とび職人のアスベストばく露被害、中皮腫サロン参加から労災請求相談へ●大阪

2022年5月中旬、毎水曜日午後1時30分より開催されている中皮腫ズームサロンに参加した。

その日は新メンバーが参加していた。私は中皮腫ズームサロンに参加して約2年しか経っておらず、メンバー全員を知っているわけではないが、その方は右田さんの紹介で初めて参加したものであった。ご自宅が大阪市此花区ということから、私が窓口となってその方の労災相談を受けることになった。当日は15名ほどが参加しており、個別の対応は参加された人達の迷惑と思い、中皮腫ズームサロン終了後に右田さんより連絡先を聞き、後日詳細を伺うこととした。

同月21日、相談者に連絡を入れ相談内容を聞いてみると、4月初旬、夫が突然に息苦しさと咳を訴え、近隣の診療所を受診したが、レントゲン検査の結果、肺が真っ白でその医院では対応できないと言われて大阪病院(旧大阪厚生年金病院)を紹介され、その日のうちに大阪病院へ向かい入院することとなった。

胸水を抜いて詳しい検査をし、4月14日から4月18日まで入院、19日には一旦退院し、同月28日に外来診療で胸膜悪性中皮腫と確定診断を受けた。この病気の治療の専門医である兵庫医大を紹介され5月6日に受診し、胸水を抜くため5月10日に外来予約をしてあったが、その前に様態が急変したため、入院し手術(胸膜癒着術)を行い、5月14日退院したものであった。胸膜悪性中皮腫という聞き慣れない病名であったことから、インターネット等で調べていて「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会」の事を知り、右田孝雄さんにつながり、中皮腫ズームサロンに参加したものであった。電話の最後に、ご主人からもより詳しい話を伺うため、6月5日にご自宅でお会いする約束をした。

6月5日午後2時より詳細を伺うためにご自宅を訪問した。病状については事前に伺っていたので、職歴について詳しく聞き取りを行った。

防水工として4年勤務、配管工で3年勤務、飲食業に3年勤務、工務店に5年勤務、とび職では26年勤務しており、各々の職業についての業務内容を伺ったところ、石綿にばく露した疑いがあるのは最終職場であるとび職の可能性が高かった。

平成6年から令和元年までとび職として勤務したが、当初の事業所名M組であったのが平成21年6月から株式会社A建設に社名を変更していた。これは社長が長女に会社を譲渡したためで実体的には全く同じ会社であった。

とび職での主たる業務内容は、ビルの外装工事や建築物件の内装工事での足場の設置及び撤去、鉄骨等の組み立て等だった。室内での足場の撤去作業などは、内装工や配管工、電気工、左官などの作業が混在する中で行っており、飛散した石綿を含有する粉じん等に多くばく露した。またエレベーターシャフトと呼ばれる縦穴内部の足場の撤去については、当時、石綿を多く含有する断熱材が多数使用されており、密閉空間で多量の石綿にばく露した。

平成7年の阪神淡路大震災の時は、震災直後から4年間にわたって、三宮周辺及びポートタウン周辺の瓦礫撤去や復興工事を手伝っていた。

これらの内容で、とりあえず、石綿健康被害救済法と労災保険、どちらも準備するようにした。

しかし話を聞いていくうち、少し不明な点が出てきた。①労災適用事業か否か、労災加入していたのか否か、②賃金体系、③労働者性、これらの点について確認するため、会社と面談できるよう相談者に依頼して聞き取りを終わった。

数日後、気になったことがあったので、法務局に出向いて、M組及び株式会社A建設の法人登記をしらべたところ、法務局では法人登記されていなかった。また、労災保険も払っているのかどうか、株式会社であれば当然労災適用事業なので問題ないと思うが、実際のところは一人親方なのか労働者なのか、とにかく不明な点がある会社である。

7月に入って、相談者から、会社が会って話しをききたいと言っているとの連絡があり、7月21日に相談者の自宅で株式会社A建設の社長と会うこととなった。

株式会社A建設の社長は女性で父親から平成21年6月に会社を引き継ぎ、会社の名称をM組から株式会社A建設に変更し現在に至っているとのことであった。社長は労災申請に対して協力姿勢を見せるものの、会社になにがしかの損害が生じないかと心配しているようだったので、特に影響はないと説明した。また、労働基準監督署の指導で3年前から労災保険に加入したようである。しかし厚生年金に加入していない点を指摘すると「知らなかった」と答えが返ってきた。しかし、会社は労災申請に関しては全面的に協力することを約束した。

書類が全て整ったので、8月16日に西野田労働基準監督署に労災申請を行い、一連の経過を説明した。その間、ご主人の様態は急変したりして一進一退を繰り返し、10月12日にご自宅で息を引き取られた。兵庫医大への通院もままならないくらい体力が低下して、歩行は困難なため訪問診療してくれる病院に変更したものの治療の甲斐なく、残念な結果となった。発病から約5ケ月であった。

相談者が精神的に落ち込んでいるため少し時間をおいて連絡することにし、11月5日に遺族年金、葬祭費の説明と書類作成のためご自宅に出向き、後は労災の決定を待つことにした。

年が明けた2023年1月、大阪労働局に電話し進捗状況を尋ねたが、現在調査中であるとの解答であったので、早急な決定を求めた。

2月のある日、相談者から電話が入った。「遺族年金の書類が来た」と言うが、本人もまだ何が何だかよくわかっていないようで、一端電話を切って、西野田労基署に電話で問い合わせたところ、「支給決定」との返事をもらった。折り返し、相談者に電話を入れ、正式に労災と決定されたと教えた。あとの手続きについて順次、西野田労基署から説明が入るので、指示された通り手続きをするように伝えた。

今回の労災決定に関しては、何点か問題があったにも関わらず約6ケ月という早期決定であった。本人及び遺族が早期救済された事は今後の被災者たちにも生かされ、大きな成果につながってほしいものだ。(事務局 林繁行)

関西労災職業病2023年4月542号