胸膜癒着術から酷い息切れ-胸膜中皮腫患者の前向き一辺倒-闘病記~死ぬまで元気です/55 右田孝雄

皆さん、こんにちは。私は相変わらず気持ちは元気です。

しかし、年末の胸膜癒着術から体調の変化は目まぐるしく、先日行った兵庫医科大学病院での造影剤CTの画像では腫瘍は上部に増大しているようでした。

実際体調の変化に気付いたのは先月行った熊本市での交流会でした。この日は10年に一度の最強寒波が日本列島を覆い尽くし、熊本にも雪が降るほどの寒さでした。熊本での宿泊先のホテルに到着したのは、夕飯にはかなり早い時間でしたので、近くにあるという熊本城へ、キャラバン隊として先着した5人で歩いて行きました。ところが少し歩いただけで息が上がるんです。最初は異常な寒さのせいかとも考えました。しかし、熊本城のお堀に到着したら寒さも息切れもいつも以上に酷いので、言葉も出てきませんでした。

熊本城下の城彩苑に到着したのは午後4時30分で、天守閣には入場できない時間となっていました。一緒に行った平田さんは、先に昼間に到着してすでに熊本城を訪れていました。その平田さんが、「もう少し上に行ったら、ドーンと熊本城が見えるよ」ともう引っ返そうかと考えていた他の方たちの気持ちを揺らすんです。温かいくまモン焼きを食べて、その言葉に唆されてまた階段をゆっくり上って行きました。

@熊本城

普段ならここまで息切れするかなと思いながら上りました。ところが、上に行けば行くほど木や林が邪魔して天守閣が見えないんです。それでも「もう少し上に登ればドーンと見えますよ」という平田さんの言葉に騙されてついに二の丸庭園まで行きましたが、天守閣は林が邪魔して見えませんでした。私の息切れはもう酷くて、天を仰いで深呼吸するのですが、その深呼吸が途中で止まり、酸素がまともに入ってこない気がしました。息を整えるために、しばらく二の丸庭園から見えない天守閣の方を見ていました。

ここまで、息切れが酷いのは初めてで、すぐにでもパルスオキシメーターで酸素飽和度を測りたい気持ちでした。この息切れはホテルに戻ってからも酷いもので、早歩きを少ししただけで顕著に息苦しさが出てきました。おまけに咳まで出てきたので、乗り物に乗るのにも気を使いました。

酸素ボンベを考えるのも時間の問題となってきたのでしょうか。胸膜癒着術をして、右肺が硬くなり膨らんでこなくなったのも受け入れて、これからどう活動するかも考えなくてはいけないところまで来たのかもしれませんね。
皆さん、私は死ぬまで元気でいられるように考えます。

関西労災職業病2023年2月540号

悪性胸膜中皮腫と言われてどこまで生きれるかやってみよう!とおかげさまで5年経過達成しました~平成28年7月突然の「悪性胸膜中皮腫」確定診断。その後「中皮腫サポートキャラバン隊」中心に全国行脚を展開しながら治療を続けてきました。これからは目指すべきものの達成に向けて鋭意活動中です。(右田孝雄氏のブログ)

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