ひまわり医療生活協同組合田島診療所々長 三橋徹医師インタビュー/関西労働者安全センター運営協議会 委員紹介

腰痛など筋骨格系の労災患者さんの支援で頼りにさせていただいている整形外科医の三橋徹医師を紹介します。常に患者さんの側に立つ心優しい先生です。筋骨格系労災の事例検討会を主催し情報共有の場を提供いただいています。
-医師になろうと思われたのは?
両親は2人とも医者で、200床規模の病院を経営していました。それで、私も医者を目指しました。父は整形外科医で病院が千葉大学医学部整形外科教室から人事を受けていた関係で、中を理解しようと私も千葉大学の整形外科教室に入りました。
-労災問題にかかわるようになったきっかけは?
大学は順天堂大学で学生自治会から全日本医学生連合の中央執行委員会に入ったんです。神奈川の港町診療所の天明佳臣先生も昔、この中央執行委員会の委員長をしていたことがあります。そこで、労災職業病のフィールド合宿に参加し、横浜の寿町でAA(アルコホーリックアノニマス)や全港湾の港湾荷役の見学をしました。
そこで「カルチャーショック」を受けました。自分たちが幸せになるために働いているのに、そこで命を失ったり、健康を損なうことがあると知って。そのフィールド合宿で、医師として、労災職業病にライフワークとして関わっていきたいと思いました。
それから現在の東京労働安全衛生センターの前身である東部労災職業病センターに学生のころから顔を出すようになって、後に事務局員になり、地方での研修中は行けませんでしたが、ずっと参加していました。
-AKA博田法や経絡治療との出会い
千葉大学の教室に入って、広く関東一帯に関連病院があって、関連病院施設で研修しました。そうした関連病院で、だんだん中堅から役職へとエスカレーター式に上がっていくやり方が性に合わず、大きな組織の中で自由に仕事をするのは難しいと感じていました。
また、整形外科医の間では、労災職業病は詐病であると言ってはばからない風潮がありました。労災や交通事故など補償を受けられるものに対して偏見がありました。患者は補償を受けたいために訴えている、だから治療を長引かせるというのも、メジャーな考え方でした。また、手術をしない患者はくだらないという評価を医者がすることもありました。
西洋の整形外科学だけでなく他に良い治療方法はないだろうかと模索する中で、1999年頃からAKA博田法の存在を知り、研修を受け指導医になりました。また広島の友和クリニックの宇土博先生に、新経絡治療を勧められました。そのころ、ひらの亀戸ひまわり診療所に勤務していて、そこで宇土先生が新経絡治療のデモンストレーションをされました。デモンストレーションで治療を受けた頸肩腕障害の患者さんから、勉強してきてほしいと頼まれました。患者さんに頼まれたので、これはやらなければと思いセミナーを受けて、経絡の治療を始めました。
-2010年に田島診療所に来られて、当センターは労災被災者の件でいろいろお世話になるようになりました。
田島隆興先生が亡くなった後、縁あって尼崎のひまわり医療生協田島診療所の所長となりました。
しかしうまく対応できずに、反省していることもあります。
田島先生がずっと取り組まれてきた指曲がり症の患者さんが多数おられたのですが、その活動をきちんと引き継げなかったことなどです。
大阪市学校給食調理員労働組合の検診を行っていましたが、橋下市長になって整形外科専門医の資格を入札の条件にし、僕が資格を持っていなかったため検診ができなくなりました。検診がなくなって、学給労との関係がなくなっていきました。後から学給労から検診の要望もあったのですが、応えられませんでした。
そのことから、東京労働安全衛生センターでやっていたように労災事案について、情報共有したり相談したりできる場が必要と考え、関西労働者安全センターに声をかけ、事例検討会を始めました。当初は診療所で行っていたのが、新型コロナウイルス感染症の流行以後、オンラインで会議するようになり、東京や神奈川の安全センターからも参加してくれるようになりました。
-今関心のある事はなんですか
宇土博先生が新経絡治療を立ち上げる前に、遠絡療法の講習に行かれていたのですが、僕も今講習に参加しています。手で2か所押すだけで腰痛がよくなる、本当に簡単に誰でもできる手技があります。
経絡治療は、道具や薬がなくてもできるので、戦争や災害地域で物資がないところなど、世界中の人が知ることができればいいと思います。
また、産業医をしている介護福祉施設では腰痛が多く、講師を招いてノーリフトケアの学習会を行いノーリフト委員会を立ち上げて自分たちで腰痛予防の取り組みをしています。私が患者さんを治療するばかりではなく、患者・家族、職場や地域でこういった知識が広まって予防や治療ができるようになればいいと思います。命ある限り、そんな取り組みをしていきたいです。
仕事は好きなこと興味のあることをしているのですが、余暇を仕事や宿題や研修で埋めてしまうのは良くないと思いつつ、そのような人生を送ってきてしまいました。とは言ってもその間に本を読んだり調べたりするのは好きです。最近は、亡くなった森永卓郎さんや寿町の本を読んでいます。
-お忙しいところ、夕方診のあとに、時間を取っていただきありがとうございました。これからもお世話になると思いますが、よろしくお願いいたします。
関西労災職業病2025年3月563号
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