アスベストがハイゴンしてきて…まだまだ補償の情報に乏しい地域事情~建設現場ばく露の中皮腫被害労災認定から/島根
島根県雲南市で中皮腫に罹患した被災者は、2023年末から療養を開始していたが、被災者の弟であるYさんがアスベスト救済基金に相談をしたのは2024年の夏であった。発症当時、医師からは、本人に「中皮腫という、アスベストが原因の病気です」と伝えられただけで、公的支援につなぐことはなかった。Yさんは被災者の療養開始直後にテレビCMで見かけた弁護士事務所に電話をしたこともあったが、労災や救済給付を受けていない被災者の対応はしてもらえないと知り、半ば諦めていた。
1年ほど経ったのち、Yさんの妻が、神戸新聞に載っていたアスベスト救済基金のホットライン記事を「こんなのあるわよ」とYさんに見せた。電話相談と書いてあるのを見て、昨年かけた弁護士事務所の対応が苦い思い出としてよみがえってきたが、被災者である兄の体調も芳しくないため、Yさんは改めて相談することにした。相談を通じてはじめて療養について公的支援を受けられることを知り、さっそく手続きを進めることにしたが、兄もいよいよ緩和ケアに入り、時間は限られていた。間もなく、兄の入院する病院に、基金担当者を伴って訪問した。
兄は当時73才だったが、発症直前まで大工として働いてきた体はよく引き締まっており、寝間着に長い髪を後ろで結んだ姿で胡坐を組む姿勢はまさに職人といった風情であった。職歴や作業内容については覚えていることを少しずつ話してもらえたが、十数分話をしただけで疲れてしまい、そのまま横になられた。また見舞に伺うことを伝えて病院を離れたが、結局この機会が唯一本人の話を聞く機会となった。
本人から所属事業所について聞いたところ、三刀屋と木次にそれぞれ所属したことのある事業所があることがわかった。三刀屋の事業所は現存しており、訪問して事情を話すと事業主のIさんは事業主証明について快諾してくれた。この事業所では家屋の解体からその後の新築工事迄請け負うほか、リフォームも行っている。フレキシブルボードなどを扱っていたこともはっきりしているほか、先代の事業主も肺がんで亡くなっているという。当代も「私もずいぶんとアスベスト粉じんを吸ってきたはずだから…」と不安そうに語った。
木次の事業所は、すでに廃業されているが、Aさんという方が事業主だった。話を伺うとAさんと被災者はもともとF工務店という事業所で先輩・後輩の間柄だったという。Aさんが独立した後、その会社で職人として活躍していたのが被災者であった。F工務店でAさんの後輩だったこと、その後Aさんが業を興し、閉鎖するときまで被災者が働いていたことを証明してくれたので、被災者の中学卒業以降のすべての就労期間を客観的に明らかにすることができた。石綿ばく露状況についても、大手建設会社が施工する鉄骨造の現場において、一般的に用いられる石膏ボードのほか、吹付や断熱材などの建材からも石綿粉じんにばく露していたという。「当時はアスベストが危ないなど聞かされておらず、マスクもせずに作業をしていた」という話は地域差がなく、Aさんは「最近になってアスベストがハイゴンするようになってきた」と言ったが、「ハイゴン」とは土地の言葉で「うろたえること、さわぐこと」という意味で、石綿の危険性が広く認識されたのは最近のことであると言っているのである。
兄の勤め先を駆け足で回ったYさんは、その後何度か自宅のある加古川と出雲を往復し、兄の最期を看取った。葬儀には、Iさんのご家族やAさんのご家族も列席され、事前に会うことがなければ、弔問に来られても誰か分からないままだったはずの兄の知人ともゆっくり話をする機会が得られたという。
このケースは本年6月4日に業務上認定を受けたが、医療機関において被災者やその家族に対して石綿関連疾患に対する労災請求や石綿救済法上の情報がまったくなかったことが気になった。統計資料を見ると、石綿救済制度発足後から昨年3月31日までの間、島根県で救済法上の認定を受けた数は79件である。うち労災の時効救済は16件であった。労災請求については2008年から2023年まで70件の労災請求のうち、65件について支給決定がなされている。その内訳は中皮腫38件に対し、肺がんは27件であるが、ひょうご労働安全衛生センターの西山さんの分析によると、労災請求において確実に支給決定がされると考えられるケースのみ受け付けて、業務上外について不確かなものは監督署で門前払いをしているおそれがあるという。石綿の危険性に対する認識については、すでに述べたように地域差があるわけではない。石綿に原因が認められる肺がんやびまん性胸膜肥厚など見落とされている可能性もあり、このケースをきっかけに地域で「はいごん」して、被災者掘り起こしにつなげていきたい。
関西労災職業病2025年7月567号