アスベストばく露の現実~50年前のアルバイト体験/大阪

今から約50年前、高校生だった頃、同級生から、父親が会社を設立するからアルバイトで仕事を手伝ってくれないかと相談があった。

私は、友人を誘って2人でアルバイトをすることになった。

アルバイトの内容は、配管工や水道屋さんで水道の配管や浄化槽を埋設する仕事で、言い換えれば土方のような仕事で、さらにはゴルフ場のネット張りの仕事も行っていた。同級生の父親はどこから仕事を貰ってくるのか分からないが、最終的には神戸港の港湾施設のビルの建設現場で配管の保冷・保温の仕事を取ってきた。現場監督より、ルーフィングと呼ばれる石綿の布みたいな製品を1メートルほどの幅に切断し、配管に巻いて保温する仕事を行った。

ルーフィングと呼ばれていた物が石綿との認識はあったが、人体に有害な物質とは思っていなかった。神戸の現場へ向かう際、材料のルーフィングを茨木市にあるカナエ石綿工場に取りに行ったのを覚えている。また、その仕事を続けるなか、入浴時に腕を手首の方から逆に腕へ向けて擦ると、皮膚がチクチクするのを感じた。今考えると、多分石綿の繊維が毛穴に刺さっていたものだった。

カナエ石綿工場にはたまに製品を取りに行く機会があったが、その後は廃業したと聞いている。それからは、現場は泉南の三井東圧に変わり、本船から工場内に燃料を補給する配管を保温する仕事になった。この現場は結構長期に渡り仕事をしていたと思う。グラスウールか石綿を含有したものかは不明だったが、円柱状の製品を配管に巻いてガムテープ等で固定する仕事だった。短期間ではあったが石綿製品を扱った。その後、石綿の危険性を知ったのは、十年以上経った30歳ぐらいの頃だった。短期間であっても、その危険性が無くなったわけではない。現在68歳になったが、健康診断でも肺に異常はないし、特に息切れや症状はないが、石綿疾患を発症した人たちがどれくらい石綿にばく露されたのか、何となく想像ができる。あのまま、アルバイトを続けていたらと思うと、恐怖を感じている。(事務局 林繁行)

【参考】

石綿ばく露作業による労災認定等事業場(建設業以外・船員)<2022年度までの認定分-2023年12月13日公表の最新データで更新>での検索結果

関西労災職業病2024年4月553号