建設アスベスト訴訟/福岡高裁でも国と企業(建材メーカー)に勝訴2019/11/11
5つめの高裁判決勝訴
日本に輸入された約1000万トンのアスベストの7~8割が建材に使用されたとされる。
その製造現場=建材製造工場で多くの被害を出したが、製品として出荷された建設現場でも膨大な被害を生み出した。
「国と建材メーカーは危険性を認識しながら、建材の製造・販売を継続、容認した」として、国と建材の責任を明らかにし、損害賠償を求める裁判が全国で進められている。
それが「建設アスベスト訴訟」だ。
全国6地裁(札幌、東京、横浜、京都、大阪、福岡)での提訴ではじまった裁判闘争の五つ目の高裁判決として注目されてきた福岡高裁判決(九州1陣)が去る11月11日に言い渡された。
判決は全面勝訴とはいえないながらも、国と企業の責任を認め、身分上労働者でないとされる一人親方に対する国の責任を認めた。その意義と今後の課題については、以下に紹介する原告団・弁護団声明を参照されたい。
2019年11月11日
建設アスベスト訴訟福岡高裁の判決に対する「声明」
九州建設アスベスト訴訟原告団 ・弁護団
九州建設アスベスト訴訟を支える会
1 本判決の概要
本日、福岡高等裁判所第5民事部(山之内紀行裁判長)は、九州建設アスベスト訴訟(一陣)(原告数54名、被害者28名)で、国及び建材メーカーの責任を認め、国に対して総額2億2082万3304円、建材メーカー4社に対して総額1億2636万1558円の支払いを命じる被害者ら勝訴の判決を言い渡した。
建設アスベスト訴訟は、 建設現場での作業で石綿建材から生じた石綿粉じんにばく露し、 石綿肺、 肺がん、 中皮腫などの重篤な疾患に罹患した建設作業従事者とその遺族が、 国と建材メーカーに損害賠償を求めている裁判である。 これまでに全国で、 7 つの地裁判決及び4つの高裁判決が出されており、本判決は5 つ目の高裁判決である。
2 国の責任について
(1)本判決は、国の責任について、泉南アスベスト訴訟最高裁判決などで示された「労働者の生命や健康を保護するための労働関係法令に基づく 国の規制権限は、適時適切に行使されなくてはならない」との法理に則り、 1975(昭和50)年10月1日から2004(平成16)年9月30日まで警告表示(掲示)の義務付けに関する規制放置の責任を認めるなどし、 賠償を命じた。
この間の責任時期は、 原判決よりもその終期を9年ほど遅らせており、 救済の範囲を拡大したものとして高く評価できる。
建設アスベス ト訴訟において国の責任が認められたのは、 これで連続11回目である。
(2)しかも、本判決は、東京高裁第10民事部判決、大阪高裁第4民事部判決、大阪高裁第3民事部判決に引き続いて、いわゆる「一人親方」に対する国の責任も認めたものであり、一人親方のアスベスト被害についても国に責任があったことは、 もはや疑いのないところとなった。
3 建材メーカーらの責任
(1)本判決は、被害者26名の石綿関連疾患発症について、 その主たる原因となった建材を製造・販売したA&Aマテリアル、ケイミュー、ニチアス、ノザワの共同不法行為責任(民法719条1項後段を類推適用)を肯定して、損害賠償を命じた。
アスベストが重篤な疾患を引き起こす危険物であると知っていながら、十分な警告表示すらも行わないままに石綿建材を製造・販売してきた建材メーカーの責任を認めたものであり、 個々の被害者の命や健康を奪ったアスベストはどの建材メーカーのものであったのかという立証上の難問を乗り越えて、 被害を埋もれさせなかった本判決の判断は極めて正当である。
(2)本判決で責任が認められた建材メーカーは4社であるものの、 本判決が採用
した被告企業絞り込み基準は本件原告を救済するのには十分だったが、 共同不法行為論を用いる場面としては、絞り込みの基準はより緩やかであるべきだった。これは本件九州訴訟の被害者らの職種などといった事情による結果にすぎない。アスベストの危険性を認識しながら利益追求を優先して警告表示すらも怠ったまま石綿建材の製造・販売を継続した違法は、 すべての建材メーカーに共通しており、 本判決で責任が認められていない建材メーカーが無責であったと考えるべきではない。
4 ただちに全面解決を
建設アスベストで国に規制放置の責任があることにはもはや微塵の疑いもなくこれまでの高裁判決に本判決が加わったことにより、国の賠償責任の対象に「一人親方」が含まれることや、建材メーカーも被害者に対する損害賠償を免れないことについても、司法判断は固まった。本訴訟では、提訴から8年余りが経過した中で、 被害者28名のうち、 すでに23名が亡くなっている。 原告らの「命あるうちに救済を」 の願いは切実である。
建設アスベス ト訴訟の解決をこれ以上引き延ばすことは許されず、 国と建材メーカーは、ただちに、全面解決を決断し、すべての建設アスベス ト被害者の救済のために、 「建設作業従事者にかかる石綿被害者補償基金制度」の創設に着手すべきである。私たちは、 アスベス ト被害の救済と根絶のため、全国の被害者、支援者、および市民と連帯して、 今後も奮闘する決意である。
以上。
関西 (大阪&京都2陣) 訴訟、原告証言進む
関西建設アスベス ト訴訟では大阪2 陣、京都2陣において、 療養中の患者、遺族がぞくぞくと法廷で証言する中、 審理が進行している。
裁判原告には、 当センターが労災請求を支援した方や中皮腫サポートキャラバン隊のサポーターや患者と家族の会員の方が少なからず参加している。昨年9月20日、大阪地裁大法廷で証言した2名の男性中皮腫患者原告の声を弁論当日に配布された資料から引用して紹介したい。
弁護団ではさらに原告を募っており、 当センターとしても積極的に協力していくことにしている。(片岡明彦)
◆命のカウントダウンが始まってる恐怖と悔しさをわかって下さい
原告 TKさん
私は、34年間、短期間を除き電工として働き、その際、石綿粉じんにばく露し、2018年4月、岸和田徳洲会病院で悪性腹膜中皮腫と診断されました。病名を聞いたときは、頭の中が真っ白になりました。妻も、あまりのショックに何も言えず、黙って涙を流していました。その後に受診した大阪労災病院では「治療ができない」と断られ、「もうええわ」という気持ちになりましたが、 岡山労災病院が中皮腫の治験(オブジーボ)をしていると聞き、 「これが最後の賭けや」 という思いで治験に一縷の望みを託しました。しかし、そこでも体力が落ちているので、 抗がん剤治療はできるが、 治験を受けることはできないと断られてしまいました。やっとの思いで岡山労災病院まで来たのに、 治験を受けられないと思うと、涙が溢れてきて、言葉も出ませんでした。医師に「(余命は)1年ですか、2年ですか」と聞いたところ、「2年は、、、う一ん」 との答えでした。 それを聞いて、私は、 2年は無理なのだと思い知らされました。 それでも、 一秒でも早く治療を始めようと決めて、岡山労災病院で抗がん剤治療を受けることにしました。 妻も岡山市内にアパートを借りて、 私に付き添うことを決めました。
5月から抗がん剤治療を始めましたが、副作用の地獄でした。とくに、むかつき、吐き気は激しく、 食べ物の匂いがしただけでえずき、給食カートの音だけで、むかつきが起きるほどでした。食べることも眠ることもできませんでした。その後、入退院を繰り返しながら9月まで抗がん剤治療を続けましたが、 治療が終わったときには体重が10キロも落ちていました。
現在、 がんは顕微鏡で見ないとわからないくらいの大きさになり、 和歌山労災病院で月1回の経過観察を続けています。 しかし、いつ再発するかわからず、不安な気持ちでいっぱいです。診察のたびに、医師から「変わりありませんよ。」と言われるのを聞いてほっとするということを、毎日繰り返しています。
私は今から55年前の東京オリンピックの年に生まれましたが、余命宣告からすれば、 私は来年のオリンピックを見ることができません。 自分の命のカウントダウンが始まっていることの恐怖と悔しさをわかってほしいです。アスベスト建材を許した国、 作ったメーカーはその責任を認めて下さい。
◆私をこのような状況に追いやった中皮腫という病気を憎く思います
原告 KNさん
私は、 1987年から6年余り、 北海道で、電工のそばで電線を送り出す、 工具を手渡す、切断された建材を拾い集める、掃除をするなどの補助作業をしており、 電工が建材を切断したり、 穴を開けたりした際に飛散した石綿粉じんにばく露しました。
2016年12月14日、55歳のときに、悪性胸膜中皮腫と診断されました。 「もって半年から1年半、手術ができても、2年伸びるくらい」と言われました。私も家族もとてもショックを受け、 しばらくは誰もこのことを話題にできませんでした。母は、自分より息子が早く死ぬと言われて、呆然としていました。
家族と話し合い、 アスベスト治療の専門家のいる山口宇部医療センターで手術を受けることにしました。 手術をすれば少しでも長生きできる可能性があったからです。2017年2月、 左肺の全摘手術を行い、 術後放射線療法も行いました。
地元から遠く離れた山口での闘病生活の不安に加え、 激しい吐き気に襲われ続け、辛い日々が続きましたが、 家族の励ましでなんとかやりきることができました。10 月からは抗がん剤治療が始まりました。当初は6クールの予定でしたが、 激しい嘔吐や幻聴などの副作用があり、 白血球の数値の回復も遅かったことから、 1クールで中止となりました。
現在は北海道に戻り、 薬を飲みながら様子を見ているだけの状態です。 いつまたガンが再発し、 死んでしまうかもわからない状況で、 不安な毎日を過ごしています。
左肺を摘出したため、息切れが多くなり、自宅の階段の昇り降りやちょっとした会話でも息切れしてしまいます。また、左上半身を動かすと激しい痛みに襲われ、 衣服を着たり脱いだりするのも苦労します。
私には寝たきりの父と、 足が不自由な母がいますが、 私がこんな体になったため、両親の介護も十分にできなくなりました。収入がなくなったため、 介護施設やヘルパーを頼むこともできません。両親から「すまんな」「迷惑かけてごめんね」と謝られるたびに、 このような状況に追いやった中皮腫という病気を憎く思います。 子どもたちにもこれまで以上に介護の負担をかけてしまい、 とても申し訳ない気持ちです。
私は中皮腫となって、 アスベストがとても危険なものであると実感しました。 アスベストが危険だと知りながら、製造・販売した建材メーカー、 それを規制しなかった国には怒りを覚えます。 国や建材メーカーはいち早く責任を認めて、 解決のために動き出してください。
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