アスベスト混入タルク吸入で悪性中皮腫・大阪のゴム製造労働者に日本で初めて労災認定
石綿肺と胸膜中皮腫
アスベスト(石綿)による健康被害の救済を目的に、アスベスト規制運動の一環としてアスベスト・職業がん110番が1991年7月に実施され、これをきっかけに大阪でも労災認定や損害賠償などに取り組んできた。その中の一つとして、石綿そのものではないが、石綿を含有しその危険性が近年指摘されてきていた「タルク」粉じんを吸い、石綿肺と悪性胸膜中皮腫を発症した、堺市の故Oさんの件について、主治医からの相談を契機に1991年10月に労災申請し、認定に向けて協力してきていたが、1992年4月24日、堺労働基準監督署は業務上疾病として認定した。
戦中からゴム製造に従事
Oさんは、大正6年生まれで昭和17年から秋山ゴム(大阪市福島区野田付近)で地下足袋、合羽、長靴などのゴム製品製造に従事した。生ゴム原料を切断し、ロール機でゴムシートにし、これを切断、加工して製品に仕上げていくが、この際、ゴムシートが互いにくっっかないように「打ち粉」としてタルクを使用していた。このとき、マスクはほとんど使わず、使ったとしても衛生マスク程度だったという。粉じん物質としては他にも黒鉛なども使用していた。
空襲で焼け出され、一時、工場は千早赤坂村に移転、昭和20年代後半には、堺市戎島に移り、昭和37年に経営不振で日本ゴム(現社名はアサヒコーポレーション》に吸収され同時に閉鎖されるまでOさんは現場で働いた。その年に、新大阪ゴム(大阪市西淀川区千舟付近)に転職、ここでは製造部長を勤め、ほとんど現場作業にはタッチしなかったが、昭和47年頃の検診で「じん肺」を指摘されていたという。昭和48年倒産とともに退職した。
アスベスト含有とはつゆ知らず
Oさんの生前のお話によると、息苦しさは年齢を重ねるにしたがってあったということで「太りすぎかなとも思っていた」という。その後、悪性中皮腫という不治の病魔に襲われることになった。悪性中皮腫はアスベストを原因とする疾病といわれているが、職歴上アスベストを扱ったことがないことが壁だったが、職歴についての本人、同僚の聞き取りから、アスベストを含有している「タルク」に行き当たった。
生前、聞き取りやお見舞で何度かお会いしたが、そのたびごとにしんどさがましておられるようだった。特に胸の痛みを強く訴えておられ、心中察するに余りあるものがあった。ご家族も大変心配されていた。
労災申請は、最終事業場が堺市ということで堺労基署に申請した。労基署でも症状や職歴を前向きな姿勢で調査し、前例がないにもかかわらず、因果関係が明確なことから今回の認定となったと思われる。
中皮腫では初めての労災認定事例
タルク中のアスベストによる健康障害のうち肺がんにっいては、昨年5月に労働保険審査会でやっと労災認定された事例がある。
これは、泉大津市のオーツタイヤの労働者で泉大津労基署が不支給処分としていたもの。したがって、今回のOさんの場合は、タルクによるものとしては2例目、悪性中皮腫では初めてのケースということになる。学会でも報告例はないとのことで、タルクの危険性と石綿被害の広がりを示すものとして注目される。
今後、タルク中のアスベストについてもきちんとした規制が設けられるべきだと考える。なお、今回の問題に対して協力して取り組んだ熊谷信二氏(大阪府立公衆衛生研究所)にタルクとアスベストについて、故Oさんの主治医大成功一医師(私立堺病院内科)に臨床医としての報告をよせていただいた。
関西労災職業病1992年4月205号
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