辺野古からの通信ー7 /宮崎史朗(全港湾建設支部)

工事用ゲートからの搬入状況は、通信⑥で報告したものと大きな変化はありません。一日500台弱の車両が入ります(9、12、15時の3回)。半数以上のダンプは埋立用土を辺野古側埋立地に仮置き、100台ほどが栗石(中仕切り護岸築造用)、30台ほど生コン車(被覆ブロック用か)、などが主な内訳です。
安和桟橋、本部の塩川港からの土砂搬出も注目されていますが、辺野古ゲート前でも工事用車両の搬入を阻止するため、毎日の座り込みが、50人を超えるときもあれば10数人という場合もありますが、続けられ、機動隊にごぼう抜きされています。3874日(2月12日現在)になりました。

一方、代執行から13か月経過した1月20日大きなサンドコンパクション(SCP)船が大浦湾に入港しました。船体の大きさは船によって異なりますが、概ね長さ70m、幅30m、櫓の高90m程度の大きいものです。それに先立ち昨年12月27日に「トレミー船」が入港し、トレミー菅から海底に砂を撒く作業に着手しました(防衛局発表)。そして、現在、SCP船は5隻になり、さらに増えるといわれています。


設計変更が国の代執行で承認され、大浦湾の軟弱地盤に約71,000本以上の砂杭を海底に押し込み、軟弱地盤の水を抜き地盤沈下を促進させ地盤を固める(地盤改良)工事が可能になりました。
しかし、大浦湾の海底は一筋縄ではなく、複雑な地形であることはいうまでもありません。巨大船が次々と到着していますが、砂杭の造成をどんどんやっているようには見えません。ゲート前では、「巨大船を持ってきて、遊ばせておくのは税金のムダ使いだ」などと抗議の声が上がる始末です。
海底に敷きならす海砂や砂杭用の砂の調達も大問題です。防衛局が大浦湾での使用予定量は、沖縄県で毎年使用される海砂の数年分です。大量の海砂採取は沖縄の海岸線に重大な損壊をもたらし、漁業にも大きな打撃を与えます。ゲート前での報告では、名護市東海岸の安部地区が沖合での砂採取に反対しているにも関わらず、業者は採取を強行しているようです(安部地区は海岸の岩礁に2016年オスプレイが墜落した地区)。沖縄県では海砂採取の規制が未だされておらず、県当局へ規制強化の要請が取り組まれています。
このように代執行による大浦湾の埋立強行は、水深90mに及ぶ軟弱地盤の存在を筆頭に、無謀な計画を強行しようとする国・防衛局に、地球が抗議し反撃しているように感じます。沖縄県民と、連帯して反対しているヤマトの仲間たちとともに、「地球」に負けないよう頑張ろうと思います。
昨年12月の「米兵による少女暴行事件に対する抗議と再発防止を求める県民大会」に2500名の方が参加し、①被害者への謝罪と丁寧な精神的ケア、完全な補償 ②被害者のプライバシー保護と2次被害防止の徹底 ③事件発生時の自治体への速やかな情報提供 ④地位協定の抜本的改定、を決議しました。そして、県民大会実行委員会は2月6日国会内で報告と市民集会を持ちました。続発する米兵事件について、政府は米側に「抗議した」と公表しながら、実際は電話での「申し入れ」をしているだけです。それでも林官房長官は、「抗議」したのと同じことと言い放っています。1955年から30年経ちましたが、日米政府の対応は、当時より更に沖縄の人権をないがしろにするものになっており、このまま許してはならないと思います。
二度と戦場にはならない、軍隊は住民を守らないという思いから見ると、日本政府の戦争準備の推進は危険そのものです。

名護では1月26、27日にサクラ祭りがありました。日本列島で一番早い桜祭りです。アパートのベランダから見える名護城(ナングスク)祉公園の木々の間にピンク色の寒桜が満開になっています。キャンプシュワブのテント村には、花畑が作られてきました。ここにも桜の木が2本植えられていますが、今年、やっと花を咲かせました。ほんの数輪ですが可愛いものです。2015年春にテントが設営され、機動隊や国道事務所との闘いに明け暮れていた時期がありました。この最中、故有銘政夫さんが「厳しい闘いの中にこそ、こころのやすらぎ、優しさが必要だ」と説かれ、賛同した方々が闘いの合間に少しずつ花を植え、花壇が整備されてきました。私は有銘さんから直接お聞きしたわけではないのですが、ウチナーンチュの友人が話してくれた記憶があります。
故有銘さんは、反戦地主で中部地区労議長、違憲共闘会議議長もされていた方でお元気な頃は辺野古ゲート前座込みに良く見えていました。琉歌の名手で幟に歌が詠まれてました。このような先達の思いが今もテント村横の花壇に息づいていることを少し自慢したくて記憶を辿りました。
2月7、8日には、全日建連帯関西生コン支部主催の「反弾圧シンポジウム」in沖縄が、那覇・名護で持たれました。位田・久堀両弁護士からの詳しい経過報告をはじめ、各パネリストから貴重なお話がありました。地元から参加の方からは、この間の関生支部への弾圧のことは当然ご存知なのですが、凄まじい弾圧であり、まさに組合を潰すことを目的としたものだということを改めて認識したとの声が多くありました。連帯して闘う思いを再確認しました。
この間の首長選挙では、辺野古新基地反対の立候補者が相次いで敗退されました。4月にはうるま市長選挙が予定されています。個々には大変残念ですが、ゲート前は、更に「新基地は決して出来ない」の意思を固めて毎日座り込んでいます。
みやざき・しろう:全港湾建設支部 辺野古基地反対闘争支援で沖縄滞在中
関西労災職業病2025年3月563号
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