26年後の症状固定の後遺症は認めない!? /障害等級不服で再審査請求<大阪>
Kさんは、 歯車を製造する工場で、 ベテラン歯切工として働いていた。頸椎のヘルニアと両肩の腱板断裂の診断を受け、 労災保険が適用されて26年間療養した。 しかし長期の療養に対して、 大阪西労働基準監督署は労災補償の打ち切りを行った。 Kさんは首、腕などの痛みが強く、治療を継続しなければ悪化する状態であった。 主治医の三橋医師が意見を述べたが、 労働基準監督署は病状の改善がないと判断し、 最終的に2017年1月で症状固定とされた。
三橋医師は、 Kさんの後遺症について首、両肩の疼痛は12級、首の可動域は通常の2分の1以下に制限されているため8級、両肩の可動域も2分の1以下で10級、それらを併合して7級に該当するとして診断書を作成した。
ところが、 大阪西労働基準監督署長の決定は障害等級10級だった。
10級の判断の内容は、首は頸椎C5-7に前方固定術が行われていることから、「せき柱に変形を残すもの」で11級、右肩、左肩それぞれの疼痛は 「局部にがん固な神経症状を残すもの」の12級で同一系列の神経症状2つで11級とし、11級が2つなので併合により10級というものだった。
頸部、 両肩の可動域については、 計測された数値が参考可動域の2分の1であるにもかかわらず、 疼痛による可動域制限として、 後遺障害として評価されなかった。
このように障害を不当に低く評価され、Kさんは大阪労働者災害補償保険審査官へ審査請求した。
ところで、調査の過程でもうひとつ、困ったことがあった。
労災保険では、 障害補償給付と同時に、障害特別年金、 障害特別一時金というものが支払われる。その額の算定は、労働災害前の特別給与、つまり賞与の額に基づいて行われる。 Kさんは障害補償請求の際に、当時、 特別給与があったかを確認されたのだが、会社は2011年に倒産して、資料も失われていた。しかし、最初の休業補償給付請求書の最終ページに、 この特別給与を記入する欄があり、 Kさんは請求書に記載したことを覚えていて、 監督署には初回の休業補償請求書を確認してもらうよう伝えた。ところが、大阪西監督署によると、コンピューターのデータに特別給与は記録されていないし、 請求書自体も保存年限が過ぎて破棄されたという。 請求人から提出されたデータを、保存していなかっただけでも問題なのに、そのうえ、監督署の担当官はもうひとつ、 間違いを犯した。 担当官はKさんに厚生年金の被保険者記録照会回答票を取ってくるように指示した。Kさんは年金事務所で交付請求手続を行ったが、 その時に1990年当時は特別給与は標準報酬額に算定されなかったので、 記録照会票には記載されないと説明された。 Kさんはそのことを監督署に伝えた上で、回答票を提出した。結果として、特別一時金は支給されなかったが、のちに開示した復命書には、被保険者記録照会回答票の記載から特別給与はなかったとの判断が記されていた。
審査請求に当たって当センターに相談があり、 主治医の三橋医師と協力して、 取り組むこととなった。
開示された大阪西労働基準監督署が作成した実地調査復命書によると、 障害等級に関する監督署の判断内容は上記の通りだが、 判断の根拠になる地方労災医員の診断書から、 さらに以下のことが判明した。
診断書に記載された頸部、両肩の可動域は参考可動域の2分の1以下だった。しかし、数値を記載した表の下に、「すべて終末可動域でPT(疼痛)」と書かれていた。意見としては、「頸椎・両肩とも別表の如く可動域制限がある。 終末可動域にて疼痛を認める。X線にてC5-7まで前方固定を施術されている。 常時の疼痛を後遺していると認める」 とある。
意見書では、「可動域制限がある」と「終末可動域に疼痛がある」の2つの事実を述べているに過ぎない。可動域制限の理由について特定して言及しておらず、 関節自体に運動制限がある場合と疼痛によって関節が曲げられない場合、 あるいは両方である場合が考えられる。
にもかかわらず、 「疼痛による」 と監督署が判断した理由が不明であった。
審査請求手続で、請求人は審査官に「口頭意見陳述」を行い、その際に、原処分庁に対して、 質問することができる。
可動域制限をすべて疼痛のためと判断した根拠について、 開示された書類を見ても分からないのだから、 質問した。
ところが、回答はあくまで、労災医員の「すべて終末可動域でPT」 という意見によって判断したというもので、 きちんとした根拠が示されなかった。
重傷を負った後、関節に可動制限が残り、関節を限界まで手で押し曲げてやれば痛みが出るのは、 ほとんどの人にある症状である。 それをすべて痛みによる運動制限とするのは、 明らかに乱暴な話なのであるが、地方労災医員の意見と言われれば、 それが間違っていて関節がそれ以上曲がらないということを請求人側で証明しなければならない。
そこで頸部について正確な可動域を証明するべく、 レントゲン検査を行った。主治医の三橋医師の提案で、 神経ブロック注射で痛みを抑えた上で、 正確な可動域を測定できるよう慎重にレントゲン撮影した。 結果、 頸部の前後屈可動域は51.5度と参考可動域110度の2分の1以下だった。この検査データ資料と三橋医師の意見書を大阪労働局の審査官へ提出した。
また特別給与の有無については、 口頭意見陳述の時に、 原処分庁側は厚生年金の被保険者記録照会回答票から判断したこと自体は間違いであると認めたものの、 特別給与があったかどうかは不明であるとして結論は間違っていないとの回答であった。
そこで会社の経理課長であった元同僚の方に証言をお願いした。 その方は労災請求の手続をKさんの定年退職まで行い、 初回の休業補償請求書も彼が作成した。
当時歯車の加工の特別な技術があるため、工場には多くの注文がきていた。そのためベテラン歯切工であったKさんらの冬の賞与が初めて100万円を超えた年であった。 正確な金額はわからないものの、少なくとも100万円以上の額が支給されたということで、その記憶はKさんとも一致していた。元経理課長の証言書を作成し、審査官へ提出した。
この賞与に関しては、 確実な証明ができず、結果をひっくり返すのは難しいと思われたが、 後遺障害については物理的にはっきりと可動域を証拠で示したので、 認めざるを得ないだろうと思われた。
その後、審査請求の決定書が送られてきたわけだが、 結果は予想に反して棄却であった。
決定書によると、審査官は24年前の診断書を出してきて、頸椎前方固定術後、 1年3か月の時点の可動域は68度あり、 参考可動域の2分の1の55度以上なので、現在の可動域制限は、その後に経年的な変成が加わって生じたものとして、 労災の後遺症としての可動域制限は68度であるとした。両肩についても同様に、腱板縫合術後、 10年以上たってから可動域が低下していることから、 以降の経年変化により可動域が低下したものと判断した。
一見、 理屈が通っているように見えて、実質24年前、15年前にさかのぼって症状固定とすると言うのと同じことで、 おかしな判断である。現在、 2分の1以下の可動域制限があることは認めたことになるが、 それ自体が労働災害による後遺症ではないとしたのだ。 これは到底納得がいかない結果であった。
現在、 労働保険審査会に再審査請求を行い、 引き続き係争中である。
一方、特別一時金の算定問題だが、 うっかり失念していたが、 労働福祉事業によるもので労災の審査請求の対象ではなかったということが判明した。 審査官も認識しておらず、審査請求受付後に気がついた。結果、 この部分についての取消はかなわなかったが、 審査官が原処分庁に進言して、自庁取り消しという扱いになった。 元同僚証言という新たな証拠が出たことにより、少なくとも100万円の賞与があったと認め、特別一時金が支払われることになった。
再審査請求の結論はまだ出ていないが、審査請求でわざわざ、15~24年前の診断書を引っ張り出してきてまで後遺症を否定したくらいなので、厚労省側がすんなり認めるとは思えず、 行政訴訟も見据えて準備をしている。
『関西労災職業病』2019年1月(495号)