職場環境による心理的負荷は評価されない?ー怒鳴り声のひびくオフィスにてー
当センターには、多くのハラスメント相談が寄せられている。
中には、加害者の性格的な問題のみならず、組織としても体質、企業文化などに問題のあるケースも多々見られる。
入ってはじめてわかること
Aさんは大病を患って前職を退職した。療養から回復後、今度は定年まで勤められる会社を探し、無事に大阪の会社に営業事務として採用された。
入社2日目、総務の女性社員と総務部長の男性が激しく口論しているのを見たが誰も止めに入らず静観していた。さらに次の日、社長が東京営業所の事務員の女性に電話で「お前がやれ!言われたことをやれば良い、さもなければクビにする!」と怒鳴っていた。Aさんは驚き不安を抱いた。入社4日目、仕事の引継ぎをAさんにしている派遣社員の女性から、お茶に誘われた。会社関係者に見つかりにくい喫茶店に行き、会社についてのアドバイスをもらった。
営業事務の女性上司Bについて、どんなことでもその上司を立てるようにすること、この会社では社員同士の社外での飲み会などはご法度であることなどだった。
また彼女の退職について、こう説明してくれた。派遣契約は2か月毎で、最初の2か月で辞めたいと派遣会社に申し出たが、コーディネーターからこの会社はなかなか勤まる人がいないからもう2か月だけお願い、と頼まれて仕方なく働いたがやっと辞められる、これ以上はこんな職場では働きたくない…。日常的に社長の怒号が響き、上司Bの顔色を窺って働くのは、よほどつらかったのだろうとAさんは思った。
入社一週間を過ぎたころから、Aさんは上司Bから度々叱責されるようになった。指示の意味が理解できないことが多く、「こんなこともできないのか」と叱責され、「何のためにするのか教えてください。」と質問すると「ぐちゃぐちゃ言わずに言われた通りにすればいい」ときつく言われた。
Aさんは、早くも入社したことを後悔し始めていたが、せっかくの正社員採用で、生活のことを考えると頑張らなければと考えていた。
その後も理不尽なことが次々起こった。
まず残業代が適正に支払われない。定時のすぐ後、1時間はかたづけの時間として、残業代が出ない。そして、1時間を超えて残業した場合のみ、定時の直後からすべて残業時間とされる。また上司Bに残業代は15分未満切り捨てと言われていたし、無駄な仕事をしたから残業代はなし、と言われることもあり、残業としてカウントされるかどうかB次第だった。有給休暇の申請についても、Bに度々「また休むの? 」「どうしてそんなに休む必要があるの?」「休み過ぎじゃない? 休む理由はなに?」と言われ、あきらめて取り下げたこともあった。
とりわけAさんが理不尽と感じたのが、個人のメールアドレスをもらえないことだった。営業事務として、顧客らとメールでやりとりするのだが、Aさんはアドレスをもらっていないため、Bのアドレスで連絡を取るしかなく、そのことで誤解が生じてトラブルになったことがあった。2020年にWindows10に切り替わるときに、PCの入れ替えなどで社員に希望をきく機会があり、Aさんは個人のメールアドレスが欲しいと申し出た。しかし、Bに「Aさんにはパソコンもメールアドレスも必要ない」と一蹴されてしまった。Aさん以外の事務職員は、経理・総務・海外営業事務、それぞれ女性社員もメールアドレスが与えられていた。
もうひとつ、ストレスとなる環境だったのが、事務所内にむけて2台の監視カメラが設置されていることだった。昔、事務所内で盗難事件があったため設置され、無事に犯人が分かって処分されたそうだが、その後もカメラが付いたままだった。常時作動しているのかどうかわからないが、壁の棚の上にラックを設置する際に、カメラをふさがないように言われたため、作動していると思われた。この監視カメラも、始終見張られているようで大変ストレスを感じた。
日常的な叱責、叱責、叱責…
上司のBからは、理不尽な指示や叱責が続いた。
Bはある得意先の売上げについて架空の水増しをして計上しておき、月の締め日の後にマイナス処理をしてつじつまを合わせるという粉飾決済を行っており、それに気づいたAさんは青くなった。自分もこれに荷担させられるのだろうかと不安になった。
Bは昼休みを13時以降にとり、1~2時間、職場に戻ってこなかった。時には16時ころまで戻らず、その間にBに行って貰わなければその後の手配などのAさんの仕事も行うことができず、結果的にBが戻ってから残業して仕事を終わらすことになることがあった。
ある時、顧客からクレームがあり、Aさんは調べて処理を行い、結果を顧客に電話で報告した。ところが、顧客が後に、Bに「これまでクレーム処理の報告などされたことがなかったのに何かありましたか?」と聞いたため、AさんはBに「要らんこと言うな!」と叱責された。
そのうち社長からも怒鳴られるようになった。
きっかけは、海外事業部の男性社員が退職したときに、Aさんは海外事業部の仕事も兼任するよう頼まれたが、今の仕事でいっぱいだったので、断ったことだった。その後、社長から、社長が応接机に広げていた書類を片付けたことや、ホワイトボードの位置を変えたなど、些細なことで怒鳴られるようになった。
また総務部長も、Aさんに対して書類の記入方法が違っていたなどの些細なことで叱責し、確定申告のために有給休暇を申請すれば、「どうして休むんだ」と怒鳴られた。これは毎年確定申告のために有給申請する度に言われ、他にも引っ越したため住所変更の書類を出しても「余計な仕事を増やしやがって」と言われたりした。総務部長の叱責の口癖は「人としてどうなんだ!」だった。
営業のある男性社員は、ある時からAさんに過剰な要求をしたり理不尽な文句を言い始め、「Aはこの会社のサンドバックだ」などと堂々と同僚に話した。
高離職率、その訳は…
そんな会社だったので、離職者が多かった。ある時、別部署の事務員の女性Cさんが、上司Bに「ちょっと来て!」と大声で更衣室に呼び出された後、涙ぐみながら席に戻ってきた。Bに激怒されたが原因が分からず、とにかく怒りを鎮めてもらおうと、更衣室で土下座してあやまったという。「これ以上働けない、辞める」と言うので、Aさんはショックを受け、引き留めた。Cさんとは仲良く仕事していたからだ。しかしCさんは次の出勤日に辞表を出した。その日、総務部長がCさんと会議室に入り、しばらくしてAさんともう一人女性事務員も会議室に呼ばれた。会議室に行くと、Aさんたちの前で総務部長がCさんを罵り始めた。「Bさんの逆鱗に触れたあんたが悪い。そのうえ勝手に辞めるなんて人としてどうなんだ!」。ひどい罵倒をAさんは聞いていられず、Cさんを引き留めたかったのも忘れて、思わず「わたしが代わりに仕事を引き受けますから、退職届を受理してあげてください」と懇願していた。最後には部長が「Aさんが仕事を引き受けるなら退職していい」と言って、Aさんたちは仕事に戻ることができた。Cさんはそのまま帰宅し、入社からわずか40日ほどで退職となった。
AさんはCさんが辞めたショックと部長がCさんを罵倒するのを見たことで、しばらくその場面がフラッシュバックしたり、Bに対しても恐怖を覚えて精神的に不安定になった。
その後も、Bに叱責され、社長に怒鳴られながら仕事を続けていたが、体調は悪化していった。まず首や肩、背中が痛くて疲労感が取れず、疲れているのによく眠れなかった。ペインクリニックに通って、痛み止めをもらったりしていたが、疲労を専門としているクリニックを受診したところ、うつ病と診断された。医師は2週間休業するように言ったが、Aさんは休めば解雇されると考え、会社に言うことができなかった。その後も通院しながら仕事を続けていたが、4か月後、「もうこれ以上出勤しないように」と医師に要休業の診断書を渡され、これで休ませなければ会社は安全配慮義務違反だ、と言われた。
しかし、Bに診断書を渡すと、「急に言われても困る」と突き返された。
Aさんの体調は悪く、食べ物もあまりのどを通らないので、ヨーグルトなどを食べ、度々発熱するなどして、早退したり、休んだりしながら就労を続けた。1か月ほどして派遣社員が来てやっと引継ぎをはじめ、そのさらに1か月後、会社を早退した後ほとんど起き上がれなくなり、休業することになった。
職場全体の劣悪環境は個人の負荷として評価しない?
Aさんが当センターに相談に来たのは、休業を始めてから1年以上たってからだった。会社は休職期間満了で退職となり、労災請求をやってみようということになった。
しかしAさんがハラスメントを受けていた期間は3年以上におよぶが、日常的な叱責など証拠がなく、立証が困難だった。
幸いすでに退職した男性社員2人が証言書を書いてくれることになった。Aさんが困ったときにたまに話を聞いてくれていた人たちだった。Bが度々Aさんを叱責していたことや、社長がよく怒鳴っていたこと、社内の理不尽なルールなどを書いてくれた。しかしながら、2人ともAさんがうつ病の診断を受ける半年以上前に退職していた。
証拠がほとんどない中、なんとか出来事があったときに同僚などに送ったメールなど状況証拠を積み重ねることにした。幸いAさんの几帳面な性格から、日記や手帳に簡単ながらBや社長に言われたこと、残業時間などをメモしていた。
細かな資料で分厚くなった書類をつけて、労災請求を行った。
請求から約1年後、結果は不支給だった。
すぐに情報開示請求して、復命書を確認した。その内容は、本当にひどいものだった。
発症日は初診日の3カ月ほど前とし、そこから前おおよそ6か月間の出来事を2つ取っていたのだが、どちらも「上司とのトラブル」で1つは、社長が電話で東京営業所の事務員に日報が出ていない、クビにするぞなどと怒鳴った後、Aさんにも連帯責任だと怒鳴ったことで負荷の強度は社長との考えの相違として「弱」、もうひとつは個人メールアドレスがもらえなかったことで、これもBとの考えの相違ということで「弱」だった。
証言者が2人いたにもかかわらず、Bの日常的な叱責は出来事として取り上げられなかった。
証拠のはっきりしていた残業代計算の労働法違反については、まったく触れられていなかった。
Aさんもこんな結果ではまったく納得いかず、審査請求した。
審査請求すれば、口頭意見陳述で原処分庁に質問する機会が与えられる。口頭意見陳述で、いろいろ質問したが、基本的には出来事と取らなかったものは、事実が確認できなかったため、との回答だった。しかし、残業代や監視カメラは事実関係がはっきりしているので、なぜか質問した。すると、「個人対象の出来事ではなく、評価できない」という回答だった。複数人が同じ状況であったため個人の負荷としないという意味のようだが、それはおかしい。何人が同じ環境であろうが違反は違反であり負荷があるだろう、さらに正確にはBの一存で残業とカウントされたりされなかったりというのはAさんに限ったことだ。
口頭審理を経て、今後、審査官に対して意見書や追加資料を作成して提出する予定である。
原処分庁のずさんな審査にはあきれるばかり、審査官にはより詳細に出来事を評価させるように、作戦を練っている。
関西労災職業病2025年2月562号