沖縄・那覇、粟国島で斫り(はつり)労働者職業病相談
(2003年10月機関誌より)
本誌前号で紹介した那覇市在住の元はつり労働者A氏がじん肺・合併症で労災認定されたことを受け、沖縄県の斫り労働者、離職者の話をもっと聞く取り組みを行った。今回は、当センター事務局の片岡だけではなく、大阪から元斫り労働者の末吉茂正氏、斫り業を営む新垣重雄氏、愛媛労働安全衛生センター事務局長の白石昭夫氏、全国労働安全衛生センター連絡会議議長で医師の天明佳臣氏が参加した。
那覇市と粟国島の粟国村で行った職業病相談会などで合わせて新たに21名の元斫り労働者、離職者から話を聞くことができ、遺族からの相談も1件あった。じん肺有所見あるいは有所見とみられる方が7割程度おり、聴力障害を合併する場合もあったが振動障害についてはほとんどみられなかった。
滞在中、2名の管理区分申請を沖縄労働局に、1名の難聴障害補償請求を那覇労基署に対して行った。今後、管理区分申請と労災請求(じん肺、難聴)が何件か続く見通しだ。
事前に大阪で当センター、白石氏、末吉氏、新垣氏、そのほか何人かの沖縄出身元斫り労働者が集まって打ち合わせを行った。那覇市、粟国島の地元知り合いを通じて、できるだけ離職者、現役労働者に声をかけることにしたもののどの程度になるかはわからなかった。
幸い那覇市での相談会には自治労沖縄県職員労働組合の、粟国島では粟国村役場関係者の労を惜しまないご協力をいただき、また、現地の斫り現役労働者、離職者、その家族の有志の方々からも多大なご協力があり、一定の成果を上げることができた。今回の沖縄行きは、様々な意味でたくさんの財産を得ることができた。当センターでは共に取り組んだ方々との協力関係を大事にして、さらに沖縄、大阪、ひいては全国の被災した斫り等建設労働者の救済、安全衛生対策の向上に努力していきたいと考えている。20年目の労災請求
当センターでは相談に来る斫り労働者の出身地が沖縄県(主に粟国島関係者で他は本島、久米島。)であることが多く、そのつてで昨年秋から沖縄県の斫り労働者の相談を聞くようになった。最初の相談がA氏だった。
今年3月には沖縄県浦添市在住の伊良皆徳助氏(85才)に会った。伊良皆氏は、じん肺結核・アスベスト肺癌で労災認定された大阪在住元斫り労働者の遺族Bさんの親戚で、戦後、大阪に来た沖縄県粟国島出身斫り労働者の中でもっとも古い世代に属する。Bさんからもらった伊良皆氏の障害者手帳のコピーには「塵肺症により呼吸機能障害3級」とあった。
手帳は1982年6月に横浜市から交付されていた。伊良皆氏はこの少し前まで大阪で斫り作業に就いていたが身体不調となり、息子のいる横浜に来て清掃の仕事をしていたが健診でじん肺を指摘され、医師に「これ以上仕事をしてはいけない」と言われたという。そのあと沖縄にもどりずっと一人暮らしを続けてきて、1999年からは在宅酸素療法を受けるようになった。
今は「要介護度1」と認定され、地域の医療、介護スタッフに支えられて暮らしている。
3月には訪問看護にあたっている看護師さんの案内で自宅を訪問し事情を聞いた。じん肺であること、療養中であることが明らかなため、じん肺管理区分申請と労災請求をすることにし、今回の訪問時に職歴等の聞き取りを行った。1940年に召集、ニューブリテン島で部隊を乗せた船が雷撃され沈没、九死に一生を得て沖縄にもどった。それ以来、約40年間斫り作業に従事した。最後は、大阪市北区に今もある沖縄出身の斫り業者で働いたということだった。
自己申立書を作成した翌日、じん肺健診結果報告書を書いてもらった浦添市内の主治医診療所で休業補償請求書の証明を受け、帰阪後10月17日に大阪・天満労基署に労災請求を行った(管理区分申請は省くことになった)。伊良皆氏は「沖縄にもどってから市役所にも相談をしたこともあったが、どうにもならなかった」と話していた。労基署担当者には一日も早い労災認定を要請した。
今回訪問の直前に、吉元勧氏に入院中の伊良皆氏を訪ねてもらっていた。吉元氏は大阪で長く斫り労働に従事、今は離職して沖縄にもどった方で、伊良皆氏は吉元氏のお見舞いをたいへん喜んだという。聞き取りには、吉元氏、新垣氏、末吉氏が同行し、昔懐かしい話に花が咲いたのだった。那覇、粟国職業病相談会
大阪や那覇の関係者から相談に来るよう働きかけることのできた人のための相談会を、10月9日に那覇市内の官公労共済会館で行った。チラシを作成し、8日に県庁記者クラブで記者会見も行った。会見、場所、準備すべてにわたって自治労沖縄県職員労働組合の多大なサポートがあり、たいへんありがたかった。9日の琉球新報朝刊で相談会が紹介され、これを見て相談に来た人もあった。
相談会では面接による聞き取りと天明医師がレントゲン写真の読影、診察を行った。1名の遺族を含め、10名(うち5名が現役)が相談に来た。
10月10日に粟国島に渡り、11日まで粟国村の公民館で相談会を開いた。新垣氏、末吉氏から話を聞いた人たちが来場し、10名と面談できた。粟国村に一つある医療機関の沖縄県立那覇病院附属診療所の常勤医師や保健師とも会い、粟国島出身の多くの斫り労働者のことを話し今後の協力をお願いした。
13日から16日にかけては那覇にもどり、相談者のじん肺健診、管理区分申請、聴力検査、労災請求のために、医療機関、沖縄労働局、那覇労基署、相談者の自宅などあちこちを回った。
各相談会では次のような相談例があった。
□斫り歴 沖縄で約40年/死亡/アスベスト曝露歴を示す胸膜肥厚斑が全肺にわたっている。慢性呼吸不全による死亡とされた。新聞記事をみて相談に。遺族補償請求準備へ。
□斫り歴 大阪で10年、沖縄で34年/胸膜肥厚斑、軽度の不整形陰影あり、管理区分申請のためにじん肺健診へ、聴力障害があり労災請求。
□斫り歴 大阪で15年、沖縄で18年/中等度の粒状影があり、続発性気管支炎とみられ、管理区分申請。
□斫り歴 大阪で13年、沖縄で20年/全肺野に粒状影、自覚症状はないが管理区分申請が必要
□斫り歴 大阪で28年、沖縄で16年/全肺野に粒状影、大陰影有り、呼吸器症状
□斫り歴 大阪で10年、沖縄で30年/住民健診で何度も結核として指摘される、管理区分申請へ
なお、すべての相談者がじん肺健診を受けたことがなく、じん肺管理区分決定を受けていなかった。今後の課題
沖縄労働局管内の斫り業者からのじん肺健診の報告は昨年は皆無であることがわかっている。事業主側に認識が全くない状況なのだ。被災労働者の救済活動を行いながら、現役労働者の健康管理、安全衛生対策の向上、離職者対策をなんとかして実現していきたい。
A氏の労災請求などでこれまでも沖縄労働局、沖縄、那覇労基署で斫り労働者の問題を話してきたが未だに認識は極めて低い。今回、沖縄産業保健推進センターにも立ち寄る機会があり、居合わせた相談員、幹部職員にこの問題を話したところ、やはり、初耳ということであった。
こうした労働行政の遅れた姿勢をどう変えていくのかも今後の大きな課題といえよう。