機関誌「関西労災職業病」500号記念に寄せて~機関誌で会員組合・組合員とのキャッチボールを/事務局 中村 猛

機関誌で会員組合・組合員とのキャッチボールを/事務局 中村 猛

創刊当時のものと現在を比較してみると

半年ほど前だろうか、偶然に「関西労災職業病」の創刊当時のものを見る機会があった。手書きで手作り感がプンプンするものだった。私も労働組合の役員だった頃、ヤスリに鉄筆で原稿を書いていた思い出がある。鉛筆で書ける方式が登場した時にはどんなに嬉しかったか。印刷、コピー技術の進展は目を見張るものがある。手書きには手書きの良さがあるが今の便利さには到底代えがたい。

1970年代の「関西労災職業病」の表紙たち

そこに私たちがいた会社のなかで少数で闘う活動家たちが「『○○労働組合を強くする会』を結成しました」というお知らせが出ていた。私が書いた記事か・・・・?

当時の「関西労災職業病」は労働組合の多くの投稿と事務局の文章で構成されていたようだ。
私はそれから30年近くも経った2004年に、会社を定年退職してセンターの一員になった。その間「関西労災職業病」は出され続け、ついに500回ということだ。年間12号ずつ出して40年。本当に「ご苦労さん」である。

この間に機関誌がどのように変わったかを点検する作業は余り行われなかったように思う。センターの事務局の中でも創刊の頃を知るのは私だけになった。

私がセンターに入って最初に手がけた仕事はクボタの石綿被害であった。その後、はつりじん肺の裁判準備が始まった。センターの専従者の仕事はこうした日常の事件処理(?)に負われている。

そして自分たちの活動を少しでも会員に知ってもらおうと、セッセと「関西労災職業病」記事を生産している。

機関誌の役割、外向きと内向きに

機関誌の役割には内向きと外向きの二つがある。

内向けには、毎月機関誌を出す作業によって、月単位で自分たちの仕事を整理して、メリハリを付けることである。
外向けには、事務局の仕事を多くの会員・組合員に伝えて理解してもらうことと、労働安全に関する情報を広報することである。

中でも労働安全に関する情報を知らせることは極めて重要である。しかし、それは一方的に情報を送り続けることではないと思う。
問題はいかにして私たちが生産した情報が読まれ、職場で活かされているかである。人というものは自分自身に関する情報には関心を持つが、知らない人の情報には関心を示さないものである。「記事を一番よく読むのは、書いた本人である」というのは、よく言われることである。

自分が書いたものの次に読むのは、自分が知っている人に関する情報である。500号の記事の内、何%が読まれたか?書く側が何時も気にしなければならない点であり、これこそが機関誌が担わなければならない使命である。

現在、事務局が書いた記事だけで機関誌が作られているのはいささか問題だと思う。

できれば機関誌を通じて会員組合・組合員と事務局とのキャッチボールができれば、もっと読まれるし、読まれればそれだけ機関誌は活きてくると思う。

その機関誌の中での私の役割は、主に韓国の状況を紹介することになっている。毎月の機関誌の何割かを韓国情報が占めている。韓国の労働事情、とりわけ安全に関して関心のある人には読み応えがあるものだと自負している。が、それで会員・組合員とのキャッチボールができているかについてはまったく自信がない。幾ら「読んでくださーい」と叫んでも、関心のない人にはうるさいだけであろう。何故か?現在の日本の労働組合において、安全に関する関心が薄れてきているという現実に目を向けざるを得ない。

機関誌を通じた専門家集団と労働組合のコーディネート

最近「労働の科学」の熊谷先生の論文「産業保健の仕事に携わって-印刷労働者の胆管がん事件」を読む機会があった。SANYO-CYPの胆管がん事件のことで、我がセンターが関わって解決した事件である。

少し長くなるが引用する。

問題解決のチャンスはあった

1996年に最初の胆管がん患者が発生し、その15年後の2011年に私に相談があった。この間に12人の胆管がん患者が発生しているが、この問題が解決するチャンスが何度かあった。――1997年――会社のミーティングで、ある方が「有機溶剤が原因ではないか」と言ったが、社長から「証拠もないのにそんなことを言うな」ときつく怒られている。次は2001年にAさんが--職場の環境改善を上司に強く訴えたが、会社は何もしなかった。--3回目は2006年の健康診断でBさんに肝機能障害が見つかり、有機溶剤を使用しない部署に異動すると改善したため、「有機溶剤使用が原因と考えられる」との医師の診断書が出た時であるが、やはり会社は何もしていない。--4回目のチャンスは2009年にAさんが胆管がんを発症した時で、大学病院で医師に「同じ職場で4人が同じ病気で亡くなっており、原因は仕事で使用した有機溶剤だと思う」と訴えたが、「因果関係を証明するのは難しい」と言われてしまう。--5回目はAさんが亡くなられた2010年で、父親が労働基準監督署に有機溶剤と病気の関連を相談したが、「証明は困難」とのことで、何もしてくれなかった。--最終的にAさんの友人が元従業員から情報を集め、2011年に関西労働者安全センターに相談したことから、問題解決に向かって進み始める。

熊谷信二 労働の科学2019年5月号「産業保健の仕事に携わって(10)印刷労働者の胆管がん事件(後)」

引用した文章に登場するのは、被害者である従業員と家族、上司、社長、健康診断をして診断書を書いた医師、大学病院の医師、そして労働基準監督署の監督官、最後は関西労働者安全センターである。

この甚大な職業病を防ぐために、それぞれの登場者が、何をしたか、何をしなかったか、何をすべきであったか、について、私が一々述べる必要はないだろう。私がどうしても問題にしたいのは、ここに登場すべきであるのに登場しなかったもの、すなわち『労働組合』である。この経過の中の1~5までの局面局面に労働組合が登場していれば、この事件の展開がどれ程変わったであろうかと思うと、残念でならない。

今後、このような職業病をなくすためには、ここに登場するような労働者と家族、経営者と企業、医師、環境・健康問題の専門家、監督官庁、そして労働組合が、それぞれの役割をきちんと果たし、相互の交流を活発化することを期待したい。中でも労働組合の奮起に期待したい。そのコーディネーターとして、我がセンターが果たす役割は大きいということをこの事件は教えてくれていると思う。

今日のテーマに沿って言えば、機関誌「関西労災職業病」の役割は極めて大きく、501号以降の機関誌を通しての会員組合・組合員とのキャッチボールが活発化することを心から期待したい。

関西労災職業病2019年5月500号