどいのかもしれません。
8.なぜ、なかなか辞められなかったか
実は、本格的に辞めようかと思い始めたのは、実際に辞める1年以上前でした。なぜすぐに辞められなかったのか。理由は3点ほどあります。
1点目は、忙しくないときに気持ちがクールダウンしたこと。当時は、月50時間ぐらいの残業はまあまあ大丈夫でした。今は、相当甘やかされているので、多分、月10時間ぐらいでも音を上げると思います。
2点目は、引継ぎが大変そうだったことです。前述の、個人が仕事を抱え込む雰囲気と手分けがしにくい新規試験、それに加え、私自身が報告連絡相談をかなりサボっていたため、私しか知らないことや、私しか動かせなかったり、動かし方を変更できない装置などがまあまああり、それらを全部ちゃんと伝えることを思うと頭が痛くなりました。
3点目は、悪いことをいっぱいしていたことです。この悪いことというのは、報告書の偽造という法律レベルでの悪いことではなく、上司に報告していない悪いニュースがいっぱいあったということです。上司に承認を得ずに勝手に返事した客先や、納期的に間に合わない試験装置など、話したら怒られそうなことが数多くありました。これらのことは、2点目の引継ぎが大変な理由の一端でもあります。
また、幸いにして、私は独身で、趣味もゲームと読書というそんなにお金のかからないものだったので、金銭面での不安はありませんでした。しかし、世の一般の方は、大方が扶養すべき家族や介護すべき親を持っており、そういう人は辞められない理由に金銭面での不安もあるでしょう。私が受けた相談者でもそういう方がおり、軽々に退職を勧めるものではないなと反省したことがあります。
9.なぜ辞められたのか
そんな状況で、なぜ辞められたのかは、たまたま2つの偶然が重なったからです。
1つ目は、私が糖尿病で入院したこと。今まで積み重ねてきた不摂生が、多分エナジードリンクの飲みすぎを契機として爆発して、吐き気、体のだるさ、のどの渇き、頻尿などの症状が出ました。病院に行くと即入院と言われ、緊急で2週間ほど入院しました。その際、日常的にやっていた業務は強制的に引継ぎがされたので、辞められない理由だった引継ぎの大変さが軽くなった感じがあり、辞めると言い出す弾みになりました。実際は全然そんなことなかったのですが…。
2つ目は、退院したタイミングで、査定について、上司と1対1での定期面談があり、次の半年間の目標みたいなことを聞かれたことです。そこで、ポロっと辞めたいと思ってると告げたところ、じゃあ辞める準備をしようかということになり、懸念だった引継ぎも、チーム単位で協力してくれました。
このことから感じることは、辞めたいけど辞めると言い出しにくいと思っている人は、体や心が壊れる前に、一回思い切って辞めるって言ってみたらどうかということです。私のような協力的なケースばかりではないでしょうが、逆に言うと、私のような協力的なケースもあるでしょう。言ってみないとわかりません。もし会社が辞めさせねえぞという態度を取ってくるなら、その時考えればいいと思います。
そんなこんなで、2020年12月末、無事に会社を辞めることができました。補足ですが、引継ぎはやっぱり大変で、有給消化期間に入っても終わらず、有給20日間のうち、17日ぐらい出社して引継ぎ作業をしました。そんなにかかったくせに、悪いことについては、多くを隠したままうやむやにして退職してきたのですが、退職後何も連絡がないということは、なんとかなったのでしょう。そんなものです。
10.長時間労働の原因は何か
さて、今まで全体の話を踏まえて、長時間労働の原因は何かというのを考えてみます。
1つ目は、「時間外労働の量を軽視する風土」です。中国出向のところでもちょっと触れましたが、私のいた部署は、月80時間超の残業をものともせず働いてきた人たちが上司、先輩にごろごろいました。なので、終わらない仕事は残業して終わらせるのが普通で、残業時間は定時の延長という感じでした。残業が当たり前になってしまうと、それを改善するという意識がそもそも無くなってしまいます。
余談ですが、ある日、開発部の課長クラスのAさんが、朝からマスクをして、咳き込むなど調子悪そうにしていました。それでも、午後8時頃まで、2時間ぐらい残業して帰りました。その際、Aさんが部長に対してした挨拶が、「体調がすぐれないので早退します」だったそうです。Aさんは、普段から冗談ばかり言っている人だったので、これも冗談半分の挨拶だったのでしょうが、この状況については、部長もさすがにいかんなあと言っていました。
2つ目は、「ずさんな労働時間管理」です。これは、システム面の話と人間面の話があり、システム面は、労働時間管理のシステムがいくらでもごまかしの効くものであること、人間面は、誰もそのごまかしを怒らないことです。労働時間の管理がされてないから、それがどんなに多くなっても誰も意識しなくなっていきます。
問題がよくわかるエピソードとして、手書きの用紙で残業時間を申告していた頃の話をします。当時は、月一回、その月の残業時間をA4の用紙1枚にまとめて申告していました。ある月、ちょっと少なめの時間を書いた用紙を提出した時、上司と次のような会話がありました。「本当はもっと残業してるよなあ」「もっと残業してますねえ」「してるよなあ」「「わっはっは」」。私も含め、当人たちに労働時間管理の意識がないことがよくわかる話でしょう。
3つ目は、「個人個人が案件を抱える状況」です。
開発という部署である以上、ある程度は仕方がないのですが、前述の通り、私は自分の仕事を人に分担しにくい状況に陥っていました。そういう状況だと、どうしてもグループ内で仕事の分量に偏りが出ます。実際、私のいたグループでも、残業時間が月10~20時間ぐらいの人もいれば、月80時間以上やってる(その人も適当に申告していたため、正確な時間はわからない)人もいました。
4つ目は、「怒られたくない気持ち」です。
私が何かする時のモチベーションは、基本的に、誰かから怒られたくないという気持ちです。上司からも怒られたくない、組合からも怒られたくない。だから、長時間のサービス残業をした、というわけです。
ではそういったことに対して、どういう風に対策すればよいのか。
11.長時間労働を防ぐには
長時間労働を防ぐために、どういったことを考えて行動すればよいのか。4点ほど考えてみました。
1つ目は、「時間外労働が月40時間を常態的に超えるのは異常という認識を会社(や組合)に持たせる」というものです。
具体的な数値目標を作って、そこを目指すようにしないと、改善はやりにくい。そこで月40時間というのはどうだろうかということです。
もちろん、労働時間なんてものは短ければ短いほどいいので、時間外労働は0時間を目指すのが一番いい。ですが、0はあくまで理想です。理想ということは、到達できなくてよいという意識になってしまいかねないということです。
ひとまずは、健康を害する人が出かねない、異常な状況を正さないといけない。これは理想ではなく、当たり前にやらないといけないことです。その目安として私が提案したいのは、労基法でも定められている、「週の規定労働時間40時間に対して、時間外労働が月40時間以内」です。正直、今の私の働き方からすると、40時間でもしんどいですが、会社員時代、時間外労働が50~60時間ぐらいの月には辞めたい気持ちが沈静化していたことを考えると、法的な根拠もあるし、意外と良い目標ではないでしょうか。
2つ目は「労働時間の管理システムをちゃんとする」ことです。
これは、システム面、人間面両方です。
システム面の話で言うと、労働時間が自動的に記録されるシステムにする、ということになります。私の会社がそうだったように事務所や現場への入退室履歴の記録だったり、PCの電源オン、ログインの履歴の記録、トラック運転手ならデジタコによる運転時間の記録などでしょうか。ただ、働き方にもいろいろあります。これらにあてはまらない、営業やリモートワーク、出張仕事などの記録をどうすればいいか。なかなか難しい。
人間面の話で言うと、労使ともに労働時間の管理に協力することが大事です。私が入退場時間が記録される会社でごまかしていたように、当人とその上司にちゃんと記録する意志がなければ、どんなシステムがあってもごまかすことはできます。
なので、労働者本人はごまかさず労働時間を記録する、上司やシステム担当は、記録された労働時間をちゃんと見て、長時間労働やごまかしがあったらちゃんと本人と話し合って是正する、という労使両方から努力して労働時間を正していく必要があるでしょう。その姿勢が生まれることで、1つ目で設定した労働時間の数値目標も生きてくる。ケンカしてる場合じゃないぜ!
3つ目は、「仕事の分担ができる仕組みづくり」です。労働時間の平均化は、長時間労働を防ぐ手立ての一つでしょう。それをやりやすくする仕組みを作る。
ただ、どうやればいいかは仕事ごとに違うでしょうし、やるべきことが決まっても実現はなかなか難しいことが多いと思います。例えば私のいた部署で考えると、「案件は最初からチームで関わるようにする」とか「逐一マニュアルやフローチャートを作る」ということがまず思いつきますが、私が今これらのことをまず思いついたのは、実は当時からそういう取り組みがあったからです。しかし、うまく効果は発揮できませんでした。
最初からチームでやったとて、時間がかかる試験条件の設定や装置の構想が分担できなかったり、マニュアルやフローチャートを作れるぐらいの定型的な作業なら、それを作ったとてそれほど時短にはならなかったりと、やはり一発のアイデアでひっくり返るようなものではない。
とはいえ、効果0だったわけではないし、そういうことをやろうとすること自体が仕事を分担していこう、チームでやっていこうという心構えを作ることになると思うので、いつもこのことを念頭においてどうすればいいかを労使共に考えていかないといけないでしょう。
4つ目は、「がんばりすぎない」です。
この講演をした時、参加してくれたユニオンの人から、「納期なんてやぶっていいんですよ。堂々と帰ればいい」という感想をいただきました。その通りだと思います。仕事をちゃんとしなければいけないから長時間労働するのではなく、適正な労働時間になるように仕事を調整しなければならない。それができていない会社なら、仕事をがんばりすぎなくていいと思います。
以上が、私の長時間労働体験記です。最後の長時間労働対策は、抽象的な話が多くて申し訳ありませんが、これからもいろんな人の相談に乗りつつ、具体的なことをじっくり考えていきます。みなさんの何かの参考になれば幸いです。
関西労災職業病2025年11・12月571号

