セクハラとその根底にある差別意識に気付くこと~2024年度安全センター総会と記念講演「『セクハラ』変わったこと、変わらないこと」牟田和恵さん(大阪大学名誉教授)の報告

総会内容まとめ
2025年2月21日、JAM西日本会館6階大ホールにて、関西労働者安全センターの第45回総会と、記念講演が行われた。総会では、2024年度活動報告と会計報告、2025年度の活動方針発表を行い、参加者の拍手をもって可決された。
また、関西労働者安全センターの議長を交代することを報告した。新議長は、今まで副議長だった中地重晴さん。そして、今まで議長だった浦功さんには、引き続き副議長として運営に参加していただく。要は、二人の役職が交代した形である。新体制で、一層ますます労働安全衛生問題に取り組んでいく。
記念講演報告①
セクハラが日本で問題になる発端

総会後、ジェンダー論研究の第一人者である、大阪大学名誉教授の牟田和恵さんに、「『セクハラ』変わったこと変わらないこと」というタイトルで講演していただいた。
まず最初に、日本でセクハラという言葉が有名になるきっかけとなった1989年8月の福岡セクハラ訴訟と、その後の日本全体の意識変化を話していただいた。牟田さんは、当時、この事件の被害者支援団体代表として活動された。この頃は、日本ではセクシュアルハラスメントという概念がほとんど浸透しておらず、フェミニズムや女性問題、人権問題について研究している人からも、「性的嫌がらせは自分でうまくさばかないと」とか、「実際、怪我でもしたの?」とか言われていたそうだ。そういう状況だったので、被害者女性が、労基署や弁護士事務所に行っても門前払いを食らい、あきらめかけていた時、たまたま福岡で、女性協同法律事務所という女性の法的権利の相談を受ける弁護士事務所が開設された。そこに相談してみると、相談を受けた弁護士は「これは女性差別である」と直感した。なので、被害者女性個人の問題にとどまらず、社会問題として活動する方針を立て、支援する会を立ち上げた。そして、当時からフェミニズムについて研究していた牟田さんにも協力の依頼があり、支援団体の代表として活動したとのことだ。
扱う題材が性的なものであることから、世間からの反発や嘲笑、攻撃が予想されたため、原告は基本的にメディアには一切姿を見せないこととした。そして実際に、1989年8月に訴訟の記者会見をした後、反発や揶揄、イロモノ扱いはあったそうだ。だが、そういう扱いもあったとはいえ、雑誌やバラエティ番組などで大きく取り上げられ、活発に議論が行われ、その年末に、「セクハラ」が流行語大賞になるぐらい全国的に話題になった。なので、社会問題として提起するという意味では成功であった。
それから3年半後の1992年に、訴訟は原告の完全勝訴で決着となった。その後、セクハラに関する法的整備が異例の速さで進み、1999年には男女雇用機会均等法に、企業側のセクハラ防止配慮義務が追加された。このように、社会問題があってから10年という異例の早さで法的な対応が行われたが、この背景は、賃金格差問題などとは違い、事業所にとって費用をかけずにできる対策(ただ注意するだけ)だったことや、社内風紀を守るという企業側の意向に合致したことが原因と考えられ、この問題の根底にある「女性の労働権」や「性的自由」の概念とはズレていたとのことだ。
その後、日本全国で、数々のセクハラを巡る事件や裁判が起こった。だが、福岡セクハラ訴訟では憲法14条の「両性の平等・性差別撤廃」を根拠に争ったのに対し、その後の裁判では基本的に民法709条の「不法行為に基づく損害賠償」で争われており、問題が女性差別ではなく個人間のトラブルの枠組みに収まってしまった。ただし、「女性差別」としてとらえられることはなかったとはいえ、これまで見過ごされてきた、性的嫌がらせという女性が働く上での大きな課題について、問題意識が世間に生まれたのは大きな一歩だったのではないかと牟田さんは仰った。
ここまで話を聞いて私が思ったのは、セクハラ防止についての法整備について、根柢の問題からはズレた方策だったとはいえ、これだけスピーディーに整備がされたのは、世論的に賛成の意見がかなりあったんだろうなということだ。「性的嫌がらせは自分でさばくべき」とまで言われていた状況で、何か不愉快なことを言われて、穏やかに対応しながらも不満をためていた人、逆に自分の言っていたことがまずかったかなと反省した人や、自分が言われてなくとも周りの発言に眉をひそめていた人などが相当人数いたのだろう。それはおそらく、今もそうだ。
記念講演報告②
そりゃニコニコして対応するよ
そんな風に世に認知され、問題として取り上げることが可能になってきたセクハラだが、しかし、どんなに取り沙汰されても、新たなセクハラ事件は起こっている。その理由として、福岡セクハラ訴訟の頃から変わっていないことを2つ説明してくださった。
まず、加害者に加害者意識が欠如しているからとのことだ。ここで講演のスライドに、よくあるような、セクハラへの注意喚起のイラストが表示された。肩を触ったり性的な質問をする男性従業員に対して、不快そうな顔をする女性従業員の絵だ。だが、牟田さんはこれは嘘っぱちだと言う。何が嘘なのかというと、女性があからさまに嫌な表情をすることはないというのである。「職場の人とわざわざもめたい人なんてそういないから、そりゃニコニコして対応するよ」とのことだ。こういうイラストのようなものをハラスメントだと思っていると、相手が嫌な態度を示したら改めようと思いがちだが、そんな拒絶するような態度を取る人は滅多にいない。すると、場がにこやかな状態だから、自分の言動が誰かを不快にしていないかということに意識が向かないのである。
また、セクハラの裁判では、加害者側の弁として、「合意の上だった」というのがまず挙がる言葉だが、セクハラ関連の訴訟を研究する中で、裁判中の加害者の証言などから、これが裁判のための方便ではなくて、実際にそう思っているとしか考えられないケースがままあるとのことだ。これも、被害者がやんわり対応していたから気が付いていないというケースだろう。
「ニコニコして対応していても、実際は嫌かもしれない」というのは全くその通りの話であるが、改めて言われて、自分は全然それを実感してなかったと思った。私は以前勤めていたメーカーで、同僚(男性も女性も)に、割とひどい冗談を言っていた。アウトな発言をしている自覚はあったのだが、相手も笑っていたので、楽しんでもらってるんならいいかと思っていたのである。
受け取った側の実際の気持ちは言った本人にはわからない。気づかずに何かやってしまうのは、それがだめだと気付いた時に都度反省するしかないが、せめて自分で自覚できることは、そもそも言ったりやったりしてはならない。
記念講演報告③
人として敬意をもって見るということ
もう一つの理由は、女性を人として見る前に「女」として見ることがハラスメントであるという意識がないことだ。セクハラの事案でよくある話が、容姿を褒めたのになぜハラスメントになるのか、ということである。それについては、仕事の場で、一人の職業人として評価する前に、「女」としてまず見るということが、女性差別なのだ。容姿を褒める発言自体には相手を下に見る気持ちはないのかもしれないが、そういう発言をする人は、その相手を評価する時に、「女だから」「女ながらに」などという意識が働かないだろうか。そんなことを感じ取り、やりにくさを感じるのである。
この話を聞いて、自分にもそういう意識はあるなと思った。女性に対してだけの話ではなく、他人にレッテル貼りして、その人を素直に評価するのでなく、そのレッテルを通して見るということをよくやっている気がする。相手に敬意をもって見るというのを意識しないといけない。
牟田さんの講演を聞いて、セクハラだけの範囲にとどまらず、ハラスメント全体、また、自分の中の差別意識にも気付かされた。職場でのハラスメントの相談は年々増えている。被害者の気持ち、加害者の気持ち、また、その根底にあるものを意識しつつ、今後の相談に生かしていく。(事務局 種盛真也)

関西労災職業病2025年3月563号
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