韓国・全州訪問記~民主労総全羅北道本部をたずねて/事務局 酒井恭輔

全州インパクト

「その時期は”全北”だ。」「その週は”全北”が来る予定だ。」と打合せや行事の日程調整の度に渡韓95回を誇る中村猛指導員の口から出てくる「全北」。この、多くの労働運動家の心を掴んで話さない全北とはいったい何なのか。今春、韓国渡航時に、全北こと民主労総全羅北道本部を訪問する機会をえた。

全羅北道は朝鮮半島の南端に近い行政区で、道庁を構える全州市がその中心である。全羅北道公式ウェブサイトでは、「交通網は他市道と連結しており、全国どこからでも簡単にアクセスすることができます。また、道内どこへでも1時間以内でアクセスできるよう、国道・地方道の交通インフラが整備されており、暮らしやすさはもちろん、事業者にも最適の条件を備えています」と紹介されており、現代重工業をはじめとする重厚長大産業が発展する一方、韓国の穀倉地帯であることもあり、農政にも力を入れている。

道都の全州市には民主労総全羅北道本部(全北本部)が設けられ、この地域の労働運動を牽引している。3日間の滞在に過ぎないが、その活動と魅力を紹介したい。

テント籠城

籠城では、パイプで組んだしっかりしたテントを道路などに張る。ビニールシート等で壁を作り、その上から横断幕を被せる。中は地面を土間にして中に50 cmほどの高さの床を設け、その上にオンドルを敷いて寒冷対策を施しているので、案外くつろぐことができる。広さも立って歩ける高さに10人前後が車座になれるスペースがある。籠城という響きから、忍耐であるとか悲壮感を抱えているようなイメージがあったのだが、子どもが寝転がってコンピュータゲームなどをしていたり、お湯を沸かしてお茶を飲んだり、言うなれば山小屋のような雰囲気である。闘争においては支援者や仲間が多いというのが何より重要であるが、辛いばかりでは長続きできないため、長期戦を見込んで堅牢な小屋を築いていると言える。

サムソン電子本社前のテントに飾られた「ゴム靴の花」でも同じことを感じたが、アピールの仕方もつい眼を向けてしまうように工夫をしなくては、市民の邪魔になってしまう。それにテントは誰でも受け入れてくれるような、明るく暖かいものがよい。そういえば、話を聞いている最中に通りすがりの男性が入ってきて、「タバコないかなぁ」と一本分けてもらって帰っていった。通りすがりのおじさんとの何気ない会話から、運動のヒントが生まれることもあるかもしれない。

最初の訪問先は、環境職員による市役所前籠城テントである。中央政府の意向に従って市内の清掃を民間委託することで非効率が生じている。また、過酷な作業環境におかれて事故に遭うことも多く、環境改善を訴えている。

印象に強く残ったのは、安全衛生に関する話だった。順川という町で肺がんに罹患した清掃労働者の労災が認められた話が出たために、「なぜ肺がんになったのか」という問いを出したとき、「清掃労働者が働く仕組みに問題があるから肺がんになったのだ」という回答を得た。問う側としては、どのような発がん性物質にばく露したのかとか、因果関係がどのように認められたのか、という点に興味があったのだが、雇用を含むシステムに問題があるから肺がんが発生した、という見方は非常に新鮮だった。医学や疫学の議論をするのではなく、労働運動家が「こんな働き方をさせられたら病気にもなる!」と声を出すことで、作業環境の改善や労働者の連帯を築いていくことになる。なんとなくそんな気がしていても、なかなか口に出せない現場の作業員も勇気づけられ、運動についてきてくれるだろう。

清掃作業員の待遇改善を求める市役所前テント

「幸せな運動のために」

「幸せな運動のために」とは、チョ・ムニクさんという民主労総全羅北道本部で副本部長をされていた方の遺した散文詩である。

「幸せな運動のために」は、7連からなり、4連までは「運動するということは本当に良いことだ」ではじまる。「運動すること」が社会全体に利益を生み、自らを成長させ、歴史を造っていることや人を信じることの重要性を感じさせるという。5連目は「運動を職業とすることは、いかに幸せなことか」と読み手に投げかけ、運動家たることに誇りを持たせる。

5連目まで読み手を鼓舞してきたが、6連目では「私たちは何ですか」と問いかける。これまで焚きつけられた高揚感は当然読み手に「運動家である!」と即答させることになる。労働運動に係わり、自分は一体どのような立場で、何をやっているのだろう?こんなことをしていて何になるのだろう?と悩む若者を鼓舞し、自信を付けさせてくれるのではないだろうか。

チョ・ムニクさんはわずか43歳で不慮の事故で亡くなっているが、移住労働者の問題にも取り組み、これについても多くの文章を遺している。それらの文章を時間があるときに読むようにしているが、彼が亡くなった歳と変わらない年齢でありがなら、普段何も考えずにただ目の前の事案に追われているだけの身の上からすれば、ずいぶんと差を付けられているという気持ちになる。

全北本部の若い活動家は、今の自分たちに何ができるのか考え、一部は「下からの連帯」を立ち上げて活動している。上の指示に従い、引っ張られるばかりではなく、自ら何か新しいことをしようというエネルギーが湧いてくるのは、「運動するということは本当に良いことだ。運動は、社会を変化させるという目標がある。これはまさに公の利益を追求することなのだ。すべての人が良い世界で生きていけるようにすること、これはいかに胸のときめく偉大なことなのか」という哲学に支えられているのだと思う。

疲れた活動家に安息を

とはいえ、韓国の運動家もときには打ちひしがれ、やってられないという気分になることがある。みんなのためだと思って活動していても、誰かに貧乏くじを引かせることもあり、最善を目指していても、まったく逆効果で終わり、非難をされたり、中傷を受けたりするのである。
そんな疲れた活動家のために、全北では帰政寺という山寺が利用されている。一種のテンプルステイであるが、テンプルステイというと、日本では外国人旅行者がスティーブ・ジョブズの真似をして禅寺で修行をしたり瞑想をするような仏教体験ビジネスのような印象がある。韓国でも同様で、韓国仏教文化事業団は外国人向けにも受入れ可能である寺院を紹介している。しかし本来は体験型の旅行のための施設ではなく、自分を見つめ直したり、疲れた心を癒やしたりするために寺院が利用されている。

帰政寺外観

この寺院は建設関係の組合員がボランティアで建造した寺院であり、活動家は数ヶ月費用を掛けずに生活することができる。周囲には、コンビニエンスストアはおろか民家もなく、麓から寺までの狭い一本道があるばかりである。この環境であればじっくりと内省することができるだろう。全北本部の元幹部は、ここで過ごした日々を「人生で最も心安らかで幸せな時間」と言い、死後はこの寺の裏にある松の木の根元に埋葬されている。

今回の訪韓では、全北の活動の中に自分が身を置けばいかに幸せだろうかという心境になることが多かったが、自分たちの活動の場所は日本であり、羨ましがるばかりではいけない。ヒントは多く持って帰ってきたのだから、時間のあるときにじっくり考えてみよう。

関西労災職業病2019年6月500号