名村造船所マンガン中毒労災認定闘いの記録ー14.Y氏の労災認定に関する補足意見書/全港湾建設支部名村分会

Y氏の労災認定に関する補足意見書

1980年9月24日

全港湾建設支部名村分会

Y氏の労災認定申請に関して先に職歴や名村造船における作業実態等についての意見書を提出している訳であるが、本件の労災認定作業が貴労基署においておおづめをむかえている現在、先の意見書では不充分であった点について(Y氏の名村造船所における作業実態を中心に)再度補強的に意見書を提出するものである。

1. エンジン場における溶接棒の使用量について

まず、エンジン場において溶接棒を使用する作業者の人数であるが、通常の場合においても、エンジン場の上中下段合わせて電気溶接工10人、鍛治屋工4組(2人1組)であり、作業のピーク時においては、電気溶接工は14~15人にも達する。さて、1日でたく溶接棒の量であるが、電気溶接工の場合には1人1日約12kgの溶接棒をたき、鍛治屋工の場合は約3.5~4kgである。従って、エンジン場で1日当たり使用される溶接棒の量は、(12kg×10人)+(3.5~4kg×4組)=134~136kgとなり、ピーク時においては、200kg近くもの溶接棒が使用されることになる。次にこの1日の数値から1年間の使用量を計算すると実に年間4万kg~5万kgの溶接棒がたかれることになるのである。この莫大な量の溶接棒の煙を半密閉的なエンジン場内で吸いながら年中Y氏は仕事をしていた訳である。

当時(73年頃)造船量の進水量は非常な高位の水準にあり、名村造船所においても2台の船台がフル稼動していた。ほぼ2ケ月に1隻、年間6隻の船が進水する状態であった。こうした中でY氏も月最低30時間、最高50時間の残業を強いられていたのである。従って、Y氏の場合、当時において、1日たりともマンガンを含んだ溶接の煙を吸わなかったことがないと云い得るほどの実態であった。

2. Y氏の作業状況について

Y氏の作業を簡単に説明すると図(1)のエンジン場内のパイプをボルトによって接合していく作業である。この中で最も特徴的な作業を説明すると図(2)のようになる。


つまり、高さ3mの半密閉的な部室の中で、高さ1.8mの足場の上に乗りながら、天井下20~30cmのパイフ゜のボルト締めを中腰の姿勢で頭をパイプの間につっ込みながらする作業である。この際、その真下ではブラッケット等の溶接する作業者がおり、その溶接の煙を逃げ場がなくまともに受けながらボルトじめの作業をすることになるのである。付記すると溶接の煙は、溶接棒をたくとそのまま上に上昇し、天井付近に一番滞留する。従って、天井付近が一番濃い溶接の煙が存在するのである。Y氏の場合、この図2のような姿勢で作業する場合が一番多く、全体の作業量の半分以上を占めるのである。再び図1を見るとわかるように、パイプはエンジン上中下段のそれぞれ床下と天井を通っているが、パイプの数は天井の方が多い。従って、仕事は自然図2のような姿勢で行うことが多いのである。

換言すれば、Y氏は、図2のような所で、溶接の煙の一番濃い所で、しかも、年間4万~5万kgの溶接棒がたかれる半密閉的なエンジン場所でマスクもつけずに作業していたのである。このようななかではマンガン中毒によるパーキンソン症状が発生する可能性があることは容易に想像できるのである。

ファンの役割について補足すると、吸気と排気の相方がある訳でなし、排気のみであり、結局、ファンがあっても種々の粉じんを含んだ空気をかくはんするにすぎないのであり、上で述べた作業環境の実態は少しも改善されないといいうるのである。

以上