大手家電メーカーの石綿ばく露被害●京都
2024年7月の中皮腫ZOOMサロンで、中皮腫サポートキャラバン隊事務局の松島恵一さんより、関西地方の方からあった石綿被害相談について、関西労働者安全センターでの対応を依頼された。連絡先を伺って電話をすると、被災者の長女に繋がることができ、状況を伺った。2023年12月に、父親が息苦しい等の体調不調を訴えて、枚方市にある関西医科大学付属病院を受診したが中々病名が分からず、色々と検査を行い2024年7月に胸膜悪性中皮腫と確定診断された。高齢であるため手術はできず、抗がん剤治療するとのことだった。職業を伺うと、M社で、コンデンサのチップの作成と設置を行っていたとのことであった。さらに詳しく話を伺うため、8月11日に被災者宅を訪問した。すでに概要を記載したメモをいただいていたので、その内容に沿って詳細を伺った。
M社には1959年入社、当初は本社でスピーカーの制作に携わり、2年後にコンデンサ事業部に異動、その後30歳ぐらいの時、コンデンサ事業部・U工場に異動、2000年60歳で定年退職した。その間、被災者はアスベストにばく露した記憶はないと言っていたが、たぶん被災者が石綿を認識せず、知らなかったのだと思う。コンデンサの修理・設置・メンテナンスで出張に出る機会が多くあり、また、修理・設置・メンテナンスでは、点検や掃除のため、機械内部や天井裏に上がっていた。その際、吹き付けられた石綿があった様に記憶しているとのことであった。同時に厚生年金の履歴、その他、関係資料の取り寄せと会社の連絡先を伺ってその日は帰阪した。
数日後、U工場に連絡を入れ、面談を申し入れようとした際、会社側はまず被災者が在籍していたかの確認を行いたいとのことで、氏名・住所等を教えて返事を待つこととした。数日後、担当者から連絡が入り、同じ苗字の方はおられるが、名が違っているとの報告を受け、長女に確認すると、父親は自分の名が嫌いだったため、愛称に変え、入社当時に会社に愛称を報告していた。会社に再度連絡して説明すると本人であることが確認された。長女と連絡を取り、会社と面談の為のアポイントを取ってくれるように依頼した。その後、10月18日午後3時より面談することとなった。
10月18日、会社に説明を求めるため、被災者本人と長女の3人でU工場に向かった。会社は当時の資料を基に、就労していたことは確認できたが、石綿等を扱った記録は無いとのことであった。会社の担当者自身が40歳代で被災者本人が就労していた年代が違うこともあって具体的なことは不明であるとの回答であった。その日は会社から退職証明書を受領し帰阪した。
その後、状況を整理すること、病名は胸膜悪性中皮腫であるため、そのプロセス、石綿にばく露した経緯をはっきりさせるため、再度被災者から話を聞くべく11月13日被災者宅を訪ねることになった。40年程前のことであって記憶が曖昧な部分があるが、コンデンサの設置場所やメンテナンスの際の周りの職場・作業環境聞き取り、コンデンサの設置や点検整備を行った各途方の工場内の建屋・周辺の機械周りには吹き付けられた石綿があったと記憶していた。これらの報告を受けて、内容を整理しまとめ、労災申請の準備をすすめることとした。(つづく 事務局 林繁行)