辺野古からの通信ー3 第3の沖縄処分/宮崎史朗(全港湾建設支部)

2号から数か月が経過してしまいました。この間に、辺野古を巡る状況は大きく動きました(但し予想されていたことですが)。

昨年12月20日、福岡高裁那覇支部は、国の主張を認め沖縄県に辺野古「変更申請」を3日以内に承認するよう命じました。玉城知事が承認しなかったため、国(国土交通大臣)が知事に代わって(代執行)、沖縄防衛局に承認書を交付しました(28日)。

このことは多くのマスコミが報じていますが、前代未聞で岸田政権による第3の「沖縄処分」と言っても過言ではありません。

玉城知事の発言です。「…沖縄県民の負託を受けた知事の処分権限を一方的に踏みにじり、憲法で定められた地方自治の本旨をないがしろにするもので、誠に遺憾だ」

岸田首相は本当に木で鼻をくくった対応をしただけです。本土で暮らす人々はこのような事態に心を使う必要があると思います。辺野古ゲート前で、「皆さん、日本国憲法を勉強していない、95条を活用すべきだ」と主張する参加者がいます。沖縄にだけ押し付けるものを県民が7割も反対しているにも関わらず、強行することの非条理を問うているのです。問われているのは99%の投票権を持つ「国民」なんでしょう。

この前代未聞の「代執行」後、3か月を経て辺野古新基地建設工事はどうなっているのかを報告します。

大浦湾では、護岸築造に使用するケーソンを仮置きするための「海上作業ヤード」の築造が始りました。大浦湾の一部を汚濁防止膜で囲い石材(栗石)の投入を始めました。石材は安和桟橋・塩川港(いずれも西海岸)から運搬船で海上輸送しています。大浦湾で台船に移し替え、ショベルで湾に投入しています。海中に台形状の石材の山をつくるのです。

海上作業ヤード場所への石材投入

防衛局は工事完了後撤去する仮設工事だと主張し、沖縄県との協議も行わず強行。県からの協議申し入れ、その間の工事中止要請も全く無視しています。

また、辺野古崎の先端部分に計画されている「弾薬装填場」の護岸築造に着手しました。比較的浅い辺野古の海側に位置するので傾斜護岸が作られます。傾斜護岸は捨石(1m大の石材)を投入、その後人頭大の栗石、更に砕石、被覆ブロックで覆います。一番先に投入される捨石が1月9日からダンプで搬入され始めました。当初は一日30台程度でしたが、3月中旬からは90台前後になってきました。

さらに3月11日防衛局は突然(私たちにとっては)、従来搬入に使用していた工事用ゲートを閉鎖し、かねてから施工していた新第4ゲートを工事車両の搬入口に変更しました。このゲートはメインゲート前のテントから北へ1km超の場所にあります。聞くところによると、従来の工事用ゲートからの工事車両の出入りが、基地内の米軍車両の移動の妨げになる(車両の安全が確保できない)との苦情が米軍から防衛局にあり、移設を検討していたというのです。工事用ゲートは2014年7月から使用されているのにもかかわらず。

防衛局はまたしても県民に噓を言いました。一年半ほど前、第4ゲート付近の工事を始めるとき、「コマーシャルゲートの新設だから新基地建設とは関係ない」と再三に説明し、抗議者に言い訳?をしていたのです。本当に、この役所(沖縄防衛局)は平気で噓をいい、県民を騙すことに何の呵責も感じない組織なのです。

強制排除される参加者
新第4ゲートでの座り込み

沖縄は「うりずん」の季節を迎え、やんばるの緑は生き生きと燃え立っています。第4ゲート周辺の木々は倒され、小山はいくつも無くなりました。更に辺野古ダム周辺の森の伐採も始まったようです。本部、国頭地区での大規模土採り工事はいうまでもありませんが、キャンプシュワブ周辺工事でも自然破壊が大規模に進んでいます。

3月26日座間味島、27日渡嘉敷島、そして4月1日読谷村、北谷への米軍上陸となる沖縄戦が始った時期です。6月23日慰霊の日(県の休日)にむけ、鎮魂の沖縄になります。自衛隊の戦争準備がすすむなか、沖縄島中部のうるま市で保革一体となった訓練場新設工事反対の大きな声が上がりました。辺野古を含む琉球列島各地で、再び戦場にしない!との行動が起こっています。

辺野古も「代執行に負けないぞ」のシュプレヒコールで元気に行動しています。(4/6記)

みやざき・しろう:全港湾建設支部 辺野古基地反対闘争支援で沖縄滞在中

関西労災職業病2024年04月553号