2024訪韓記録vol.2 いよいよ全北の本拠地へ
1.散策すれば市民運動が見つかる
前回の記事で参加した全州市役所前デモのテントを後にして、全州市の繁華街へ移動した。昼食を食べるために迷路のようなアーケード街を歩き、フッと入ったお店で、コンナムルクッパをいただいた。出汁につかったもやしとご飯に、韓国のりやらキムチやらタコのぶつ切りやらを自分で足して食べる、デラックスお茶漬けみたいな料理で美味しかった。
昼食後、この辺りに色々あるということで、散策することになった。まず近くにあった広場に向かうと、そこには慰安婦問題の少女像があった。この問題の抗議のための像というぐらいは知っていたが、今回、少女像の横にあった説明板を見ると、少女の足の長さ、握りこぶし、髪型や、少女の下のコンクリートで形作られた部分、2個椅子が並んでいることなど、意匠の様々な部分にも意味があることがわかり、ただ象徴として作られたのではなく、悲壮な思いが込められていることを知った。
また、少女像があった広場には、梨泰院雑踏事故と世越号沈没事故の被害者を悼むテントが併設されていた。梨泰院雑踏事故は2022年10月にソウル特別市の梨泰院でハロウィンの最中に起こった群衆事故で、150人を超える人が亡くなっている。世越号沈没事故は、2014年4月に大型旅客船が観梅島沖海上で沈没した事故で、250人を超える人が亡くなっている。それらのテントには、被災者たちの写真が飾られ、真実の解明をという横断幕がかけられていた。日本でも、群衆事故として、2001年に明石花火大会歩道橋事故があり、その時は、警察組織には国家公安委員会規則が、警備業には警備業法がそれぞれ改正され、警備の業務に雑踏警備というカテゴリが生まれた。韓国でも、正当な賠償はもちろんとして、再発防止になるような施策が行われてほしい。
その後、広場のすぐそばにあった殿洞聖堂を見学した。ここも、単なる聖堂というわけではなく、市民活動に協力していたという神父がいたところだそうだ。だからなのかはわからないが、敷地内にたたずむ白いイエス像の足元には、聖書の、マタイの福音書11章28節が彫られた碑があった。曰く、「私の元に来なさい、全ての疲れている者、重荷を負っている者たちよ。あなたたちに休息を与えよう」。
2.本拠地突入
イエスから十分な休息をもらった後、全北本部ビルへ移動し、そこで開催された民主労総全北本部の定期大会に参加した。
定期大会は、前半と後半に分かれていた。前半は様々な人の挨拶や激励の演説と、功績のあった組合や個人の表彰が行われ、後半は、副本部長選挙や2023年の活動報告、2024年の活動計画や予算の承認など、実務に関することの話し合いがなされた。
我々は前半だけ参加した。以前に日本のある企業のストライキに参加した時も感じたことだが、組合の執行部にもなろうという人々は、みんな声が立派だ。大きいだけではなく、立派なのである。前に出て、聴衆だけでなく、その辺の市民にも喋っている内容をアピールする以上、自信たっぷりでよく通る気持ちの良い発声というのは、活動家には重要な要素なのだろう。訪韓団メンバーの中村氏も、壇上に招かれ、激励のスピーチをした。
そして、2023年に功績があった人の表彰が始まったが、これがまた長かった。中村氏も「日本は来賓挨拶が長いけど韓国は表彰が長い」と言っていたが、まさにその通りである。そもそも表彰を受けた数が、中村氏含む20組以上で多いということに加え、一組一組壇上に上げられて、表彰の文章を逐一読むのである。結局30分以上かかったように思うが、逆に言うと、それだけ褒めないといけない人や団体がいたということなので、それはそれで民主労総の運動の活発さの証明だなと思った。
そして、大会の前半部分が終わり、会場だった大会議室を出て、大会の後半部分が終わるまで休憩室で休ませてもらった。その後、全北本部ビルの小会議室にて、今後の連帯交流をどうするかについて、全北本部の本部長、副本部長、事務局長3人との面談が行われた。
全北本部側からは、交流を続けることに対して厳しめの言葉が多く、「我々はこの交流のことをあまり知らず、交流を続ける意味をイチから考えたい」「30年の付き合いというのが重荷」「今、交流に関わった人から意見を聞いている。それによって交流を続けるか考えたい」などと言われた。それに対してこちらは、30年付き合って育んできた仲は簡単に蔑ろにできるものではない、勉強会などでお互いに影響し合えるなどと伝えたが、結論は出ず、3月26日に改めて存続についてリモートで会議することになった。前日の印象からは一変、真剣に交流を打ち切るかどうか検討しているように感じた。
そういった形で面談が終わり、全北本部を後にしたのだが、最後に大失敗をした。翌日、全州市を離れてから気が付いたのだが、大会でいただいた表彰の盾と花束を、休憩室に忘れてきてしまったのである。鈴木氏を通じて謝罪の連絡はしたが、本当に単なるうっかりで、他意はないのですとひたすら頭を下げるしかない。
本部ビルを後にして、晩ご飯に向かった。晩御飯は、全北の、主に日本に来たことのある人たちに囲まれ、チョッパル(豚足)をいただいた。スライスされたチョッパルを、焼き肉のたれみたいなソースにつけておいしく食べていたのだが、横にいた人から、食べ方違うと言われ、ソースの端っこに浮いていた緑色の塊をソースに混ぜ込まれた。それが、どうやらわさびだったようで、ソースが非常に刺激的な味になった。それがおいしかったかどうかはみなさんの想像におまかせします。
また、大学時代に日本にいたことがあるという人から、日本で一番好きだった食べ物はお茶漬けという話をされ、確かにジャパニーズクッパだしなと思った。この時は言えなかったが、今度会ったら、Jクッパの次のステップとして、私の得意料理であるみそ汁かけご飯を紹介しようと思った。
さて、この日で、今回の民主労総全北本部との交流は終わりなのだが、訪韓についてはあと2日ある。残りの日程分は、次号、第3回に続きます。(事務局 種盛真也)
関西労災職業病2024年4月553号
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