死ぬまで元気です 4 胸膜中皮腫患者の前向き一辺倒-闘病記-余命2年と言われて5年目を生きる 右田孝雄
こんにちは、 中皮腫患者として 「中皮腫サポートキャラバン隊」 を名乗って全国でピアサポート活動させてもらっています。
過去3回は私の金髪のエピソードについて書きました。今回からは去る6月1日に行なわれた「省庁交渉」の裏側について書きたいと思います。
実は私は昨年7月14日、省庁交渉に初めて行きました。 関西労働者安全センターの酒井恭輔さんや後に一緒に活動をする栗田英司さんに誘われて参加しました。 もちろん衆議院会館なんて行ったこともなく、まるでお上りさんが東京見物にでも行くような気持ちでした。 衆議院会館に到着するや案内されるがままに会場に入ると、 暫くして省庁交渉は始まりました。周りは初めてお会いする方々ばかりでした。 役人と呼ばれる方々の回答に、 ヤジや怒号さえ飛んでいて、最初はビックリしていましたが、そのうち私の中に、 ある違和感が生まれていました。省庁側の役人は20歳代から30 歳代の主任や係長クラスばかりではないですか。 しかも、少し突っ込んだ質問をされると、 「持ち帰って検討します」 とこれが常套手段のように、 あちこちの質問に返答されていました。 当然その度に会の方々は怒声を浴びせるのですが、 役人には薄ら笑いを浮かべる者までいました。
こりゃダメだ。これが私の印象でした。ご遺族の方や支援者の方が必死で訴えても、 役人には響いていないのが分かりました。そこで私は、来年は患者をここに何人も集めようと思ったのです。
それから2か月後、「中皮腫サポートキャラバン隊」として活動していったのですが、その中で出会った患者さんに意外と元気な患者さんがいることが分かりました。10 月の全国事務局会議の前に私は、 全国事務局の松島恵一さんに 「来年の省庁交渉には患者を50人集めて役人の度肝を抜きたいと提案して欲しい」と訴えました。そして、後日松島さんから返ってきた答えが 「100 人集めようってことになったから」 でした。 私は内心無理じゃねえのか?と思ったんですが、 事務局ではどうせなら100人集めようってなったと聞いて、 私もやり甲斐あるじゃないと闘志を燃やすに至った訳です。
それから当日までの約8か月間は過去のどんな場面よりも濃厚で、 私にとって人生初のことが多々あったので、 やり遂げた時の達成感は過去にない充実を味わえた気がしました。次回はその濃厚な経緯を書いていきたいと思います。
『関西労災職業病』2018年7月(490号)