ANROEV(労災・公害被害者の権利のための アジア・ネットワーク)ソウル2019/10/27-30

なくならない労災死傷病と拡大する危険の外注化

ANROEVという国際会議がソウルで開催され、参加する機会に恵まれた。10月
27日から 30 日までの4日間、 地元韓国を含めてアジア全域から200人を超える公害・労災被災者とその支援者が集う会議である。日本からも過労死防止大阪センターの北出茂氏、水俣病患者の坂本しのぶ氏など8人が出席した。国際会議というと英語で話をしなくてはいけないなど敷居が高い気もするが、“Think globally, act locally「地球規模で考えて、地域で行動する」” という言葉のとおり、普段、目の前の事案に追われて客観的にみることができていない自分たちの活動の意義を考えるよい機会になると思う。
ANROEVにおいては、労災・公害における死が数多く語られる。海外の公害事件については、1984年にインドのボパールという都市で発生した、化学工場からのガス漏れ事故で72時間のうちに7000人から10000人の住民が死んだという報告がある。このような事件は先進国である国々でも過去に経験しており、わが国の水俣病が今回はじめてANROEVで報告された。インドの事件は35年前に発生した事件だが、それよりも30年前から現在に至るまで続いている水俣病問題は、どの参加者にとっても「地球規模で考える」題材となったはずである。
労働問題・労災事件に関しては、先進国のアスベスト問題は言うに及ばず、韓国の源進レーヨン事件や半導体製造労働者の業務上疾病多発事件、台湾のRCA事件が他国からの参加者に大きな影響を与えた。どのような問題であったかという解説や、闘争に勝利したという報告内容よりも、どれくらいの期間をどのように闘い抜き、何に苦労したのかという経験が、帰国後に参加者が「地域で行動する」糧となるだろう。

Asian Network for the Rights of Occupational and Enviromental Victims
http://www.anroev.org/

墓地で学ぶ韓国労働闘争史

韓国には民主化と民衆運動に身を捧げた人たちの共同墓地がある。名も無き労働者の死として数字でしかカウントしないのではなく、彼らが闘って死んだということを忘れないための、いわば英雄墓地のようにも見える。見方はともかく、この墓地は労働安全衛生とそれをめぐる闘いを学ぶためには絶好の教材であった。
まずは韓国労働運動に少しでも馴染みがある人であれば、必ず知っていると思
われる全泰壱(チョン・テイル 1948 –1970)の墓を参る。法律くらい守ってく
れ、と若干22歳でガソリンを浴びて焼身自殺を図った全泰壱の墓前にて、独裁政権時代の暗澹たる労働環境に関して説明を受ける。全泰壱の墓所には今もなお墓参者が 絶えず、全泰壱の小さな胸像の額には常に闘争の鉢巻が幾重にも巻かれている。
続いては1988年にわずか15歳で水銀中毒によって命を落とした文松勉(ムン・
ソンミョン 1973-1988)の墓を訪れる。文松勉が亡くなった1988年といえばソウル・オリンピック開催の年で、韓国も晴れて先進国入りした年でもある。先進国への到達を目指して急速な経済発展をしてきた背景には、先の全泰壱と同様、劣悪な労働条件や労働環境と、それを黙認し、あるいは支える官憲が必要であった。韓国の行政機関も、文松勉が入社する前に同工場内で水銀中毒患者が発生していたにもかかわらず、これを放置していた。
全泰壱と文松勉に共通することは、ふたりとも非常に若く、そして学校に行きたくても行けなかったことである。前途有為な若者の死は、死後も韓国の労働問題や労災問題の象徴として語り継がれていくが、韓国社会、あるいは国際社会においては過去の問題ではない。近年でもサムソン電子の半導体工場で職業関連疾患と認められる事件が発生している。この事件においても、有害物質について何も知らされなかった若い労働者が化学物質にばく露し、数多くの命が失われている。これらの一部について労災が認められたものの、未だにどのような化学物質にばく露したのか、またどのような安全衛生対策がとられていたのか明らかになっていない。むしろ産業技術保護の観点から、隠す方向に向かっているのであ
る。
最後に訪れたのは全泰壱の墓のすぐ側に祀られている 2018 年 12 月に亡くなったキム・ヨンギュンの墓である。彼も死亡時は弱冠 24 歳であり、火力発電所で石炭を運搬するベルトコンベアの点検中にコンベアに巻き込まれて死亡した。ほかに作業者が側にいればコンベアを止めることもできたし、十分な照明があれば巻き込まれることもなかったかもしれない。彼の死を象徴する言葉が「危険の外注化」であり、今回の ANROEV においても議題のひとつであった。「危険の外注化」とは、重層的な元請・下請構造において、危険に対する備えができず、現場との意思疎通がないまま 作業が行われ、現場が労働災害の温床となっている状態を指す。現場における危険の報告や危険予知行動についても、元請ま
で届いてふたたび指示が降りてくるまで時間がかかることから、重大な事故が発生してはじめて対策がとられることもある。これが海外子会社であったり、規制の緩い国での事業となると、気付かれることすらないおそれもある。

電子器機製造労働現場における女性労働者

若い労働者を必要とする現場においては、若く健康というだけでなく、無知であることが求められる。ベトナムやインドネシアの工業団地では、外国資本の電子器機メーカーが林立し、若い労働者が使い捨てにされている現状が報告された。
労働法について専門的なことを知らないというのは無論のこと、自分がどのような環境で就労しているのかということも気がつかないまま、若年時の数年間を工場労働に費やす。不規則かつ長時間の労働や使用されている化学物質にばく露することで、健康を損なっては職場から放逐されている。
工業化を進めたい途上国は、積極的に外資を導入する。その際にポイントとなるのは事業のしやすさである。海外資本にとってみれば進出地の政治的な安定は喜ばしいことであり、それぞれの地で開発独裁を招いた。また、進出企業は腐敗した権力者に賄賂を提供し、事業運営を円滑に進めることに成功する。このときに犠牲となったのは労働者の安全と健康、さらに産業廃棄物投棄から来る地域住民の健康であった。
21 世紀になって企業が「コンプライアンス」、「企業の社会的責任」という表現を使い、これらに対する評価が会社の信用に繋がるようになってきても、状況は変わっていない。毎年労働力人口が増えていく国では、国内の労働市場が拡がらない限り失業者が増えていくだけである。政府は彼らに働き場所を提供するために、海外資本が進出しやすい投資環境を用意するが、資本が機嫌良く事業を展開するためには「多少の」健康被害は眼を瞑るのだろう。そうな経済発展に伴い、現金収入を強く求める人々が増えることから、より厳しい環境になっているのではないだろうか。奇しくも会議の直前、イギリスで 39 名のベトナム人がコンテナの中で死んでいたという事件が発生した。そのうち 1 名は日本で技能実習生として就労していたのではないかと見込まれるが、よりよい生活を求めて少しでも賃金の高いところへ行こうとしたのではないだろうか。日本国内のベトナム人技能実習生の自殺に関するニュースを目にすると、自ら命を絶つくらいならベトナムにいた方が良いのではないかと思うが、ベトナム出身の参加者は別の意見であった。この参加者自身、若い女性であるが、流暢に英語を話し明らかに海外に出稼ぎに行く人たちとはバックグラウンドが異なる。しかしそれでも海外に行くことで少しでも明るい未来が開ける可能性があると思わせるほどの絶望が国内にあるのだという。2016年、サムソンベトナム工場でわずか4ヶ月就労しただけの 22 歳の女性が就業中に死亡した。彼女の死の直後、サムソンは家族にも相談もせずに遺体の解剖を病院で行う。解剖結果についてサムソンは「仕事と
は関係がない」との遺族に伝えるが、その死亡診断書の発行を解剖した病院は拒んでいる。国内に居ながらまるで生きていたことすらなかったかのような扱いを受けるのであれば、海外で死んだ方がまだましなのかもしれない。

移住労働者

ベトナム人労働者の問題に触れたところで、ANROEV のアジェンダのひとつである移住労働者についても考えてみよう。日本はこの問題について、アジアの中でも後発国であると言える。
日本で働く外国人の数は平成 30 年 10月末時点で報告されている数は 146 万人、不法滞在者は6万人程度なので、約 152万人の外国人が働いていると言える。就労者のうち、専門的・技術的分野の在留資格に基づいて働いている人数が 27 万6千人であるので、実態はともかくその数を差し引いて約 125 万人が人手不足を解消するために、日本人が働きたがらない仕事をしているのではないだろうか。
労災発生状況を見てみると、同じく平成 30 年に労働災害で休業4日以上の死傷外国人数は 2847 人、152 万人中 2847 人(0.187%)であった。日本人の死傷年千人率が 2.27 であるから、厳密ではないが外国人労働者の千人率を試みに計算してみると 1.87 となり、外国人労働者の方が被災率が高いということは、数値だけ見ると今のところない。しかし日本より早く産業実習制度を廃止し雇用登録制度を導入した、外国人労働者受け入れに関しては先輩格にあたる韓国はどのような状況だろうか。ソウル大学公衆衛生学のイ・チュヨン氏の報告によると、全労働者における災害率が0.48%に対し、移住労働者に限って算定すると 0.73%にまで上がるという。外国人労働者の業務上災害による死亡者についていうと、2017 年の死亡者数 1957 人のうち 125 人が外国人であり、韓国の労働力人口において外国人労働者が占める割合が 2.8%に過ぎないにもかかわらず、外国人労災死亡者は全死亡者の 6%を超える。業種や職種で分析されているわけではないため、外国人労働者の死亡率が高い理由は明らかではないが、イ・チュヨン氏によると、韓国人が働きたがらない危険な職場で就労をしていること、安全衛生について関心の低い中小零細企業で外国人が働いていることが背景にあると言う。
外国人労働者を受け入れている事業所は日本も韓国も変わらない。今後、「人手不足解消のため」と明言して受け入れられる外国人労働者がどのように扱われるのか、わが国の近い将来を見るような議論である。
韓国では外国人自ら設立した外国人労働組合があり、元は不法就労者が主体となっていた。今回 ANROEV で韓国における外国人労働者の実態を報告した現委員長のウダヤ・ライさんはネパール出身で、2003年に産業実習生として韓国に来た。ウダヤさんが韓国に来た当初は、小さな工場で一日 11 時間労働を週6日こなしながら、賃金は5万円にも満たなかったという。韓国人の嫌がる仕事を押し付けられて、賃金も少ない理由を社長に尋ねたが、回答代わりに口汚く罵られたうえ、暴力を振るわれたことから職場から逃げ出し、その後も不当な待遇から逃れるべく転職を繰り返してきた。今や委員長として韓国語を普通に話し、今や 1100 人の組合員を擁する組織にまで成長させたものの、外国人労働者が危険な
現場に追いやられていることを危惧している。

闘い続ける被災者たち

被災者がそれぞれの経験や事件の報告をする。私たちにとってなじみの深い、ハンヘギョンさんも、電子機器産業労働者のセッションで、サムソン電子で働いていたときの経験を語った。
日本からは田中奏実さんが、ANROEVに先立って行われた A-BAN(アジア反ア
スベストネットワーク)において中皮腫に罹患したのちの心身の変化について語り、その前向きな姿勢に講演終了にあわせて会場から次々と手が上がり、応援のメッセージが寄せられた。それも若い女性参加者からばかりで、それぞれがいかに田中さんの話に感動し、自分たちの活動のエネルギーになったかということを夢中になって述べた。休憩時間中ですら田中さんと話をしたいという人が列をなしたほどである。
チョン・テイルの母は、労働者に「生きて闘え」と訴えていた。おびただしい死の数にむなしさを感じたり、圧倒されたりすることもあるかもしれないが、このように。闘う人には後押ししてくれる人が必ずいる。(酒井恭輔)

(201911_505)

ノーモア・ヴィクティム!
坂本しのぶさんアピール
チョンテイル氏の墓を囲んで
闘う女子たち
若い中皮腫患者たち
(左から香港のロ・レイヤンさん、韓国のイ・ソンジンさん、北海道の田中奏実さん)