辺野古からの通信ー4 /宮崎史朗(全港湾建設支部)

4月から6月末にかけて、沖縄は慰霊の季節になります。3月26日慶良間諸島への米軍上陸から始る沖縄地上戦は、組織的戦闘が終ったとされる6月23日を過ぎても、各地で戦闘が繰り返され、日本兵は無論ですが沢山の住民の犠牲者を出しました。

慰霊の日々を静かに過ごすつもりでしたが、事件・事故が相次いで発生・発覚し怒りに燃える日々です。

6月28日午前10時過ぎ、埋め立て用土砂を積み出しているひとつ、琉球セメント安和桟橋のダンプ出口で、私たちの仲間と防衛局から委託されたアルソックの警備員の二人がダンプに巻き込まれ重体との一報が辺野古ゲート前に飛び込んできました。そして間もなく、警備員は死亡、私たちの仲間は骨盤骨折の重体ということが分かってきました。

安和桟橋出口付近。ゲートから左折して国道に出ようとしたダンプに、仲間の女性と警備員が巻き込まれた

さすがに防衛局も安和でのダンプの出入りは止めましたが、辺野古は別現場と言わんばかりに午後からも工事車両を入れ続けました。さまざまな原因が考えられるし、車両の出入り以外にも危険要因は沢山あるのだから、工事を中断し再発防止のため現場の点検に入るのが常識でしょう。防衛局にその気すらないことがわかりました。

抗議の声を押しつぶすようにダンプを強引に出したことが主たる原因でしょうが、抗議行動を押さえつける動きを警戒しながら防衛局、警備会社への抗議を強めなければなりません。 

その事故の直前、6月25日には、昨年12月24日に発生した米空軍兵長の少女不同意性交事件が明るみにでました。今年3月27日那覇地検は起訴し7月12日初公判日程まで決まっているのです。沖縄県警、地検、そして外務省、防衛省が沖縄県や沖縄県民に6か月間、情報を秘匿したのです。地元2紙などは6月25日に起訴状を地検から交付されたそうです。勿論、彼らが自主的に公表したのではなく、聞くところによれば、沖縄地裁の開廷予定表で7月12日初公判を知り地元紙が動いたため公表せざるを得なくなったとのことです。25日に公表されたのもたまたまということです。少女に対する米兵の事件を全く許すことはできず、米軍に対し強い怒りを持ちます。同時に県知事に通報もしない、指摘されても「通報しないこと」に居直っている日本政府に多くの県人は怒っています。

「工事を止めるために何かしたい」辺野古ゲート前の座込みに家族ぐるみで参加

更に、28日、「米兵 女性暴行5月にも」との見出しで、キャンプシュワブの海兵隊員が女性に性的暴行し傷害を負わせたと琉球新報が報じました。地検は6月17日起訴していますがこの件も県に通報していません。玉城デニー知事は「断じて許せぬ。怒りを禁じえない」と強い言葉を発しています。

佐藤優氏(元外務省職員)は、この沖縄の怒りは沖縄への構造的差別であり、東京の政治エリート(政治家、官僚)は差別の当事者との自覚にかけるから理解できないと評論しています。私は同意します。

辺野古には、6月に入って200台を越える工事車両が進入しています。多くはダンプで、国頭の鉱山や安和鉱山から、岩ずりや土砂、栗石を積んでいます。なかでも、岩ずり・土砂と思われる(シートでしっかり覆っているので見えない)130台が目につき、辺野古の埋立て地に仮置きしているようです。また、美謝川切替工事も水路工事が進んでいるのが目立ちます。県議会選挙後、防衛局は8月から大浦湾での護岸工事に着手すると県に通告したそうです。それでも、この工事はいつまでたっても完成しないとして、毎日の座り込みを続けています。

事件が報道される前の6月23日沖縄慰霊の日、県内各地で79年前の肉親・祖先の非業の死を悼む集まりが開かれました。沖縄県と遺族会は、摩文仁の丘の平和祈念公園で追悼式を開催、日本政府からは岸田首相、衆参議長などが参列しました(政府側は先の事件を完全に秘匿しました)。

同公園内の「平和の礎」に今年、181人のお名前が追加され、刻銘総数は24万2225人に上っています。早朝から家族ぐるみ、地区ぐるみでの参拝が続きました。ガマフヤー(ガマを掘る人の意)の具志堅隆松さんの報告では、この参拝の供え物をこともあろうに警察官、機動隊が点検しているというのです。祈りの場に、いかに政府要人の警備とはいえ、土足で踏み込む感性を疑います。

美謝川水路切替のためシートパイルを法尻に打設中

玉城デニー知事は平和宣言のなかで、自衛隊の急速な南西シフトについて「沖縄県民は強い不安を抱いている」と指摘し、式典後の談話で「県民からすると受忍限度を超えている」とも述べました。

仲間友祐さん(宮古高校3年)の詩「これから」が朗読されました。戦に怒り、祈りをつなぐ朗読は感動的ですらありました。是非一読願いたいものです。

魂魄の塔 沖縄戦の一番の激戦地で多くの人々が斃れた。戦後、住民が中心となり、3万5千体を超える遺骨を集め、ここに祀った。摩文仁の丘にも近い。/6.23国際反戦沖縄集会が近獏の塔横の広場で開催され私も参加しました

沖縄県議議選挙は6月16日に投開票でした。定数48ですが、玉城デニー知事を支持する与党系(無所属を含む)は20議席で4つ減らしました。野党及び中立系は28となり、県政の運営は大変厳しいものになるといわれています。しかし、中立系には沖縄公明党4議席があります。この4人は事前アンケートで、「普天間は県外か国外に移設すべき」と回答しています。辺野古反対議員は24名となり、自民党の言いなりには県議会も動かないでしょう。

なぜ県政与党は大敗したのか?与党勢力の乱立を上げる方もいます。沖縄市民会議(島ぐるみ)の分析は、与党の調整ができていれば5議席を増やせたといいます。しかし、与党系の得票は前回53.5%、今回46.2%ですから、やはり乱立以外にも要因はあったと思わざるを得ません。

辺野古新基地反対の民意が維持されていることも出口調査などでははっきりしていますので、現場は逆風を感じながら、きちんと座込みを続けていきます。(6/30記)

みやざき・しろう:全港湾建設支部 辺野古基地反対闘争支援で沖縄滞在中

関西労災職業病2024年07月556号