タルク付きゴム手袋で胸膜中皮腫、北海道の製薬工場。労災認定、道内初

製薬工場でのアスベスト含有タルクによる労災認定は3例目か

看護婦やゴム工場労働者のアスベスト含有タルクばく露が原因の中皮腫などのアスベスト被害については、これまで、本サイトでも報告しきた。

今回、このようなアスベストばく露による労災認定が、北海道では初めて行われた。

支援を担当してきた中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会の北海道事務局である澤田慎一郎氏(全国労働安全衛生センター連絡会議専従事務局員)が札幌で記者会見し、タルクによるアスベスト被害について訴えた。

ゴム手袋で石綿労災 札幌の製薬会社勤務の女性 道内初認定

札幌の製薬会社に勤務していた女性が中皮腫で死亡したのは、ゴム手袋に付着していたタルク(打ち粉)に含まれていたアスベスト(石綿)を吸い込んだのが原因として、札幌中央労働基準監督署が業務による疾患と認め、労災認定していたことが30日分かった。

労災認定は3月16日付。石綿被害者を支援する「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会」(東京)が同日、道庁で記者会見して明らかにした。同会によると、タルク由来の石綿被害による労災認定は道内初。

同会によると、女性は1972年3月から8月にかけ、製薬会社の工場で薬剤師の助手として勤務。薬の原材料を加工する際、会社から支給されたゴム手袋で作業した。2019年2月に中皮腫を発症し、同年10月に85歳で死亡した。

ゴム手袋は市販のもので、他の手袋と張り付かないようタルクが打ち付けられていた。当時のタルクには石綿が含まれていた可能性があり、製薬会社側はその点を認めたという。

労基署は、女性が石綿を吸い込んだ期間は労災基準の1年より短いが、大量に吸い込んだ場合、肺にできる石灰化が確認できたことから、業務により中皮腫を発症したと判断した。

同会の調べでは、タルク由来の労災認定は全国で43件あり、ゴム手袋に付いたタルクによる認定は、山口県の准看護師など少なくとも3例あるという。製薬会社での認定は08年の埼玉、15年の茨城に続いて3例目。

タルクは滑石(かっ せき)と呼ばれる鉱物で、粉末状にして乳児のあせも防止などのベビーパウダーにも使われた。1980年代にタルクに石綿成分が含まれていることが分かり、国が石綿の含有量を規制した。同会事務局の沢田慎一郎さん※33)は会見で「同様に中皮腫を発症した被害者の救済につながる可能性がある」と話した。被害女性の長女は「母と同じように苦しんでいる人が、最大限の治療が受けられるようになってほしい」との談話を出した。(内山岳志)

北海道新聞 2020年10月30日

タルクについては米国において、タルクを主原料とするベビーパウダーの製造大手であるジョンソン・エンド・ジョンソンが中皮腫等を発症した患者や遺族らから多くの裁判を起こすという大問題に発展しており、今後、日本でもタルクによるアスベスト被害について注視していく必要がある。

本件概要

Bさんは2019年に胸膜中皮腫を発症し、この年6月に札幌中央労基署に労災請求し、2020年3月に業務上認定された。

Bさんは、1972年に5ヶ月間、札幌の医薬品製造会社に薬剤師助手として勤務したとき医薬品製造補助業務に従事し、原材料加工でゴム手袋を使った。ゴム手袋にタルクが付いていた可能性があったが、労基署からの照会に対して会社は「1972年当時、いまのような「パウダーフリー」の手袋はないと思われ作業員がタルク付きのゴム手袋を着用していたと思われる」と回答した。

石綿ばく露期間が労災認定基準の目安「石綿ばく露1年」より短かったことなどから、厚生労働省への「本省協議」とされたが本省協議において業務上と判断されたため、労災認定となった。
「本省協議」については次を参照。

基発0329第2号「石綿による疾病の認定基準」、「本省協議」

本省協議の「認定理由」

本省協議の「認定理由」は次の通りだった(開示資料による)。

被災労働者は、昭和47年3月から昭和47年8月まで医薬品製造の補助作業に従事していた。当該期間においては、タルク付きの手袋を着用し、詳細不明の薬の材料となる固まりを削る作業等に従事していたことが認められており、また、提出された医証からは、石灰化したプラークが認められている。したがって、石綿ばく露は作業の従事期間は1年に満たないものの、職場内において手袋のタルク以外にも高濃度の石綿粉じんにばく露していた蓋然性が高く、かつ、提出された医証からは、中皮腫を発症していることが認められることから、業務における石綿ばく露により、中皮腫を発症したものと認められる。

石灰化プラークに着目して、手袋に付着していたタルク由来のアスベストばく露だけではない、ほかのばく露原因も想定したようである。すでに、薬品工場のタルクばく露が原因とみられる事例が少なくとも2例認定されており、そのことが本件認定の背景にあったかもしれない。

認定の意義

ア 道内初のタルク経由のアスベスト被害

 北海道ではタルク由来アスベストばく露による認定事例がなかったとみられているので、本件は初めてのケースとなった。製薬会社では大正製薬(株)大宮工場、日本薬品工業(株)茨城工場の2件が、厚生労働省の石綿疾病労災認定事業場リストで確認されるだけであるので、本件でこの種の労災認定事例は3例目とみられる。

 アスベスト含有タルクのリスクを再確認

タルクは、様々な工業用原料、商品に使用されてきた。塗料、充填剤、離型剤など多岐にわたる。米国ではJ&J社に対して、ベビーパウダーにアスベストが含有していたために中皮腫等を発症したとする患者との係争が続いている。日本にもこうしたことの影響が及ぶことも想定される。

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 原則石綿ばく露「1年」未満の「5ヶ月」で認定

中皮腫の労災認定の基準では、石綿ばく露作業従事期間1年以上」の目安が規定されている。本件被災者の石綿ばく露は5ヶ月であった。

ケースバイケースであって、1年未満での認定事例は珍しくはないが、タルクばく露での事例は初めてとみられる。

同様に1年に満たない事案としては、たとえば、2018年4月11日名古屋高裁で、愛知淑徳学園教員男性が中皮腫に罹患し死亡したたが労災認定されなかった事案(名古屋東労基署)について労災不支給処分を取り消す判決があった(のち、国は上告せず判決確定)。

この判決では、「わが国の中皮腫の労災認定基準において、仮に、厚生労働省との協議とするか否かを区切る基準としてばく露期間の要件を設定する必要があるとしても、それはせいぜい2、3か月程度を限度とするべきであると考えられる」との判断を示している。すなわち、現在の認定基準が石綿ばく露1年とされているが、司法レベルでは科学的に根拠がないこと、海外では「数週間」という基準もあることに照らして現行基準を真っ向から否定してるのである。

今回の事例からも現行のばく露期間に関しては、労災認定基準の見直しを図る必要があるといえる。

参考:アスベスト含有タルクをめぐる法規制

  • 厚生省は1987年11月6日付で昭和62年11月6日薬審二第1589号各都道府県衛生主管部(局)長あて厚生省薬務局審査第二課長通知「ベビーパウダーの品質確保について」を出し、ベビーパウダーに用いられるタルク中のアスベストの分析法、非アスベスト混入タルクの確認・使用の規定などを業界団体等に定めている。
  • 1995年4月1日に施行された「労働安全衛生規則及び特定化学物質等障害予防規則の一部を改正する省令」によって、安衛則及び特化則の規制対象となる石綿含有物の範囲を含有量が5%を超えるものから他の特化則規制対象発がん物質にあわせて1%を超えるものに拡大されている。それ以前、1975年9月の労働安全衛生法および特化則改正からの期間については「石綿をその重量の5%を超えて含有する製品」のみが規制の対象だったために、石綿ばく露量が相対的に高かったといえる。
  • 厚生労働省は2006年10月16日付で都道府県労働局長あて厚生労働省労働基準局監督課長安全衛生部化学物質対策課長通知「石綿を含有する粉状のタルクの製造、輸入、譲渡、提供又は使用の禁止の徹底について」によって、同年9月1日から労働安全衛生法施行令等の改正により、石綿をその重量の0.1%を超えて含有する製剤その他の物の製造、輸入、譲渡、提供又は使用することを禁止されているところ、徹底する旨の指導通知を出している。

Bさんのご遺族のコメント

2019年2月、母が体調が悪くなり、父と近所の病院にいき、そこで肺に水が溜まっているのでそのまま救急車で札幌禎心会病院に運ばれたのがこの病気の始まりでした。

初めは原因がわからず肺の水を抜くことからのスタートでした その後退院して自宅に戻り、またすぐに体調が悪くなり検査をしたら肺に水が溜まっていて再入院となりました。そこから詳しく検査をしていき、母の担当医となって頂いた本田先生に、アスベストが原因の悪性胸膜中皮腫と診断していただきました。

しかし母は85歳で高齢ですし、手術も難しく、手術をしても長くは生きられない事を聞き、父、妹と三人で話し合い、母には告知せず自宅で最後まで一緒に残りを過ごそうと決意しました。 始めは2年、しかし病気の進行が早く母の誕生日が6月だけれども、もしかしたら桜も見れないかも、誕生日までもたないかもと宣告され、母が少しでも痛みを感じなく、苦しまないで最後の時を迎えられたらと言う思いでした。

私も5月から会社に介護休暇をいただき、毎日父とそして妹もほとんど毎日通ってきてくれました。 病院へは週に一回、本田先生に診察をしていただいてました。母にとっては本田先生の優しいお手当が毎週の楽しみだったのと、私達家族は逆に母の最後の時がいつなのかの確認の時でした。 この一週間の一日が、病院の後、4人でお花を見に行ったり、食事に行ったり、母との思い出を作る日でもありました。 しかし日に日に病状は悪化し、始めは歩けたのが車椅子になり、酸素吸入をし、ベッドから自分でおりることもできなくなっていきました。 6月の誕生日がすぎ、お盆も過ぎ、母も頑張っていましたが、10月4日旅立って行きました。

いつも家族のためにと85歳まで人生一生懸命生きてきた母、それなのに何故最後このような病気になってしまったのか、どこでアスベストが体に入ってしまったのか、本当に不思議でなりませんでした。

この間、澤田さん、労基のKさんにも大変お世話になりました。 そして、薬品会社に勤めてた時の手袋の中のタルクと言う粉にアスベストが含まれていて、それが労災認定となったと決まった時は驚きましたし、保障をしていただけることはとても感謝しています。

世の中には、色々な病気で治療したり、苦しんで闘っている方が沢山いると思います。 そして母と同じようにアスベストが原因で、現在も必死に治そうと病気と闘ってる方もいると思います。 その方達が少しでも、安心して最大限の治療をうけれて、病気を治す事ができ、そしてそのご家族の生活を守って行く事ができるようにと思い、この手紙を書かせていただきました。

澤田さん、Kさん、そして本田先生本当にありがとうございました。(N)