万年スレート(西成区)、第一石綿工業(平野区)アスベスト国賠訴訟 第三陣第一回弁論開かれる
9月8日、アスベスト健康被害に対する国家賠償訴訟の第三陣の第一回弁論が開かれた。
本訴訟は、アスベスト訴訟弁護団が代理人弁護士である。
第三陣は大阪市西成区にあった万年スレートおよび同市東住吉区の第一石綿工業の元従業員の遺族が原告となっている。
この日は万年スレートの元従業員の遺族が意見陳述を行った。原告自身、万年スレートで就労しており、胸部レントゲンから胸膜プラークが認められている。意見陳述では、石綿関連疾患に苦しむ患者を抱える家族としての苦しみと、自らも疾病を発症しうることへの恐怖を余すところなく述べた。その怒りの咆哮とも呼べる叫びは、小さな法廷を満たす程度では収まらない迫力があった。
-以下、意見陳述より
「私の父は、昭和34年9月から昭和44年11月までの約11年間、西成区の万年スレートで働いていました。父は、平成10年頃から体調が悪化し、平成14年、肺機能が低下し、在宅酸素療養を開始しました。父の療養先は、沖縄県北部から船で2時間くらいかかる小島です。島にある診療所で診てもらった結果、石綿肺と中皮腫と診断を受けました。
父は、10メートルも歩くと息苦しさを訴え、座り込むような状態でした。それ以来、在宅時は酸素濃縮器、外出時には携帯酸素ボンベが必要となりました。その間、母も認知症になり養護施設に入所、やむを得ず私は会社を辞め家族を残し、単身島に戻り、施設のケアマネージャーや診療所の先生の指導を受け、父の介護を始めました。重い肺の病気であるため、風邪など引くとたいへんなことになります。すぐに肺炎を引き起こし、危機的状態になるのです。様態が急変することもあるため、片時も目が離せません。
風邪をひいたときは、島から那覇のかかりつけの総合病院まで行かなくてはなりません。船と車で4時間かけて移動します。幾度も様態を伺い、酸素ボンベを取り換える必要があります。
さらに緊急のときには、ドクターヘリや自衛隊のヘリを手配することもあり、おかげで幾度も命を継ぐことができました。悪天候もいとわずヘリコプターを出してくれたことに大変感謝しています。都会と違い僻地での在宅介護療養は大変です。
普段から突発性の発作が起こります。気管にタンがからむと息をするたびにヒューヒューと喉を鳴らして咳き込みます。あまりの苦しみに耐えかね、暴れることもありました。私が馬乗りになって押さえつけたこともあります。なんとか落ち着かせて気管支拡張剤を吸入させ、そのまま車で診療所に駆け込み、タンを取り除いてもらうこともたびたびありました。
ある日の早朝、息苦しさを訴え、即、胸部レントゲンを撮った結果、肺に穴が開き二酸化炭素が充満して、内圧で心臓がぺちゃんこになっている、急を要する、簡単な説明の後、すぐに処置に取り掛かりました。私が丸椅子に座る父の体を抱え込み固定して、先生が脇下から肺近くまで穴を開けチューブを差し込んで残圧を抜く作業です。アスベストのせいで胸膜が厚く硬く、なかなか穴があきません。力一杯突いた途端、「プシュ!」と音がして、風船を破裂させたように泡と血が壁に飛び散りました。チューブを差し込み緊急措置が終り、ドクターヘリで那覇の病院に転送、1ヵ月入院のあと退院することが出来ました。それからも肺気腫による呼吸不全がたびたびおこり、入退院を繰り返し、平成19年5月1日、享年89歳、闘病9年の末、那覇の総合病院で生涯を閉じました。病理解剖の結果、アスベスト肺、肺気腫、肺がん、肺出血などでした。
私も、昭和40年から43年までの約2年4か月、父と一緒に万年スレートで働いて石綿にばく露しています。結果、胸膜プラーク、肺気腫、経過観察必要と診断され現在厚生労働省発行の健康管理手帳で年2回検診を受けています。工場は絶えず石綿粉じんが舞い上がり、頭や肩が真っ白になる最悪な環境でした。工場内にとどまらず、工場近くに家族で住んでいた私の妻も石綿にばく露して胸膜プラークと診断されています。また、妻の妹はすでに悪性中皮腫で亡くなっています。同地域には、このように環境ばく露でアスベスト疾患の方が12名、亡くなった方が2名もいると聞いています。これは環境までもがアスベストで汚染されていた事実です。
人は快適な環境で働き、汚染のない快適で安全な環境の元で暮らす権利があります。その権利を守るのが国の役割ではないでしょうか。国の過失は重大であると思われます。本当に悔しいです。苦痛にゆがむ親の顔が今でも忘れられません。苦しんで亡くなっていった方の数だけ苦しんだ家族がいると思います。
裁判所におかれましては、私たちの気持ちを汲み取り、公正なご判断をしていただきますよう伏してお願い申し上げます。」
大声で、一言一句はっきりと、一気呵成に陳述書を読み上げ、普段は朴訥な原告が堂々と意見陳述を行った姿に、傍聴席からは自然に拍手が湧いた。
国側からの求釈明
今回は、万年スレートの被災者に関し、国は被災者の石綿ばく露状況の詳細について釈明を求めてきた。被災者の死亡については、石綿救済法に基づき特別遺族一時金が支給されているものの、この手続きにおいては局所排気装置の設置によって石綿ばく露を防ぐことができたか否かに関する検討がされる必要がないため確認されていないという。意見陳述でも触れられているように、原告自身、万年スレートで働いていたこともあるので、回答できないわけではない。しかし、本件と同様の石綿救済法に基づき石綿関連疾患が認められた被災者については、被災者が亡くなっている場合は被災者の石綿ばく露状況や作業内容を遺族が証明しなくてはならなくなる。そうなれば多大な困難を伴うことになるだろう。
提出された図面
一方、原告が求釈明に対して回答しやすいように、国は万年スレートの図面を提出している。
図面上の工程や機械のうち、どこが粉じん発生源であるか簡単に示すことができる。便宜を図ったように見えるが、本件とは関係のないところから出てきた資料である。別の事件で作成された資料を活用することはありがたいが、この話はアスベスト被害に関する情報が国に集中していることを示唆していると思う。この努力を少しでも他の国賠対象者の救済に向けてもらえないだろうか。
今回は被災者および原告であるその遺族は匿名になっている。事業場は明らかにされており、1名については西成区の万年スレート、もう一名は東住吉区の第一石綿工業であることは公表されていることから、両社の出身者に広く伝わらないものかと期待している。
関西労災職業病2015年10月460号