建設労働者(電気工)のアスベスト(石綿)健康被害、中皮腫で労災認定/大阪

2020年7月、関西労働者安全センターに1本の電話が掛かってきた。

内容は、自身の父親の病気についてであった。同年6月に悪性胸膜中皮腫と診断され、知らない病名に、どういう治療をするのか何もわからない状態で、インターネット等を調べてみると、深刻な病気であることと石綿ばく露が関係していることがわかった。さらに相談する所を探して検索して、関西労働者安全センターを見つけて電話をかけてきた。電話で簡単に相談内容を伺ったが、後日お会いすることを約束しひとまず電話を切った。

同年7月10日相談者と面談し、詳しく内容を伺ってみると、父親は以前より定期的に通院していたクリニックでの健康診断の際、血便が発見され、検査のために別の病院を紹介された。その際にあまりに呼吸の乱れが酷いことから検査を実施した病院からK病院の呼吸器内科を紹介され受診したところ、右肺に胸水があり、そのまま入院することとなった。病名や原因が不明なまま4月26日まで入院し、主治医より詳しい検査を指示され、PET検査と肺の生検を行うことになり、関連病院のS病院で精密検査を実施した。

K病院に戻って検査結果報告を受け、6月1日に胸膜悪性中皮腫と診断されて、今後の治療方針も含め説明を受けることとなり、一端退院した、という内容であった。

7月初旬再入院、第1回目の抗がん剤治療が始まった。7月25日に抗がん剤治療が一端終了し退院することになったが、退院した翌日に自宅で転倒し、腰部を骨折して再び入院となった。実は、退院した翌日26日に自宅において、当時の建設関係の業務内容について伺うこととなっていた。そして折しも、新型コロナウィルスの関係で病院での面会ができず、石綿ばく露との密接な関係がある建設関連(電気工事)の会社と連絡を取ってもらい、当時の仕事内容と石綿ばく露に関して状況の聞き取りと労災申請に当たっての協力要請を行った。協力を取り付けたものの本人から全く聞き取りができない日々が続く一方、親族が集まり父親の今後の治療について話し合いが持たれていた。実は、1回目の抗がん剤治療の副作用が強く体力的にも精神的にも耐えられない旨の意思を本人が家族に伝えたため、急遽、親族会議が開催され、結論としては、抗がん剤治療は行わないこと(延命治療のみ)になり、その旨、主治医に相談したところ、病院は患者の治療するのが目的であり、治療を行わないのなら入院させられないとのことで、家族はホスピスの紹介を主治医及び病院側に依頼した。

同年8月初旬に吹田市のホスピスへ転院、一方で、労災申請のすべての種類がそろったため、8月20日北大阪労働基準監督署へ労災申請を行った。

しばらく平素な日々が続いていたが、9月中旬、私に電話が掛かってきた。何か悪い予感を感じながら電話を取ったが、「昨日、父親が亡くなりました。」と涙声で報告があった。私は、まだ必要な手続きがありますが、葬儀等で忙しいでしょうから、少し落ち着いてから連絡をください、と電話を切った。

10月初旬に、再び電話が入り、埋葬費の件と特別遺族一時金の請求の説明をし、必要書類の準備を依頼した。その後書類が整い北大阪労働基準監督署へ請求を行い、すべての手続きが終了した。

労災の決定の通知が来るのをやきもきしながら待っていたところ、年が変わり2021年2月初旬、家族より電話が入り、認定されたと報告を受けた。患者・遺族が救済されたことに安堵した。今、少し振り返ってみると、大阪府下には13の労働基準監督署があるが、石綿関連疾患は大阪労働局が一括管理・処理することになっており、早期救済ができるのか疑問を感じている。ましてや、職員の員数や繁忙等また、新型コロナウィルス等で調査も中々進まない状況で、今回のケースも申請から認定まで約8ケ月の期間を要した。被災者救済の立場を重んじるのであれば、早急な対策を講じて早期認定が望まれるところである。(事務局:林繁行)

関西労災職業病2021年4月520号