石筆(タルク)使用で中皮腫、再調査で一転、労災認定:溶接作業等で罫書き作業/石綿ばく露歴精査する中皮腫登録制度を
審査請求期限徒過するも
改めて支給決定
鉄工所などで鋼材に線を入れる「けがき作業」に石筆を使用した経歴を曝露歴調査で見過ごしたために2010年1月に不支給決定を受け(北大阪労基署)、その後、審査請求をせずに不支給処分が確定していた中皮腫の男性に対して、別の労基署(天満労基署)が曝露歴を認めて新たに2010年12月に支給決定を行った。
今回の曝露歴の見逃しは不支給決定をした労基署職員と局医の石綿曝露についての認識不足が原因だった。
認定作業を行う現場(労基署、局医等)の力量不足が改めて浮き彫りとなったわけで、石綿曝露が原因とされる中皮腫について、労災補償が適用されない被害者の救済のための「石綿健康被害救済法」(所管:環境省・環境保全機構)による認定件数が、労災補償による認定件数を上回るという「きわめて異常な事態」の要因が、こうした「不十分な曝露歴把握」にあるとみられる。
石綿被害者の適正な救済のためには、「極めて異常な事態」の解消を図ることが必要で、すべての中皮腫患者の診断、治療、曝露歴把握、適正な認定・救済を行うため、患者団体・NGOが関与した「中皮腫登録制度」の確立が求められる。
家族の会に相談したら
「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会に相談してみたら」
胸膜中皮腫を発病したKさんが、同じ病気で家族の会会員のHさんからそう勧められたのは、入院先の国立大阪医療センターでのことだった。
Hさんはすでに労災認定されていたが、Kさんが「労災はダメだった」ということを聞いたHさんが家族の会関西支部の電話番号を教えたのだった。
Kさんから連絡を受けた同会副会長の古川和子さんはすぐに病院に行き、相談にのることになったのだが、不支給決定に対する不服審査請求の期限はとっくに過ぎてしまっていた。
一から聞いてみたら
労災認定がダメだったKさんだったが、石綿健康被害救済法の認定は受けていたため、治療費の自己負担分と月10万円余の療養手当という最低限の救済は受けていた。
とりあえず、古川さんはKさんの職歴を一から聞き直すことにした。
そこで浮かび上がってきた石綿ばく露原因が、溶接作業の際などにけがき作業で石筆を常用していたことだった。以下が聞き取ったKさんの職歴だ。
- 1950年4月頃~1951年4月頃:H工業所(紡績機械の部品製作。主に旋盤作業)
- 1951年5月~1962年5月:F溶接所(プラスチック成形機の架台製作。切断機、溶接機などを使用。石筆使用あり。一日最低10回くらいは削っていた)
- 1962年7月~1973年5月:自営(K工作所。ただし、1973年頃に近畿車輌(東大阪市)で数ヶ月、新幹線車輌の内部で車輌屋根裏構造物の溶接に従事。いったんやめてからも臨時で近畿車輔に行ったことがあった)
- 1973年5月~1975年7月:T工業(工場のコンベアなどの取り付け作業。石筆使用あり。天井裏作業での吹き付け石綿の間接曝露の可能性あり。)
- 1975年10月~1976年8月:タクシー運転手
- 1976年10月~1977年4月:M社(建築金物の製作、取り付け。石筆使用あり。建築現場での間接石綿曝露あり。)
- 1977年4月~1977年11月:M製作所(工場内設備の取り付け作業など)
- 1978年5月~1997年8月:N工業(入社直後に手指切断事故。以後、現場作業なし)
つまり、2)4)6)では日常的な石筆使用が明らかで、石筆をとがらすためにグラインダーを使用していたということだった。
3)の通り、私達の聞き取りで、比較的短期間であるが近畿車輔で就労していることもわかった。同工場では、鉄道車両製造を行っていて、これまでに20名以上の肺がん、中皮腫が労災として認定されており要注意の職歴であるにもかかわらず(本誌2011年11-12月号参照)、これも労基署では把握できていないようだった。
また、Kさんは(療養中であることを考慮してか)北大阪労基署から直接の事情聴取を受けなかったこと、労基署とのやりとりは息子さんを通して行っていたこと、労基署から提出を求められた調査票には石筆のことは記載していないこと、労基署から石筆のことを聞かれたことは息子さんもなかったことがわかった。
以上から、労基署によるばく露歴調査に重要な不備があった可能性が浮上したので、古川さん、息子さん、筆者(担当事務局:片岡)で北大阪労基署に出向いて、直接不支給に至った理由について説明を受けることにした。
再調査から支給決定へ
北大阪労基署の説明を聞くと、石筆使用についてはまったく念頭になかったことが判明した。思い浮かびもしなかったのだから、患者にそのことを質問できるはずはなかった。(近畿車輌についても同様であった。)
石綿ばく露歴調査においては、被災労働者の職歴などに基づいて、被災労働者自身から申立がないものの、想定される曝露原因についての聞き取りがどれだけきちんとできるかが重要である。
石筆使用による被害について私達が把握している同種の事例について、労基署が所有している資料をその場で出してもらい、労基署職員に対して、関連事項が書かれている箇所を示して説明を行い、早急な再調査、石綿ばく露を確認した場合のすみやかな自庁取り消しによる支給決定を求めた。
私達の説明を受けた北大阪労基署はKさん本人の聞き取りを行い、事案をいったん東大阪署に送ったが、また北大阪労基署に戻され、結局は、最終曝露事業場と判断された上記曝露歴の7)(従事した石綿ばく露作業としては、それまでの職歴を含めて主として石筆使用作業への従事を認め、最終曝露職場としては、新築現場に於ける作業で間接曝露があったと判断。)を所轄する天満労基署において平均賃金の決定と労災給付の支給決定が行われた。
直接Kさんに天満労基署から電話連絡があったのが2011年12月に入った頃で、年末までに正式な支給決定が送られてきた。
また、天満労基署と厚労省職業病認定対策室に問い合わせたところ、「今回の支給決定は天満労基署における新たな認定事案として記録される。北大阪労基署が2011年1月に行った不支給決定は取り消されない。すでに公表されている2010年度分の労災補償状況の中の不支給決定件数の数字は変更されない(ちなみに、自庁取り消し事案や審査請求での取消事案についても同様な取扱いとしている)。」とのことであった。
厚労省によるアスベスト混入タルク被害事例資料
石筆(滑石=タルク)や粉末にしたタルクの使用に伴って、不純物として含まれる石綿に曝露して中皮腫を発症したり、労災認定された事案はすでに常識となっているはずだった。
なぜなら、厚生労働省が作成し、監修した文献、資料に明記されているから。
■「石綿ばく露と石綿関連疾患」森永謙二編:三信図書46頁
「(9)石綿を不純物として含有する鉱物(タルク、バーミキュライト、繊維状ブルサイト等)の取扱い作業
天然鉱物でタルク(滑石)、バーミキュライト(蛭石)、繊維状ブルサイト(水滑石)にクリソタイルやトレモライト/アクチノライトが不純物として混入していることがある。タルクでは、国内産や中国産の一部には、トレモライト/アクチノライトを含有していたことがある。タルクはゴム・タイヤ製造での打粉剤や、農薬などに幅広く使用されてきた。1980年代後半以降に使用されているタルクには、石綿が不純物として混入している可能性は少ない。
本邦では、このアクチノライトを不純物として含有するタルクをタイヤ仕上げ工程の際、塗布する作業で石綿に曝露し肺がんを発症した事例や”けがき”作業に用いたタルク(石筆)で胸膜中皮腫や心膜中皮腫を発症した事例がある。アメリカではバーミキュライト鉱山労働者に石綿関連疾患が発症している。」
■同上299頁以下
「〈事例4>石筆使用によって石綿曝露を受けたと考えられる心膜中皮腫」
■「石綿ばく露歴把握のための手引」石綿に関する健康管理等専門家会議マニュアル作成部会2006年10月
54頁「34 タルク等石綿含有物を使用する作業」
いずれの資料も、厚労省が購入しあるいは作成して、全国の労基署に常備させているものであるだけに、今回のKさんの件は「よかったね」で済まされることではない。
今回のケースは、Kさんのような溶接作業などでの石筆使用について、そもそも「思い浮かばなかった」「知らなかった」というのが労基署(担当者及び「業務外」の稟議書に印を押した上司のすべて)のレベルだったのであるから、事態は深刻なのだ。
労基署や厚労省本省が「以後、気をつけます」と言ったところで、もはや、それは信じるに値しない。クボタショックまでの被害の放置と不作為の歴史の繰り返しは、もうご免である。
厚労省は厚労省で努力するべきだが、その成果をまつことはできない。被害者救済に待ったはない。ばく露歴を見逃さない新たな仕組みがなんとしても必要である。
中皮腫登録制度を
もっと徹底した情報公開を行い、行政過程に被害者団体や支援NGOを幅広く参加させ、その意見を積極的に取り入れることが要であることは今更論を待たないだろうが、中皮腫患者の適正な補償と救済という観点からは、患者団体、NGOが関与した、法律にもとつく中皮腫登録制度の創設を早急に行うことが重要だろう。
クボタショック後、関係閣僚会合で作成された「アスベスト問題への当面の対応」に盛り込まれた方針に基づいて厚労省が招集した(環境省オブザーバー参加)「石綿に関する健康管理等専門家会議」が2006年2月24日にまとめた報告書では、「IV 今後更に進めていく対策 1 中皮腫登録」の中で中皮腫登録の意義を述べた上で「…国、自治体、研究班、学会などが連携し、今後、どのような登録が望ましいのか、中皮腫登録のあり方について検討を行う必要がある。」と述べられていた。
中皮腫登録類似のものについては、政府のお金によって、治療と診断のためのものとして、これに似たシステムが一部専門家の間で行われているが、患者の立場からみるとまったく不十分なものに止まっているので、いまこそ、患者の救済・認定にも資する中皮腫登録制度が確立される必要がある。
冒頭述べたように中皮腫の労災認定件数が、労災以外をカバーする石綿新法による救済認定件数を下回っているということは、いわば、「労災隠し」を制度的に容認しているということであって、被害者救済の立場からは、一刻も早い改善が必要な事態なのである。
そうなっている原因は、Kさんのように、本来、労災認定されるべき事案が、労災補償システムの不備(現状が労基署のできる限界、こんなものである)によって、労災認定されずに「最低限の救済」に流れていることにある。「労災認定件数く石綿新法救済認定件数」という「極めて深刻な事態」が起こっていること、このことが補償と救済の制度が、本来の機能を果たしていないことの証明だ。猶予は許されない。
法律によって中皮腫登録制度を確立し、患者団体、NGOも参加した運用を行うことが強く求められている。
アスベストの衝撃(上)
つかめぬ隠れた患者/英では「中皮腫登録制」アスベスト(石綿)の脅威が社会に衝撃を与えている。20~50年もの潜伏期間を経て中皮腫や肺がんを発症させる”静かな時限爆弾”。工場周辺の住民や家族の2次被害も次々表面化し、政府は29日、ようやく当面の対応策を打ち出す。患者の救済と被害の拡大防止に何が必要なのか。問題点を探った。
「数年前に死んだ夫の死因は中皮腫だった。かつて工場のそばに済んでいたが、関係があるのでは」。先月末、大手機械メーカー「クボタ」の石綿健康被害が報道で明らかになって以降、各地の患者支援団体には相談電話がひっきりなしにかかっている。周辺住民や従業員の妻らが中皮腫を発症したとの情報や28日現在、全国で少なくとも47人に上っていることが分かった。うち43人は死亡例だ。中皮腫は石綿被害の指標とされるがん。今後も増え続けるのは確実で患者の把握と救済システムの欠陥を浮かび上がらせた。
2005年7月29日毎日新聞朝刊より
国の人口動態調査では、中皮腫による死者は03年に878人。しかし、同年度に労災認定された人は83人にすぎず、04年度も127人にとどまった。専門家によると、中皮腫の約8割は仕事で石綿を吸い込んだことが原因とされ、残り2割の中に工場の周辺住民らが含まれるとの見方もあるが、国内での実態は全く不明だ。
周辺被害の可能性について、埼玉県行田市の行田労働基準監督署が76年から調査を実施していた。その結果、管内の羽生市で59~77年に、がん性の腹膜炎や胸膜炎などで34人の住民が死亡していたことが判明。うち18人が実際には中皮腫だった疑いがあることが最近の複数の医師の証言で新たに浮上した。
羽生市には、石綿関連病で3人の元従業員などが死亡した「曙ブレーキ工業」とその関連企業があるが、同労基署は「同社と住民の死亡との因果関係は不明」という。しかし、調査した井上浩。元同労基署長は「当時、石綿と関連の深い中皮腫はあまり知られていなかった」と指摘。その上で「企業周辺には、石綿による健康被害者がいる可能性がある。隠れた被害者と遺族を掘り起こし、救済することが必要だ」と訴える。
一方、石綿による健康被害を受けながら、時効のため労災請求権が消滅したケースも多発している。今月だけで東京、神奈川、大阪の支援団体に54件が寄せられ、43件が時効までの期間が最も長い遺族補償(死亡日の翌日から5年)を含め、すべての補償請求権を失っていた。
日本より早く石綿の健康被害が深刻化した英国では、91年に年間の中皮腫の死者が1000人を超え、02年には1862人に達した。「中皮腫・じん肺・アスベストセンター」(東京都江東区)の名取雄司医師によると、英国では「中皮腫登録制度」を設け、専門家が中皮腫と診断、登録された患者の職歴や居住歴などを聞き取り調査している。中皮腫の潜伏期間は長期に及びため、聞き取りには熟練を要するが、綿密な聞き取りで石綿と病気との関係を探り、患者の救済につなげている。
国内では00年から40年間に10万人が中皮腫で死亡するとの予測がある。名取医師は「日本でも国が主導して患者登録制度を早急に設けるべきだ。患者の掘り起こしのノウハウがあるNPOなどと協力すれば、労災補償などで多くの人が救われるはずだ」と指摘する。実際に昨年来、石綿との関係が分からなかった元船員や旧国鉄職員らの中皮腫を労災認定に導いたのは、民間の支援団体だった。(次回は8月1日掲載予定)
関西労災職業病2012年1月419号