外国人労働者とデッド・ペザント・インシュランス~外国人の労災と上積み補償/大阪
ペザント(peasant)は、辞書的な意味では小作農、貧農と出てくるが、最近では米国のヴァンス副大統領が中国を貶めるためにChinese peasants とインタビューで使って非難を浴びた。毎日新聞ではこの単語を「農民」と訳し、ウェブサイトなどでは「田舎者」と訳したものもあるが、ペザントとは自ら土地を持たず、自身の身体以外に生産手段もなく、それでいながら土地所有者に縛られて移動の自由も認められず、人としての尊厳を踏みにじられて困窮にあえぐ農業労働者に対して蔑みを込めて使う言葉で、ネガティブな意味で用いられる。
そんなペザントだが、生命保険にはデッド・ペザント・インシュランス(Dead Peasant Insurance)、と呼ばれる保険がある。1980年代に米国大手企業がこぞって加入したと言われる、従業員の死亡に伴い企業に保険給付がされる保険であるが、これは従業員の福利厚生の一環として加入する団体生命保険や損害賠償保険ではない。もともとは企業所有型生命保険という、著明なCEOのような企業にとってかけがえのない人物が死亡することによって大きく事業に影響を与える事態に備えて、経営上の利益を保護するために加入する保険だった。それを一般従業員にまで拡げて加入できるようになり、従業員から事故や疾病で死亡者が出るたびに会社に多額の保険金が入るようになった。保険加入は従業員の知るところではなく、企業は自社の従業員の死亡に際して片手で遺族に弔文を打電しながら、もう片方の手で保険会社から保険金を受け取るのである。
アメリカでは2006年に年金保護法を制定し、企業所有型生命保険について当該従業員に対する具体的な給付内容を通知することを義務付けたことにより、従業員の死亡に伴う家族への経済的補助のために当該保険が用いられるようになった。現在では従業員の死亡に伴う企業の焼け太りは発生しえなくなったが、日本ではどうだろうか。
ある外国人労働者の労災請求に伴い、所属事業所に任意損害賠償保険加入について尋ねたところ、事業活動総合保険という保険に加入していることがわかった。物損、商取引、賠償などの事業活動にまつわる対外的な損害のほか、従業員の業務上負傷・疾病に対する損害についても保険給付がされることになっている。証書を見ると、従業員の死亡に伴う保険給付はわずか500万円に過ぎないが、それでも保険料は年間約90万円である。従業員の業務上災害補償の範囲には、障害補償に限らず、入院日額、通院日額、休業保険金が定められていて、補償期間は受傷から半年となっていた。
パンフレットを見ると、「被保険者(事業者)が定めている法定外補償規定(災害補償規程など)に基づいて補償対象者(従業員など)またはそのご遺族に支払う補償金に対する補償として、保険金を被保険者(事業者)にお支払いします。」と書かれており、会社が被災者や遺族に補償を支払うことを前提にしている。事業者に補償規定がない場合には「法定外補償規定(災害補償規程など)がないお客さまの場合には、補償対象者またはそのご遺族に保険金をお支払いします。」として、あくまで被災労働者の福祉のために保険給付が行われることが明示されている。
しかし、事業所の労務担当者によると、事業所に補償規定や労使協定はないにもかかわらず、保険金は会社に支払われることになっているという。パンフレットや約款を見せて、保険金は本人に支払われる前提であるため、本人の同意やすでに会社からの上乗せ補償を受領したことの証明が必要であることを伝えると、会社も慌てて保険会社に連絡を取って確認をした。しかし、保険会社の回答は「被災者本人の同意や被災者への支払い事実は必要ない」というものであった。この事業所は被災労働者へ会社からも補償することを目的として任意保険に加入していたので、嫌な顔をひとつも見せずに証書まで見せてくれたが、やろうと思えば任意保険への加入を黙ったまま、保険金だけ受け取ることもできたのである。
以前も、障害等級5級の認定を受けた外国人労働者について、事業所に対して補償を請求したことがあったが、その事業所は任意保険に加入していることを黙って、被災者へは保険から支給される額の1/3程度の額で解決しようとした。その事業主は、事故後、監督署の指導に従って行った安全対策費用に数百万かかったとぼやいていたとのことで、本人に支払われるべき補償をちょろまかして費用の補填をしようとしたに違いない。
労災補償制度も十分に整備されていない発展途上国から来日した外国人労働者の場合、業務上のケガで仕事ができない期間の休業補償だけで十分だと思う者が多い。さらに重症であっても本国にいながら障害補償年金を生涯受給可能であると知って、事業所に対して補償の請求をしない者もいる。しかし、ただでさえ日本人よりも賃金が低い傾向のある外国人労働者で、しかもまだ若年者が多いことを考えると、将来にわたって不自由が続くことについて、低額の障害補償給付だけで十分であるのか疑問である。加えて、日本への人材送出し国の経済発展は著しく、現時点で本国水準では生活を送るうえで十分な補償であっても、10年後も同じく十分であるかというと、その期待を裏切られる可能性が高い。労災補償保険上の年金は、日本の一般労働者の平均給与額に基づいて変動するが、日本に多く労働者を供給しているベトナムを例に挙げると、2022年以降の経済成長率は日本と比較して著しく高く、経済成長に伴う物価上昇とそれを上回る賃金上昇がこのまま続けば日本からの給付で生活が維持できる保証はない。一方、障害者福祉や障害者雇用が進んでいくとは限らないので、自立して生きていく環境は自ら作っていかなくてはならないだろう。
そのために普段から労災受傷に対する事業所からの上乗せ補償については任意保険から給付されるもの以上の補償を求めている。そのうえで、任意保険の支払い要件にはより一層注意を払い、交渉の際には必ず確認をしていかなくてはならない。
関西労災職業病2025年9月569号