2024訪韓記録vol.3 水曜デモと労働環境健康研究所

1.ベジタブルエクスプレス

2月28日の訪韓3日目、新幹線で全州市を後にして、ソウル市へ移動した。

新幹線と言えば、今回、韓国の新幹線であるKTXに乗って驚いたことが一つある。なんと改札がないのである。webでチケットを取って、そのままホームに素通りで行って乗るという方式だ。さらに、改札口やゲートがないだけではなく、車内の検札もない。じゃあ、チケットを取らなくても、こっそり乗れるじゃないかということなのだが、こっそり乗れるのである。実際、今回も、私の前の座席に乗っていた客が、後から来た客に何ごとか言われ、席を移動していた。おそらく無賃乗車だったのだろう。野菜の無人販売を思わせる、おおらかな料金制度である。

2.水曜集会とヘイトスピーチ

日本大使館前抗議集会

ソウル市に午前11時ごろ到着し、昼食を食べて、旧在韓日本大使館前に移動した。日本軍性奴隷問題解決の水曜集会に参加するためである。到着すると、よく目立つところにデモをやっている集団がいた。ここかと思ったが、同行者の3人はスルスルとそれを横目に通り過ぎていく。どこへいくのかと1分ほどついていくと、別のデモ会場の前までやってきた。ここが目的の場所だそうだ。じゃあ最初のはなんだったのかというのは一旦おいといて、デモ会場には、正面に6畳程度の仮設ステージがあり、その前に仮設の柵で囲まれた参加者用のスペースがあった。ステージの上では司会者や講演者が、日本の謝罪や賠償を求めるスピーチをしており、スペースには50人以上のデモ参加者が座り込んで聞いていた。受付に行き、パンフレットとゴムのクッションを受け取り、そのクッションを地べたに敷いて、私も参加者の一人として座り込んだ。

周りを見回すと、若い子が多く、20~30代の人が一番多く集まっているようだった。誰が連れてきたのか、小学校高学年ぐらいの年齢の集団もいた。また、参加者だけでなく、ステージ上の講演者も、おっちゃんおばちゃんの合間に、高校生の女子2人組がスピーチしていたりした。若い。思えば、民主労総全北本部の事務局も、来年大学を卒業するという年齢の人がいたし、そもそも新本部長以下幹部が全員40代前半である。韓国では、市民運動が生活の自然な選択肢の一つになっているのかなと思った。

柵外から声を上げるカウンター集団

さて、座ってスピーチを聞いていると、会場の横から大声が飛んできた。なんだと思って声の方を向くと、別の横断幕を掲げた人たちが、こちらの会場へ何事か叫んでいる。中村氏に聞いてみると、どうやら、この水曜集会に反対するデモを行っているそうだ。彼らが喋っている内容は、差別的な発言や、喧嘩を売るような挑発だそうで、要はいわゆるヘイトスピーチとのことである。ここで、到着した時に最初に見た、よく目立つところのデモの話になるが、あれも、実は同様の、水曜集会に反対する団体のデモらしい。要は、良い場所を水曜集会で使わせないために、先に場所を抑えたということのようだ。ヘイトスピーチのためにそこまでするのも元気なことである。ただ、言いたいことがあるのなら、人の喋っているのを大声で邪魔するのではなく、正式な議論の場でお互いの主張を納得いくまで考え合えばいいと思うのだが、そうはできないのがヘイトスピーチたる所以なのだろう。

3.労働環境健康研究所

イ・ユングン所長(左)の案内を受けるメンバー(右から2人目は筆者)

水曜集会が終了し、会場をあとにして、我々はソウル市緑色病院を訪れた。この病院内にある、労働環境健康研究所の説明と案内をしていただけることになっていたからである。

早速会議室に通していただき、研究所の所長であるイ・ユングン氏より説明を受けた。研究所の設立の背景であるウォンジンレーヨンの労働災害の話から始まり、設立の歴史、研究内容と成果、今後の課題などをお話いただいた。

韓国政府と協力して、一般市民が触れる可能性のある有毒化学物質のリストを作って公開したり、筋骨格系症状に関する事業者の義務を定める法律を作ったりと、色々興味深い話を聞けたが、その中から、研究、そして市民活動という観点でそれぞれ1点ずつ紹介したい。

まず研究という点から、定期的に消防職員の血液検査を実施しているという話だ。当然、消防職員は、研究所抜きでも定期健康診断を受けて、血液検査もしているのだが、あくまでそれは個人の健康を管理するためである。研究所では、ソウル市と協力して、市内の消防職員の血液検査を行い、消防職員全体の傾向として数値の推移を研究しているとのことだった。また、定期的な検査の他、近くで火災が起こった時は、現場まで行って、作業直後の血液を採取したりしているそうである。なぜそういうことをしているのかというと、消防職員達は、火災現場で有毒ガスを皮膚から吸収しているので、それによって健康被害が出ているはずだが、今は彼らの病気と業務の関連性が明らかになっていない。なので、今研究結果を残すことで、将来の労働災害の予防や補償に役立つだろうという考えである。そして、ここからが紹介したい理由なのだが、これらの研究成果は、なんと、”20年か30年後”には実るはず、と仰っていた。目の前の課題の大きさにしり込みするのではなく、20~30年かければなんとかなるだろうと基礎研究を積み重ねること。何かを成すには、このスケールの視点をもつことが大事なのだろう。

次に、市民活動という点で、研究所の設立にも関係しているウォンジンレーヨンの労働災害について、問題を告発するために行ったある出来事の話である。

1987年ごろから、ウォンジンレーヨンで健康被害を受けた労働者の数も集まってきたので、補償や労働環境整備に関する活動をしていたが、韓国政府は真剣に取り合ってくれなかった。そこで、韓国を超えて、世界にアピールするためにはどうしたらいいかを考えていると、翌年の1988年、ちょうどよく、韓国ではある世界行事が予定されていた。ソウルオリンピックである。そして、たまたま、その聖火ランナーのコースが、ウォンジンレーヨンの工場前を通るルートだった。そこで、聖火コースが工場前を通る機会をとらえ、棺とともに工場前に座り込む示威行動をとった結果、黙殺されていた死亡災害が職業病に認定される転換点となったというのであった。

4.まとめ

この後の旅程についてはハイライト的に書かせていただく。病院を出た後、韓国環境保健市民センターのチェ・エヨン氏が、彼の事務所で歓迎会を開いてくれた。私は酔いつぶれて、片付けの最中に皿を一枚割った。翌日にはソウル市内を観光した。朝鮮人参の飴は、朝鮮人参の味がした。おいしかったかおいしくなかったかは想像におまかせします。

今回の訪韓を通して、韓国の人の活動の元気さと、巨大な事にもひるまずに立ち向かっていく姿勢に非常に刺激を受けた。私も、それに倣い、相談に元気よく明るく取り組み、難しそうな案件にもおびえず一歩一歩進めていく。(事務局:種盛真也)

関西労災職業病2024年5月554号