辺野古からの通信ー8 /宮崎史朗(全港湾建設支部)

今年も慰霊の季節になりました。ご存知のように、3月26日から始まる米軍の沖縄上陸から、6月23日牛島司令官の摩文仁での自決・日本軍の組織的抵抗が終ったとされる季節です。
慶良間ブルーで有名な慶良間諸島(座間味島、渡嘉敷島など)では、米軍の猛攻の中で、日本軍による強制された住民の死「強制集団死」が相次ぐ悲惨な出来事がありました。
4月1日には沖縄島中部の読谷、北谷海岸に米艦船が殺到、日本軍の抵抗は殆どなく、米軍は極めて短時間で上陸、占領します。そして、チビチリガマの「強制集団死」が起こったのです。これも知られたことですが、40年近く関係者は口を閉ざし、89名の住民の死の実相が明かになることはなかったのです。村の青年たちが調査を重ね世に知られるようになりました。4月16日に始った伊江島上陸の際も同じような「強制集団死」が起こりました。
日本政府は、日本軍指示によって、すべての住民の死が起こったわけではないとして、日本軍の関与を明記する教科書を書き換えさせました。「沖縄ノート 大江・岩波裁判」を背景にして検定意見を付け書き換えを迫りました。判決は「集団自決への軍の関与を認め」、2011年最高裁判決が確定しました。しかし、教科書の検定意見は変更されていません。
「集団自決」といわれる事象について、「軍官民共生共死」を掲げ、皇民化教育のもと、手榴弾などを住民に渡し、投降することを禁じた軍によって強制された「強制集団死」と説く、石原昌家沖国大名誉教授の説はもっともだと思うのです。地元二紙や地元TVは「強制集団死(集団自決)」と表現していますが、NHKは「集団自決」との表記を続けています。
「緑は萌えるうりずんの」(歌「月桃」から)季節となり、やんばるの森は新緑が溢れ、やがてイジュの花(花言葉:ひたむきな愛)が清楚に咲きます。
このような、平和と「否戦」を考える大切な季節に、5月3日沖縄で西田昌司議員の発言がありました。時や場所を踏まえず「ひめゆり」について発言したので「発言を訂正・削除」する、「TPOとして、ね」というのです。当然ですが、ひめゆり関係者は勿論、自治体、県議会、各政党、地元紙、識者、運動団体等から、厳しい批判が巻き起こりました。本人は酷すぎますが、シンポジウムを主催したのは、政治団体「日本会議」と「神道政治連盟」で、自民党県連は共催しています。彼らは歴史修正主義の先頭に立つ人々です。本音で敗戦前の社会を復活させようと考えているわけで、平和や「否戦」など眼中にはありません。沖縄でも彼らの勢力が一定増えている状況を踏まえながら、沖縄戦体験者がいなくなる中で若い世代にどのように継承していくかが大切でしょう。沖縄任せではなく、ヤマトの私たちが問われているのだと思います。

県民大会で歓迎の挨拶をする玉城デニー知事

「復帰53年 5・15平和とくらしを守る県民大会」が5月17日北谷スタジアムで開かれました。平和行進に参加した全国からの仲間をふくめ2000名以上が、「戦後80年 基地のない沖縄を 平和な日本を 戦争のない世界を」のスローガンの下集まりました。デニー知事をはじめ登壇者から、米兵による事件事故、爆音(眠れる夜を返せ)、西田等の不当発言、日米安保条約、日米地位協定、辺野古新基地、自衛隊増強などなどの課題が提起されました。時間の関係で最後しか読み上げられなかった大会宣言の一部をご紹介し、沖縄の思いをお伝えしたいと思います。

平和とくらしを守る県民大会
SCP船と砂船
SCP船と砂船
カヌーをえい航する抗議船と追尾する海保

みやざき・しろう:全港湾建設支部 辺野古基地反対闘争支援で沖縄滞在中

関西労災職業病2025年6月566号