はつりじん肺訴訟が和解解決、提訴8年 大阪地裁~末端の建設労働者がゼネコンに責任を問う!

はつり(斫り)工15人の闘い

2009年12月21日に提起した「はつりじん肺訴訟」がついに終結した。準備期間を含めると10年以上を要したこの訴訟は、原告15名のうち3名をじん肺などで失いながらも、本年5月21日に全面的に解決したのである。

8年も過ぎれば使っているPCも何台か換わり、この原稿のために記憶を喚起しようと資料を探しても見つからないこともある。そこで記憶を頼りに報告を書こうとすると、「はて、あれはいつの話だったか」と不確かなことが多く、甚だ心許ない。しかし、はつりじん肺訴訟の原告は、必死になっておよそ40年前の記憶を呼び起こし裁判を戦い抜いたのである。しかも、彼らの記憶はのちのち現存する資料と付き合わせて確認するとかなり正確で、この諦めない姿勢が今回の和解につながったのだと考えられる。

訴訟の背景

粉じん作業によるじん肺被害については、最古の職業病とも言われるほど、非常に古くから知られている。わが国では戦後すぐに特別法制定の大運動がおこり、1955年に硅肺等特別保護法、1960年にじん肺法が制定された。じん肺被害の損害賠償責任を国や企業に求めるじん肺訴訟は、1970年代から多数提起されてきており、主に、炭鉱、鉱山、トンネルの労働者と家族が原告となってきた。当事者、各弁護団の多大な努力の成果により、企業責任が明確にされ、補償水準も定着し、和解で勝利解決するケースが多くを占めるようになっている。

このようなじん肺訴訟の歴史を念頭におくとき、今回和解したはつりじん肺訴訟は、これまで取り組まれたことがなかった、都市の建設現場で発生しているじん肺被害の責任を、元請であるゼネコンに初めて正面から問う集団訴訟である。加害者としてのゼネコンの存在と明確な被害をつなぐ立証の難しさから、被害に社会的な光が当たらず、これまで被害者が泣き寝入りをせざるをえなかった「大規模なじん肺被害」に対する加害責任の明確化と公正な補償を求めて訴訟を提起した。

立証の困難さ

はつり工は壊す作業を主な職務とする。はつり・解体はセットでもある。

作り上げるような作業はほとんどなく、そこに存在するものをはつって(斫って)無くすのである。そのため、作業をした跡は残らない。また、作業自体も、現場は違えど同じ作業の繰り返しであり、特別記憶に残るものでもない。また、自らが作業を行った現場をあとから思い出すことは限りなく不可能に近い。誰もが知っているような、大阪ドームとか梅田スカイビルなどの工事現場ですら、作業に従事していた当時からは想像もつかないような竣工時の姿なのである。加えて、新築の現場における現場名は仮称であり、高層集合住宅に付けられるようなハイカラな名称はどこにもない。多くの現場では防音シートなどで覆われており、はつり工は完成時の作業現場がどのような外観を見せるのかも知らないまま現場を去るため、実際に建物を見ても視覚から記憶が喚起されるわけではない。通常、建物を認識する際の指標は、1階のテナントや建物の壁の色などであり、住所などの文字情報ではないのである。そのため、現場までの道のり、エピソード、同じ職人からの聴取りなどありとあらゆる手段を用いて作業現場を見つけ出した。

準備期間だけでも数年の期間を要したが、原告たちは当初自分たちの足で現場を探したものである。裁判が終結した現在、同じ作業ができる者はほとんどいなくなってしまっている。

このような苦労をした結果、陳述書などの形式で原告本人の体験を裁判所に対して訴えるのだが、客観的な証拠ではないためその評価がたいへん気になるところである。さらに裁判の長期化に伴い裁判官の構成も代わっていくので、書面が読まれているとしても、各裁判官がどのような印象を受けるかということまでは分からない。そのような環境であっても、1年をかけて順番に行った原告本人による意見陳述と本人尋問は、直接裁判所に原告の声を届ける重要な機会であった。

本人尋問は2012年2月から始まった。体調が著しく悪かった村上武徳さんの尋問を行うべく証拠保全を2011年末に申し立て、翌年2月9日に尋問が予定されていたのだが、直前にお亡くなりになってしまった。同じ轍を踏まないように、体調不良を抱える原告について優先的に尋問を進めていくよう、徳田輝顕さん、そしてだいぶ時間をあけて知念清二郎さんが証拠保全のため尋問を受けた。このお二人と一緒に和解の日を迎えることができたのはありがたい話ではあるが、一方、比較的元気だと思われた安里正秀さん、浜川邦宏さんが終結を前に他界したことが何よりも悔やまれる。

全員の尋問が終わったのは2015年7月であった。

大林組への抗議行動

尋問が終わったのち、和解も含む進行協議が続けられた。弁護団による粘り強い交渉が約3年続いたことになる。原告も毎月集まって進行状況を確認し、必要な資料があれば探索するという日々を過ごしていた。

個別の和解は先述の知念さんと金城武次さんについて和解が成立したが、このお二方と伊良皆正吉さんを除くと全員が複数の被告を相手に戦っているため、被告側の足並みが揃わず、なかなか進展がなかった。とりわけ大林組は抗戦姿勢を崩さず、「大林組の現場は予定通り作業が進むので、はつり作業はほとんどない」というような世迷い言すら書面で主張していた。

このような中で、和解直前ではあったものの、大林組への抗議行動を行った。2017年10月19日、コミュニティ・ユニオン首都圏ネットワークのお世話で「1日行動」に参加させて頂き、首都圏の労働組合とともに合同で順番にそれぞれの争議先へ抗議行動に出向き、その初っ端に大林組を入れてもらったのである。

東京の品川にある大林組本社前に、数百人の人々が集まり、一斉に抗議をするのであるから迫力がないはずがない。参加した原告は新垣実さん、末吉茂正さんで、普段は大人しいふたりもこの大人数の前に腹をくくり、お礼の挨拶を述べたり、大林組の職員を捕まえていつまでも抗議を続けたりしていた。また、大林組だけではなく、力の続く限り他の組合への支援のために半日行動を共にしたのは、お二人にとっても良い経験だったと思う。

原告の声

和解記者会見での原告らのコメントを紹介する。

■岡山義昭(原告団長)

平成21年12月に訴訟を提起してから8年という長い年月が経ちましたが、今回和解が成立したことは私たちが辛抱強く戦い続けた成果だと考えています。この8年の間に原告15名のうち3名を失いました。原告はみな、提訴時と比べて明らかに息苦しさが増しています。自宅で酸素吸入を行っている人もいます。今日も入院中であったり、外出が困難で出廷できない原告がいます。じん肺という病気が、仕事を辞めた後でも進行し、私たちの呼吸を奪っていく恐ろしい病気であることに改めて気付かされます。
建設工事現場は、粉じんのとても酷い労働現場です。最近の現場では、防じんマスクの着用について元請ゼネコンが細かくチェックしているそうですが、私たちが働いていた当時はそのようなことはありませんでした。また、粉じんばく露は、防じんマスクだけで防ぐこともできません。現場で働く人たちが粉じんを吸わない環境を元請ゼネコンが作らなくては、じん肺に罹患する労働者はなくならないと思います。
私たちと同じようにじん肺で苦しむ人が出ないようにしてほしいと心から訴えます。

■植田勇さん

大林組の監督の出した陳述書を読みましたが、事実と異なる内容が多かったので正直がっかりしていました。ゼネコンは今後、はつり工が粉じんを吸わないで仕事ができるよう安全な環境作りに励んでもらいたいです。

■山田裕二

西松建設は私の尋問の日まで、代理人もほとんど裁判に来なかったため、心配していました。解決まで非常に時間がかかりましたが、お世話になった親方も、じん肺で苦しんでいます。まずは親方に報告したいと思います。

■小橋川三郎さん

神戸の震災の復旧工事の現場を確認したかったのですが、すっかり風景が変わっていました。そこでも自分がはつり作業をした場所を見つけられてよかったです。自分たちが作業をしたことは間違いありません。

■福本隆一さん

今年も肺気胸で入院しました。手術もし、その傷がまだ治りません。もっと早く解決できるようゼネコンは努力しなくてはなりません。

■新垣実さん

ほかのはつり会社へ応援で行く仕事が多く、現場によっては元請ゼネコンがどこか分からないこともあり、とても苦労しました。大林組の東京本社にも抗議に行ったりしましたが、無事解決してほっとしています。

■矢野寛さん

ほっとしました!

■村上武徳さん

■安里正秀さん

■伊良皆正吉さん

■金城武次さん

■知念清二郎さん

■浜川邦宏さん

■末吉茂正さん

■徳田輝顕さん

最後に、8年間粘り強く原告とともに闘ってくれた弁護団、ご支援いただいた皆さんにお礼を申し上げたい。

関西労災職業病2018年6月489号

はつりじん肺訴訟和解成立 企業側が解決金支払いへ(毎日新聞2018年5月21日)

はつりじん肺訴訟
和解成立 企業側が解決金支払いへ

建設現場でコンクリートを削る「はつり作業」に従事し、肺疾患のじん肺になったとして、大阪府内の元作業員12人と3人の遺族が、元請けの大手ゼネコンなど32社に計約5億円の損害賠償を求めた訴訟が21日、大阪地裁(末永雅之裁判長)で全面和解した。提訴から8年半が経過しており、原告らは「苦しむ人がもう出ないようゼネコンが安全対策を取るべきだ」と訴えた。

和解内容は明らかにしていない。関係者によると、企業側が一定の解決金を支払う内容という。

訴状によると、はつり作業はコンクリートやアスファルトをカッターや削岩機で削ったり砕いたりする作業で、大量の粉じんが発生する。元作業員らは1960年代以降、長年はつり作業に従事し、粉じんを吸い込むことで起きる、じん肺を発症。いずれも労災認定されている。

元作業員15人は2009年12月、元請けが粉じんの吸入防止措置を取らず安全配慮を怠ったとして提訴。裁判は長期化し、これまでに3人が死去。遺族が訴訟を継承した。

全面和解の後、元作業員の福本隆一さん(66)は、昨年72歳で亡くなった元同僚の浜川邦宏さんの遺影を手に記者会見。「生きている間に和解を報告したかった。ゼネコンは粉じん対策に力を入れてほしい」と述べた。【遠藤浩二】

和解を受け、浜川邦宏さんの遺影を手に記者会見する福本隆一さん(前列中央)ら=大阪市北区で2018年5月21日午後3時3分、望月亮一撮影

今回の和解は、上積みされた成果に

「はつりじん肺訴訟」は、都市の建設現場で労働組合にも属さず埋もれていたはつり職人たちの被害“隠れじん肺”を掘り起こす支援活動の中で提起された。過去18年、近畿だけで原告を含む113人が労災認定されて補償を受けており、今回の和解は、上積みされた成果と言える。

原告の作業現場は大阪や京都の地下街やデパート、マンションなど都市中心部が多い。しかし、はつり職人はゼネコンを頂点とする建設業界の重層的な構造の末端におり、声を上げにくかった。しかも鉱山やトンネルでのじん肺と比べ、現場が短期に変わり記録も残りにくいため、元請け業者や現場の特定が極めて難しかった。

弁護団や支援者はこの壁に立ち向かった。原告の記憶をたどり、1970年以降で約530カ所の現場(就労日数は15人合計1万9000日)を確認し、和解の基礎になった。

提訴以降も関西労働者安全センター(大阪市中央区)の助力で新たに20人がはつりじん肺で労災認定された。一連の被害掘り起こしもあり、厚生労働省の大阪と東京の労働局は粉じん障害防止対策の重点事項に「はつり・解体作業」を挙げた。

じん肺の多くは作業をやめても重症化する。引き続き官民を挙げた被害の掘り起こしと救済が求められる。【大島秀利】

毎日新聞 2018年5月21日