消防職員の惨事ストレス対策~とにかくしゃべってもらうこと~
2023年9月14日、関西労働者安全センターの運営協議会が行われた。その中で、ゲスト講演として、41年半の間、消防士として大阪市消防局に勤めてこられた片山雅義元警防部長に、消防職員のメンタルサポートについて話をしていただいた。その内容を紹介する。
惨事ストレス
今回の講演では、主に、消防職員の「惨事ストレス」とその対策について話をしていただいた。
惨事ストレスとは、その名の通り、火災等の大きな災害現場で、悲惨な体験や恐怖を伴う体験をした際に受けるストレスのことである。「惨事ストレスを感じる事案」の類型をまとめた表を以下に載せるが、その8つの中で、片山氏の経験上、④「子供の死など、家族を想起させる場面」、⑤「救出した人の死、救出できなかった場合の無力感など」、⑥「同僚の負傷、殉職が発生した場合」が現場では多く、また、強いストレスに繋がりやすいとのことだった。
④、⑤、⑥に共通していることとして、人が救えなかった体験が元になっている。責任を果たせなかったという思い、無力感は、心に大きな負荷をかけるそうだ。
(事例) | ①飛散、凄惨な場面での活動 |
②活動に困難性が伴い、いのちの危険を感じながらの救助活動 | |
③道の危険や、極度の不安、緊張感の伴う現場活動 | |
④子供の死など、自分の家族を想起させるような場面 | |
⑤救出した人の死、救出できなかった場合の無力感、罪悪感、自己嫌悪、責任感など | |
⑥同僚の負傷、殉職が発生した場合のいわゆる生き残り症候群や罪悪感など | |
⑦トリアージの必要な現場活動 | |
⑧衆人環視の中での困難な救助活動 | |
※必ずしも災害の規模が大きい場合にのみに限られない。 |
消防庁のメンタルサポート
惨事ストレスという問題が消防組織に認知されたきっかけの一つは、平成7年の阪神淡路大震災だった。未曽有の大災害であり、救助に向かったものの、なすすべなく、人が亡くなっていくのを眺めることしかできないような現場が多数あった。そして、救助できなかったことで、住人の非難にさらされた。そういった状況で、主に救助を担当していた神戸市消防局の職員の中に、精神に失調をきたし、仕事に復帰できなくなった人が多数出たそうだ。しかし、この時は、問題は認知されたものの、組織立って対策を打つには至らなかった。
その問題が再度注目されたのは、平成13年9月の、新宿歌舞伎町ビル火災である。小さいビジネスビルで、44人もの死者を出したこの火災によって、担当した東京消防庁の職員に精神的に傷を負った者が出た。おそらく、数十年、あるいは数百年単位の特殊な大災害ではなく、日常で起こりうる火災で心にダメージを負うようなことが発生するというのが、惨事ストレスが再注目された主原因の一つだろう。
消防庁は、平成13年12月に惨事ストレス対策のプロジェクトを発足した。精神科医や臨床心理士等の協力を得て、全国の現場のアンケートを踏まえた研究を重ね、平成15年2月に報告書をまとめた。そして同年4月、消防庁管轄の、「緊急時サポートチーム」が結成された。
メンタルサポートチームは、精神科医や大学教授、臨床心理士等の専門家により構成されている。消防庁は、惨事ストレスが予想される大規模災害や、消防職団員の殉職等が発生した際に、現地の消防本部等から要請を受け、サポートチームを派遣する。
配布の資料に掲載された架空の事件による派遣モデルでは、8月22日に事件が発生し、翌8月23日に消防本部が消防庁に相談。もろもろ調整があり(派遣者、相談対象者の決定、事件概要やPTSDチェックリストの作成など)、実際の派遣は9月10日で、その日一日かけてカウンセリングする、というものだった。
チーム発足から令和5年4月1日現在で、84件、合計4174名の職員を対象とした派遣実績がある。
現場でのメンタルサポート
しかし、片山氏曰く、サポートチームの派遣は、メンタルヘルスへの対応としては、後手の対策とのことであった。確かに、サポートチームの対応は、上述のモデルケースでも、事件発生から派遣まで19日かかっている。片山氏は、それまでにやっておかなければならない重要なことがあると言う。それが、「デフュージング」だ。
デフュージングとは、事件が起こった直後に、それがどういう事件だったか、それに対応してどう思ったか、どう感じたかを、現場対応したチーム単位で話し合うというものである。どれぐらい直後なのかは事件ごとに違うが、消防署に帰る車の中であるとか、署に帰って、装備を片付ける前であるとか、そのレベルで直後に行うことである。
片山氏が救助隊長として4人1チームで働いていた時は、どんな事件でも、署に帰った後すぐに、4人全員でデフュージングを行っていたそうだ。どのような事件だったかということを振り返るのだが、特に悲惨な遺体があったような現場では、どう思ったか、それを見てしんどくなってないかなどの話をして、吐きそうになったとか、涙が止まらなかったなどの心情を吐露させた。思いつくままに吐き出させるというのが重要だというのが片山氏の実感だそうだ。そして、そういうストレスチェックをした上で、この子はまずそうだとなったら、改めてメンタルサポートチームの力を借りて、組織としての対応を行っていくのである(これをデブリーフィングという)。
片山氏は、メンタルサポートチームといっしょにやるデブリーフィングよりも、事件直後にやるデフュージングの方がメンタルヘルス対策としては重要だと感じているそうだ。実際、心療の分野でも、デフュージングがうまくいったかでPTSDの予後にまで影響が及ぶと言われている。
デフュージングの事例
ここで、片山氏自身がデフュージングを受けた事例を一つ紹介する。それは、平成23年3月の、福島第一原子力発電所爆発事案だ。
彼は、その三号原子炉への放水作業の一員として派遣された。その任務を受ける時は、再度爆発があったら生きては帰ってこられない、これは片道切符だと思っていたとのことだ。このような、生きて帰れるかわからないという気持ちで現場に向かったのは、氏の41年半の消防生活でもこの一度きりだったという。
現場では、スーパーレスキューと呼ばれる、特別高度救助隊の面々とも一緒に作業することになったが、その隊員が、手が震えて防護服の密閉テープがなかなか巻けなかったという。普段はどんな困難な現場でもこなす隊員が、緊張で体をこわばらせるような現場だったのだ。
片山氏は、三号原子炉への、2回目の放水作業の一員として作業をした。途中トラブルはあったものの、前述のスーパーレスキュー隊員のファインプレーもあり、なんとか作業を終了した。
作業が終了して、一通り装備を外し、椅子に座った瞬間、片山氏は体から力が抜け、ふぬけのような状態になったという。そのタイミングで、現場の担当者がデフュージングを行った。
現場で作業した者を全員集め、車座になって、現場について好き放題に話し合う。誰かが言ったことに対しては、何か意見を言うでもなく、ただみんな、自分が現場で思ったことを全部言っていく。
そのようにして1時間ほど皆で話し合った結果、あれほどあった緊張や、その解放からのふぬけ状態がやわらぎ、体がすこぶる軽くなったように感じたそうだ。そういった経験からも、片山氏はデフュージングの大切さを感じているとのことである。
堰を切る人になる
堰を切ったように、という言葉がある。抑えていたものが、激しくあふれ出すことの例えで、押し黙っていた人が急に喋りだす様子によく使われる慣用句だ。
堰というのは、川の流れを制御するための壁のようなもので、堰を切るというのは、堰が壊れて川の水があふれることである。嵐や土砂などに負けて壊れることもあったが、実際には、川が氾濫するのを防ぐために、人の手で壊すこともよくあったらしい。だからこそ、堰が切られたように、ではなく、堰を切ったように、と表現するのだろう。
今回の講演を聞いて、相談を受ける時に大事なのは、まず堰を壊すことだと思った。相手の川を落ち着かせるために、堰を切って水を抜く。とにかく、喋りたいことを喋ってもらう。実際私も、労災の相談に来た人から話を聞きながら、ほぼアドバイスもなしに相槌を打っていただけで、聞いてくれてありがとうございますとお礼を言われたこともある。まずは話をじっくり聞くこと、聞けるようにどっしり構えることが大事だ。(事務局 種盛真也)
関西労災職業病2023年10月548号
コメントを投稿するにはログインしてください。