大阪における港湾労働者の石綿被害の経験

石綿荷役で麻袋(マタイ)扱い

2011年初頭、某労働組合から、退職した組合員が肺がんで入院したと連絡を受け、私のところへ相談にみえた。この会社は大阪港で過去に石綿を大量に扱っていたとの報告を受け直ちに、本人の入院しているベルランド総合病院に出向き状況を聞き取りすることとなった。

数日後、相談者と共にベルランド総合病院(堺市)へ向かい本人より当時の作業の様子等を伺った。本人の話によると、

入社した昭和41年当時、石綿荷役は艀(はしけ)での荷役で、荷姿はマタイ(麻袋)が主で、艀内に積み込まれたマタイを手かぎ等で引っかけ、パレットに配付けする。
しかし、マタイの材質も悪く、破損等が酷く、中身の石綿が艀内に散乱して、マタイを移動させるたびに石綿が飛散し、クレーン等で巻き上げる際など艀内は雪が降ったような有様であった。また、危険物であることなどの周知もされていないことからマスク等の保護具も使用されていなかった。

昭和55年頃からは石綿荷役はコンテナ作業に変わったが、やはりナイロンで梱包がされているものの杜撰でコンナテ内は石綿が舞っていた。昭和61年前半まで石綿の取り扱いは続いた。以降は全く石綿荷役はなくなった。

はしけ内の石綿の石綿荷役作業(「石綿ばく露歴把握のための手引き」26頁)より

膀胱がんの治療中に肺がんがみつかる

肺がんが発見された理由のは、体の調子が悪いので、ベルランド総合病院へ診察に行くと、膀胱がんと診断され手術のため入院することになったが、手術後も体調が回復しないことから、PET検査をすることになったことからで、結果、肺がんが発見された。体力的にも弱っていたこともあり、手術はせず、投薬と放射線治療で経過をみることになったとの報告だった。

本人の体調の具合もあり、当日の聞き取りを一旦打ち切り、医事課へ主治医の面談を申し入れた後、帰路につきかけたところ、病院から主治医が手すきなので面会OKと電話が入り、病院へ引き返して石綿と肺がんの因果関係を聞くこととなった。

主治医「喫煙や生活習慣の影響」

主治医はレントゲンフィルム及びCT画像を準備しており、私から石綿の扱いや経歴を説明したが、画像上からは石綿の痕跡はないと否定され、単なる喫煙や生活習慣が影響しているとの診断であった。また、主治医は、何例か石綿ばく露の患者をみてきたが今回のケースは該当しないとの説明だった。私は、当時の石綿の取り扱い量や作業形態から見て納得できず、翌日に本人の家族に連絡し、ベルランド総合病院のレントゲンフィルム及びCT画像の貸し出しを依頼し、数日後、みずしま内科クリニックへ持ち込み、診断していただいた。

水嶋潔医師「プラーク複数あり、石綿肺がん!」

みずしま内科クリニックの水嶋潔医師からは、胸膜プークが複数カ所に確認できることから、肺がんについては石綿が原因との診断結果がもたらされた。水嶋医師は、CT画像のプラーク部分に数カ所マークをつけ、ベルランド総合病院の主治医にこの部分について説明を求めるように指示された。

数日後、ベルランド総合病院の主治医と面談し、説明を求めたが主治医は「わからない」との回答であった。私はあきれるばかりで、これ以上説明を求めても意味がないと諦め、これらの結果を受け、直ちに、本人からの職歴再調査と同僚の聞き取り調査や会社への労災申請の協力要請を行い、準備をすすめた。ところが4月に入って本人が突然に亡くなり、申請書類を再作成し、同年5月には大阪西労働基準監督署へ申請を行い、7月に認定された。

労災認定から港湾石綿救済基金適用

同時期に、労災企業補償協定(上積み補償)は、慢性疾患は免責であることから、全国港湾と日本港運協会との間で、石綿健康被害救済基金の協議がされ基金が確立された。会社へ基金の申請を行うように要請したが拒否され、約1年ほどかかって大阪簡易裁判所での調停の末、大阪泉南裁判の判例に基づき、上限2500万円の80%を日本港運協会負担、20%を当該企業の負担という内容で年齢や勤続年数等で減額されたものの遺族に上積み補償が支給された。

初めての石綿支援経験

この記事を書くに至った経緯は、某労働組合は私が40数年間加入していた組合であって、役員も経験し、専門部の安全衛生委員会の事務局長と委員長を務め、様々な労災認定闘争に関わってきたのだが、その中でも私が初めての経験した石綿事件の救済であったからである。
組合及び会社を定年退職し、いままでの経験がどこかで役に立てばと思い、関西労働者安全センターで石綿問題のお手伝いをするようになった。まだ、経験談が少しありますので次回に続編として報告したい。(林繁行)

202004509