全日本建設運輸連帯労働組合近畿地方本部関西地区生コン支部 副執行委員長 武谷新吾さんインタビュー/関西労働者安全センター運営協議会 新任委員紹介

今年度から関西労働者安全センターの委員を引き継いだ武谷さん。波瀾万丈の組合活動についてその一端をお話してただきました。

-関西生コン支部で活動されるようになった経緯を教えてください。

労組の組合員として活動して31年目です。生コンドライバーをしていて、全日本建設運輸連帯労組の朝日分会に加入しました。日々雇用の運転手の分会でした。

関西地区生コン支部は1965年に結成され、産業別労働組合として生コン車のドライバーから始まり、建設労働者、運輸労働者を組織してきました。

私が働き始めた90年代は、日雇いや個人のドライバーが大勢いて、関生支部が日々雇いの労働者をまとめていました。労組は解雇者に各生コン企業を紹介したりしていました。日雇い手帳を持って仕事に行き、仕事がないときには失業給付がもらえるようにもしました。

労組の執行部に入って25年になります。

当時は関生支部の事務局で日雇いドライバーの配車を担当しました。生コン企業に日雇いドライバーを手配していました。
月25日働いてほぼ社員のような働き方なのに、日雇い扱いで解雇された運転手が、相談に来ていました。

-裁判で無罪を勝ち取られたときは喜びましたが、逮捕から大変でしたね。

運転手の雇用や賃金は生コン会社によるのですが、その生コン中小企業は大手ゼネコンによって生コン価格を買いたたかれる立場にありました。そこで、中小生コン企業に協同組合を作らせて、価格の安定を図って買いたたかれるのを防ぎました。中小企業の利益を守ることが私たちドライバーの権利を守ることにもなるため、労組は企業に協同組合に入るように説得しました。

1980年代にもアウトサイダー業者を協同組合に入れるという約束を反故にされたことで争議になり、たくさんの逮捕者を出しました。このときは中小企業の人も逮捕されました。

私自身は、2005年1月に初めて逮捕されました。黙秘権を行使したのですが、黙秘すると保釈されないらしく、そのまま22日目に起訴されました。起訴後に保釈されると思っていましたが却下されたので、がっくりしました。裁判が終わるまで1年拘留されました。接見禁止で、代理人の位田浩弁護士以外には会うことができず、月に1回裁判に出廷して傍聴に来た仲間の顔を見られることが楽しみでした。しかし、裁判所から拘置所に戻れば独居房で、1日点呼の看守としか話しをすることもなく過ごすのは辛かったですね。そのときは、高裁まで争って、威力業務妨害、強要未遂で有罪になりました。

2度目の逮捕は2019年で一審は有罪でしたが、二審は威力業務妨害、強要未遂ともに無罪を勝ち取りました。相手側協同組合は、元暴力団らを使って労組を脅迫しておいて、警察に被害を訴えました。中島光孝弁護士らが頑張ってくれて、「正当な組合活動だった」と認められました。2022年3月のことです。すばらしい判決文で、今も落ち込んだときはその判決文を見て、励まされています。

-最近の労災・安全衛生の課題は何ですか?

組合への相談は、心の病気のケースが多いです。ほとんどが組合員以外からの駆け込み相談です。街宣活動で配る抗議ビラの裏に労働相談窓口を載せていますので、それを見て相談が来たりします。街頭でビラを見た年配女性が話しかけてきて、実は娘がいじめを受けて引きこもりになっていると言うので、名刺を渡して後日相談に来られたということもありました。労組に相談できることをもっと知ってもらいたいですね。

パワハラや上司からの暴力に泣き寝入りしているという話しも多く、その上司も上からいろいろ言われて、職場がギスギスしているのでしょうね。団体交渉では説得して謝罪を求めます。会社が認めずに裁判になるケースもあります。

-休日などはどのように過ごされますか?

休みの日はDVDで映画を観たり、小説を読んで過ごしています。勉強の本も読みますけど、宮部みゆきや東野圭吾の小説が好きです。

先輩方から受け継がれてきた組合活動を楽しく方っていただきました。これから、安全衛生の課題についても当センターと協力していけると期待します。(文責 事務局)

関西労災職業病2024年6月555号