労基法改正で、一般債権より労働者の権利は小さく軽い?? 賃金請求権の消滅時効期間を短めに変更/「労災」に至っては「変更なし」は、あり得ないぞ!

不可解な労働基準法改正

労働者の権利は、ふつうの契約ルールを定めた民法だけで守ることができないので、特別に保護するためにできたのが労働基準法だ。存在理由がもともとそういうことなので、労働基準法の規定は使用者側に対していくらか厳しく定めてあることになる。ところがこの3月31日に公布された労働基準法の一部を改正する法律は、なんと労働者の権利を特別に制限するというのだ。なんとも不可解な法律が、この4月1日から施行されている。
今回改正されたのは、未払い賃金など賃金を請求できる期間と賃金台帳など記録の保存期間などについての規定で、次のとおり。

  1. 賃金請求権の消滅時効期間の延長
    賃金請求権の消滅時効期間を5年(これまでは2年)に延長しつつ、当分の間はその期間を3年とする。
    ※ 退職金請求権(現行5年)などの消滅時効期間は変更しない。
  2. 賃金台帳などの記録の保存期間の延長
    賃金台帳などの記録の保存期間を5年(これまでは3年)に延長しつつ、当分の間はその期間を3年とする。
    ※ 併せて、記録の保存期間の起算日を明確化。
  3. 付加金の請求期間の延長
    付加金を請求できる期間を5年(これまでは2年)に延長しつつ、当分の間はその期間を3年とする。


これだけをみると、5年なのに3年に目減りしたとはいえ、3年なのだから請求期間は今より長くなってよかったのではと思えそうだが、この改正の経過や理由をみるとそうでもない。

改正の発端は民法の短期消滅時効廃止

今回の改正が検討される元となったのは、2017年の民法改正だ。民法は、原則的な消滅時効期間を10年としつつ、「月又はこれより短い時期によって定めた使用人の給料に係る債権」について、「1年間行使しないときは消滅する。」としていた(第174条)。他にも職業別に定められた短期時効など(第170~173条)とともに社会経済情勢の変化に鑑み合理性に乏しいとして、廃止されることとなった。

つまり「使用人の給料」は1年で請求権が時効消滅することはなくなり、民法上も一般債権として、「①債権者が権利を行使することができることを知った時(主観的起算点)から5年間行使しないとき、又は②権利を行使することができる時(客観的起算点)から10年間行使しないときに時効によって消滅する。」ということになった。

一方、労働基準法は第115条を定めて、賃金請求権の消滅時効期間を2年(退職金などは5年)と特別に定めた。その理由については次のような解説がある。

賃金の請求権については従来特別の規定がなく多くの場合民法第174条の規定により一年の短期時効で消滅することになっていたが、本法(注;労基法)では適用労働者も広くなりかつ賃金台帳の備え付け等によって賃金債権も明確にされることになっているので、労働者の権利保護と取引上の一般公益を調整するため消滅時効を二年とした

「労働基準法解説」寺本廣作著p386

労働者にとっての重要な請求権の消滅時効が1年ではその保護に欠ける点があり、さりとて10年(注;民法の一般債権の消滅時効)ということになると、使用者には酷にすぎ取引安全に及ぼす影響も少なくないことを踏まえ、当時の工場法の災害扶助の請求権の消滅時効にならい2年とした

「平成22年版 労働基準法 下」厚生労働省労働基準局編p1037

つまり、記録の保存義務など労基法は特別の規制により条件をそろえていることから、労働者の権利保護のために1年という短期消滅時効を特別に2年に延ばしているわけだ。したがって民法が短期消滅時効を廃止するのなら、もはや特別の延長を定めていること自体が不要ということになる。
もちろん民法にならって延長することになると、記録の保存義務が課される期間も併せて延長する必要があるが、それは現行の3年を延ばせばよいだけの話だ。

5年にするが「当分の間」は3年?
一般の債権より不利に

ところが今回の改正では、賃金請求権の消滅時効期間を5年に延長しつつ、「当分の間」3年とし、記録の保存期間も5年に延長しつつ3年(現行通り)とした。
理由は、労働政策審議会労働条件部会が昨年末に出した報告には次のように記されている。

ただし、賃金請求権について直ちに長期間の消滅時効期間を定めることは、労使の権利関係を不安定化するおそれがあり、紛争の早期解決・未然防止という賃金請求権の消滅時効が果たす役割への影響等も踏まえて慎重に検討する必要がある。このため、当分の間、現行の労基法第109条に規定する記録の保存期間に合わせて3年間の消滅時効期間とすることで、企業の記録保存に係る負担を増加させることなく、未払賃金等に係る一定の労働者保護を図るべきである。

賃金等請求権の消滅時効の在り方について(報告)2019年12月27日


もともと民法の一般原則だけでは労働者の権利の保護が十分にできないので、憲法第27条により法律で別に定めるとした「勤労条件に関する基準」としての労働基準法の規定が定められたはずだった。そして消滅時効についての特別な規定を置いたのも、労働者の保護のためであり、「紛争の早期解決、未然防止」だとかのためというわけではなかった。にもかかわらず、他の一般債権より短い3年間経ったら賃金請求権は消滅することにしようというのが今度の労働基準法ということになる。

労働者保護のはずが、消滅時効の規定については、逆転し、民法が適用される普通の債権より労働者に不利になるわけで、言いかえると法秩序のうえからも問題となりかねない内容といえよう。
もっとも労政審の報告は、「改正法の施行から5年経過後の施行状況を勘案しつつ検討を加え、必要があると認めるときは、その結果に基づいて必要な措置を講じることとすべきである。」とし、施行された法律の附則第3条に記されている。

不可解な理由付けで
なんと災害補償は据え置き

また今回の改正では、賃金請求権についてのみ期間を延長することとしており、「災害補償その他の請求権」については、従来通り2年間のままとしている。
災害補償請求権を2年のまま据え置く理由について労政審の報告は次のようになっている。

災害補償の仕組みでは、労働者の負傷又は疾病に係る事実関係として業務起因性を明らかにする必要があるが、時間の経過とともにその立証は労使双方にとって困難となることから、早期に権利を確定させて労働者救済を図ることが制度の本質的な要請であること。
加えて、労災事故が発生した際に早期に災害補償の請求を行うことにより、企業に対して労災事故を踏まえた安全衛生措置を早期に講じることを促すことにつながり、労働者にとっても早期の負傷の治癒等によって迅速に職場復帰を果たすことが可能となるといった効果が見込まれること。

賃金等請求権の消滅時効の在り方について(報告)2019年12月27日

はて??

時間がたつと業務起因性の立証が困難になるとか、災害防止対策を促す効果や職場復帰対策にとって、請求権に短い消滅時効期間を設けることが労使の利益になるだろうか。

労災保険では、何十年も前の業務を原因として職業病を発症しても因果関係を特定して支給しているし、労災防止対策と明確にリンクすることが災害補償の前提であるということもない。それよりも民法の一般原則について、いとも簡単に災害補償の請求権が外れてしまうのは理解しがたいのである。

もちろん労働基準法における災害補償請求権の時効期間と労災保険法のそれに違いがあってはいけないし、社会保険などほかの社会保障制度による給付との整合性を整える必要性はある。しかし災害補償のような労働者の基本的な権利について、民法の一般原則より短い消滅時効期間が据え置かれるのはきわめて問題が大きいといえるのではないだろうか。

整合性のある議論をこそ尽くすべき

今回の労働基準法改正については、労働政策審議会報告もさることながら、その前提となった、専門家による検討会が昨年7月にまとめた「賃金等請求権の消滅時効の在り方について(論点の整理)」においても十分な整合性のある議論が尽くされていないようも思える。あらためて今後の取り組みが重要といえよう。(西野方庸)

改正法の新条文より

(記録の保存)
第109条 使用者は、労働者名簿、賃金台帳及び雇入れ、解雇、災害補償、賃金その他労働関係に関する重要な書類を5年間保存しなければならない。

(付加金の支払)
第114条 裁判所は、第20条、第26条若しくは第37条の規定に違反した使用者又は第39条第9項の規定による賃金を支払わなかつた使用者に対して、労働者の請求により、これらの規定により使用者が支払わなければならない金額についての未払金のほか、これと同一額の付加金の支払を命ずることができる。ただし、この請求は、違反のあつた時から5年以内にしなければならない。

(時効)
第115条 この法律の規定による賃金の請求権はこれを行使することができる時から5年間、この法律の規定による災害補償その他の請求権(賃金の請求権を除く。)はこれを行使することができる時から2年間行わない場合においては、時効によって消滅する。

附則
第143条 第109条の規定の適用については、当分の間、同条中「5年間」とあるのは、「3年間」とする。
② 第114条の規定の適用については、当分の間、同条ただし書中「5年」とあるのは、「3年」とする。
③ 第115条の規定の適用については、当分の間、同条中「賃金の請求権はこれを行使することができる時から5年間」とあるのは、「退職手当の請求権はこれを行使することができる時から5年間、この法律の規定による賃金(退職手当を除く。)の請求権はこれを行使することができる時から3年間」とする。
(傍線部分が改正部分)

改正法の新条文

202004509