内装工・現場監督の石綿被害ー中皮腫救済●東京

「NPO法人中皮腫サポートキャラバン隊」は数年前に結成され、全国の中皮腫患者と家族との交流や意見交換、情報共有などの啓発活動を行ってきた。ところが約3年前から新型コロナウィルスの爆発的な広がりにより全国キャラバンを中止せざるを得なくなってしまった。

全国キャラバンが実施できないことから、パソコンやスマホ等を使って中皮腫zoomサロンを開設、毎週水曜日の午後1時から午後4時頃まで、全国の患者・家族との交流・意見交換などを行ってきた。

昨年(2021年)10月下旬、中皮腫zoomサロンに米国カリフォルニアから初めて参加した女性から石綿ばく露による被害救済の相談があった。女性のお兄さんの話しだった。10月初旬、突然、呼吸困難に陥り、救急で近隣の病院に搬送され、レントゲン検査の結果、右肺に胸水が確認されたが、この病院では適切な処理ができないことから京都市立病院に移送、されそのまま入院することになった。

京都市立病院に10月25日まで入院、その間、胸水を抜き、右肺の精密検査、内視鏡などを行い、26日にもPET検査、27日MRI検査と受けた結果、上皮型・悪性胸膜中皮腫との確定診断がなされた。職業を聞いてみると内装工の現場監督とのことであった。早速相談者からお兄さんの連絡先等を伺い、後日、お兄さんに電話して、事実関係の確認や当時の状況を伺うためにお会いする約束を取り付けた。

月が変わった11月、京都市・円町にある会社事務所で本人とお会いし、職歴や厚生年金履歴の記録、詳しい業務内容など、労災保険請求に必要事項の説明を行って聞き取りを一端終了した。本人は抗がん剤治療のため11月8日より京都市立病院に再入院し、これは兵庫医科大学での手術を前提とした治療で、翌年2022年1月より兵庫医科大学へ入院、胸膜剥皮術を受けることになっていた。

後日、厚生年金履歴の記録が届き、最終職歴の調査をすると、最終職場がA社に社名を変更しB社となっていた。この会社は父親から引き継いだもので本人は管理職扱いとなっていて(調査当時は代表取締役社長)労災保険法上の特別加入制度の対象であることから、会社へは労災保険料申告書を確認、京都労働局徴収課にも問い合わせると、特別加入はしていないとの返答であった。

その直前の就労職場は、東京都青山のC社(すでに廃業)を石綿ばく露最終職場として労災申請することとした。C社は東京都港区青山にあったので、管轄の東京の三田労働基準監督署労災補償課に連絡を入れ、担当者に説明を行い申請する旨を伝えた。それから2回か3回京都市・円町の会社事務所で本人にお会いして、必要書類の整理や必要事項を聞き取り、とりあえず、環境再生保全機構の救済申請手続きを行うこととした。

年が変わった2022年1月、病院より休業補償給付申請書が返ってきたので、東京三田労基署労災補償課に対して、レントゲン、CT、関係資料を含め郵送した。

しばらくすると、東京労働局から私に対して、本人から同僚証言を得られないかとの問い合わせがあったが、本人に確認を取ると、今回の対象とする職場が全て東京であることと、すでに廃業していることで同僚証言は困難であるとの返答だった。

一方本人は2月に兵庫医科大学を退院、術後の抗がん治療については京都市立病院、月1回の経過観察については兵庫医科大学に通院していた。しかし、手術の痛みが中々癒えないようであった。

東京労働局から何の連絡も無いことから、調査状況を聞くため、電話を入れると担当者から提出された請求用紙・関係資料について事実関係の調査を行っているとのことであった。その間本人とは何か疑問点が出れば、その都度電話連絡を行っていた。10月に入って、相談者から電話で、東京・三田労基署から労災が決定されたとの連絡を受け、ほっとした。また、職種が建設関連であることから、建設アスベスト給付金の申請を準備している。労災申請から約10カ月での認定だ。過去から比べると若干早くなった気もするが、やはり特殊な病気であることと、認定の判例が少ないことが認定の難しさを物語っているような気がする。もう一点、本人の体調が良く、多分オプジーボがよく効いている状態で病状も安定しているとの報告も聞いて、安心しているところだ。(事務局 林繁行)

関西労災職業病2022年11-12月538号