コミュニティユニオン全国交流集会参加レポート

1.ミカンの国へ
年の瀬も近づく2025年11月29日、30日の2日間、コミュニティユニオンの第37回全国交流集会が開催された。
会場は愛媛の松山市総合コミュニティセンター。私は2日目から参加のつもりだったので、29日の昼過ぎに自宅を出発し、JR新大阪駅からJR松山駅に向かった。5時間弱電車に揺られ、着いた頃には夕方6時前になっていた。改札を出てすぐの建物で、ポンジュースを始めとした大量のミカン製品が売られており、実に愛媛であると感じた。でも私が夕飯に食べたのは、そのへんの食堂の、鶏の唐揚げ定食である。糖尿病でさえなければ…。
次章から、全国交流集会の内容を紹介する。
2.初日の概要
1日目については、私は参加していないので、パンフレットの内容をまとめる。
1日目は、大ホールでの全体集会だった。
開会のあいさつや来賓あいさつの後、日本原水爆被害者団体協議会の四国ブロック代表理事である松浦秀人さんからビデオメッセージがあり、その後、全国コミュニティユニオンネットワークの総会が行われた。私は参加していないので詳細はわからないが、2日目の和気あいあいとした雰囲気からすると、滞りなく議案が採択されたのだろう。
次に、4団体から特別報告があった。タイトルと団体名を並べると、①「JAL不当解雇撤回闘争」えひめユニオン、②「大谷専修学院闘争」きょうとユニオン、③「大学非常勤講師闘争 講師給切り下げ撤回の交渉で満額回答」札幌地域労組、④「外国人労働者闘争 M製作所前門前行動」スクラムユニオンひろしまである。内容が気になる方は、各団体にお問い合わせください。
休憩を挟み、愛媛合唱団うたごえの平和を祈念した合唱があり、続けて記念講演があった。講演者は、伊方原発をとめる弁護団の事務局長である中川創太さん。タイトルは「伊方原発運転差止訴訟12年半の闘い」である。2011年3月11日に起こった、東日本大震災での福島第一原発の事故を受けて、同年11月3日に「伊方原発をとめる会」が発足された。この会の、その後の運転差し止めを求める訴訟の経過と結果の報告である。
そこで全体集会が閉会。みんな別会場に移動し、晩ご飯を食べつつのレセプションとなった。大変おいしい料理が出たそうである。何が出たのかはお腹が空きそうだったので聞かなかった。
そして、レセプションの閉会で、1日目終わりである。と言いつつ、今までの経験上、おそらく、まだ終わらずに夜の街に消えた人がかなりいたことだろう。元気!
3.2日目午前 分科会「長時間労働を防ぐには」に参加
2日目の午前は、10の分科会に分かれて、それぞれ違うテーマでの勉強+交流会となった。テーマを列挙すると、①労働委員会、②外国人労働問題、③会計年度任用職員、④どのように団結を図るか、⑤最低賃金、⑥ハラスメント相談、⑦長時間労働、⑧女性労働問題、⑨同一労働同一賃金、⑩福祉労働問題である。

私は、長時間労働を扱った第7分科会に参加した。第7分科会は、2部構成となっており、前半は、東京労働安全衛生センターの天野理さんから、「労災事案での労働時間認定の現状」というタイトルで、労災請求時の労働時間をカウントする理由や、そのための証拠集めについて、実例を交えつつ話があった。後半は、関西労働者安全センターの種盛真也さん、つまり私が、「長時間労働の実態」と題して、以前10年間ほど勤めていた、ある機械メーカーでの長時間労働の実体験と、そこから感じるなぜ長時間労働をするのか、長時間労働を防ぐにはどうすればよかったのかを話させていただいた。
まず、前半の話で印象に残った話を紹介する。「明示の指示」「黙示の指示」の話だ。
「労災認定における労働時間」について、『労働時間の認定に係る質疑応答、参考事例集』では、「労働基準法第32条で定める時間」、すなわち、使用者の指揮命令下にある時間のことを指すとされているそうだ。そして、その「指揮命令下にある」というのは、要は仕事を指示されている時間ということだが、仕事の指示には、具体的に〇〇時間作業してくれと言われるような「明示の指示」と、そのようなことは言われないが、実態として作業を残業してでもやらないと仕方ないような状態になっている「黙示の指示」がある。このどちらの指示下であっても、労働時間に当たるとされているのだが、しかし、長時間労働を原因とする労災においては、「明示の指示」だけ指示として認定されて、「黙示の指示」が認められないケースがままあるという。
天野さんの経験上、近年、長時間労働を原因とする労災は、労働時間の認定を、労災課ではなく監督課が行っている。天野さん曰く、労災課と違い、監督課は、被災者の救済というよりは、企業の悪事の立件を視野において調査するため、本当に確定的な証拠しか採用しないとのことである。
この話の実例として、教育研修事業を行う企業に勤めていたAさんのことが紹介された。テレワークで企画の立案、運営、調整などを行っており、土日や早朝深夜でも、上司から頻繁に業務指示があったという人である。そこで、労災の請求時、Aさんは成果物である計画書などのデータやその作成履歴、メールやチャットの記録などを根拠に、月200時間の時間外労働があったと主張した。一方事業主側は、出勤簿の記録でしか業務時間を把握していなかった。するとどうなったか。
- 平日は、残業の履歴が残ってないので所定労働時間(9:00~18:00)のみ認定。
- 休日出勤は、事業主から明確な指示がなく、記録が残っていないためほぼ不認定。
- メールやチャットは点の記録として無視。
結果として、認定された残業時間は月15~45時間で、労災は不支給となってしまったとのことだ。
その後、審査請求では、天野さんらの意見書等により、
- 15分程度のファイル更新履歴について、その間は作業の連続性が認められた。
- 休日労働も一部見直しがあり、2週間の連続勤務が認定された。
- 結果的に月75時間の時間外労働が認定された。
ということと、クレーム対応の心理的負荷を加味して、見事に決定取り消しとなった。しかし、審査請求時でも、メールの記録は労働時間として認定されなかったそうだ。
この話で驚いたのが、メールやチャットでの記録が、労働時間として認められなかったということだ。それも、「〇〇をやっといて」みたいな指示まであったのに、いつまでにということが書かれていなかったために、休日労働の指示と認められず、Aさんが勝手にやっていたことになっているというのである。指示があって、何か成果物が出来ているのなら、その間は仕事していると推認するのが当たり前だと思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。今後、作業の連続性を証明するような意見の立て方をすることを意識するのと同時に、そもそもこういう体制がおかしいということを訴えていかないといけない。韓国からゲストとして来ていた訪日団の方が、「韓国ではメールやチャットはむしろ変更しようのない指示の証拠として、労働時間の推認が行われる。今回の話を聞いて驚いた」と言っていたが、日本人の私が今回の話で驚いているので、それはそうだろう。
後半の私の発表内容については、詳細は別掲記事「長時間労働体験記 がんばりすぎないようにしましょう」でまとめているのでそちらを見てもらうとして、簡単に結論をまとめると、
- 長時間労働が当たり前な雰囲気がある。(上司先輩がものともせずやってきた。)
- 仕事を間に合わせる方法がまずは長時間労働。
- 会社側、労働者側、双方が労働時間をごまかす。
といった点が、長時間労働を作っているように思うというものである。対策としては逆に、
- 時間外労働時間が月40時間を常態的に超える環境はおかしいことを周知して、まずは月40時間以下を目指して労使で方法を考える。(目標時間があれば考えやすい。)
- 会社側は記録に残る労働時間管理システム構築、労働者側はそれにちゃんと協力する。協力しない人は怒る。
という形だった。
私の話を受けて、残業が多くなるとそれを労働者側が隠しちゃうのはわかると共感してくれた方がいたり、食品工場で働いているが、労働条件が悪くて若い子が残らない、どうしようという話が出たりした。労働条件の話に関しては、労働安全衛生法にいろいろ条項があるので、それを見つつ、要求できることはやっていこうという話になった。
また、納期を守るために残業するという話に対して、納期なんて守らないでいいという考えが大事という意見があった。かなり極端な意見だが、割とこのアドバイスが刺さる人が大勢いるんじゃないかと思った。
メーカーに勤めていた時に、その親会社の会長が、新年のあいさつで、こんなことを言っていた。
「30年前は、試作品を頼まれたら、その製品が納められるまで、半年かかっていた。今はどうか。2週間で納入を求められる」
この話はこの後、「だから近年は納期へのシビアさがさらに大事になっている」という話になり、当時は私もそういうもんかと思っていた。だけど、今になって思うのは、だからこそ、納期短縮なんて求めてもキリがないという結論の方が自然ではないかということだ。昔のSF本では、今の時代はロボットが仕事をしてくれて、人間は週3日労働になっているはずだったのだが、現実は、新技術が開発されるたびに、仕事の密度が上がっていくばかりだ。のんびりやればいいじゃない。その気持ちを世界中の人が持てないものか。
4.2日目後半 被ばく労働問題交流会
各分科会は午前11時に終了した。その後、大ホールに参加者が集合し、全国交流集会の閉会式が行われた。次回は愛知県で行われる。
全国交流集会自体はこれで終わったが、午後も自由参加のオプション企画があり、①女性交流会、②全国ネット訪韓団報告会、③脱原発・被ばく労働問題交流会という3つの部屋に分かれての交流会があった。私は3番目の被ばく労働問題交流会に参加させていただいた。
被ばく労働問題交流会は、メインスピーカーとしてあらかぶさん(仮名、通称)が招待されていた。彼は、東日本大震災後の福島第一原発の工事や、玄海原発の工事で被ばくして白血病になり、労災認定された後、東電、九電相手に損害賠償をもとめて裁判をしているという方である。彼から、当時の工事の様子や、その工事に向かったいきさつ、裁判の経過などの話を聞いた。そして、その支援をしている「被ばく労働を考えるネットワーク」のなすびさん(仮名、通称)、「原発関連労働者ユニオン」書記長の池田実さんと副委員長の川本浩之さんなどから補足的な話を聞いて、感想や疑問を言い合うという形で交流会は進んだ。それらの話をおおまかにまとめてみる。
あらかぶさんは、いわゆる鍛冶工職人である。鍛冶工とは、鋼や鉄材の運搬、加工、塗装、設置場所の取り付けなどを行う人で、実際の作業としては、重機の運転や、部材の切断、ボルト打ち、溶接などを行う。
2011年3月、東日本大震災があった後、福岡県の北九州市で暮らしていたあらかぶさんは、被災地のために何かできないかなと思っていた。そんな気持ちでいたところ、同年10月、なじみの建設会社から、福島原発の復旧工事の仕事があるから鍛冶工を集められないかと言われ、それならと仲間を集めて仕事を受けたそうだ。ご家族は当然心配だったそうで、特に奥さんの父親が強く反対していたそうだが、それを振り切って現地へ赴いた。
2011年10月~2012年1月にかけて、3ヶ月ほど福島第二原発で工事をした。その時は事故を起こした第一原発からは離れていたので、被ばくはなかった。
2012年1月~2012年3月は、福島の仕事がひと段落して、でも原発工事用にせっかく鍛冶工を集めたのだからということで、佐賀の玄海原発での定期検査の仕事を受けた。そこは、三菱重工が元請けの仕事で、線量として、4.10mSvの放射線を浴びたとされる。
ここで少し期間が空き、2012年10月になって、また福島に戻って、しかも今度は事故を起こした第一原発での仕事だったそうだ。まず4号機の原子炉建屋の工事で、元請けは竹中工務店、鹿島建設、清水建設、西松建設、竹中土木JVと作業現場によって入り乱れていた。そして、廃棄物の焼却施設建屋の設置工事、3号機原子炉建屋の工事と続き(両方元請けは鹿島建設)、約1年後の2013年11月に色々あって仕事を引き上げることになるまでに、総被ばく量は15.68mSvとなった。そして、その引き上げる少し前から熱や咳が出ており、年明け2014年の1月に病院で白血病と診断された。
前段で、元請けの話をしつこく書いたのは、元請けの違いによって、ずいぶん管理体制に差があったからだ。2012年の福島第一原発4号機の水密工事は、色んな元請けが入り混じっているが、最初に入った現場が竹中工務店のところで、後から考えるとそれがまあひどかったらしい。
まず、放射線からの防護のために着る鉛ベストの話である。始めに、それが作業員の人数分用意されてないのである。じゃあ着れない人はどうするのかというと、「着なくてもいいからこっそり入って作業して」と言われ、作業していたというのである。さらに、鉛ベスト自体も、その前にガレキの撤去作業で使われていたままメンテされずにボロボロで、前のチャックが閉まらなくなっていて、ガムテープでぐるぐる巻きにしてとめたりした。また、作業後の除染作業もなく、脱いだ後は控室のフックに引っ掛けるだけだったという。加えて、番号管理もされておらず、どのベストを誰が使ったか、何の作業で使ったかわからない状態だった。
さらに、現場の管理も、突発の作業を手続きなしにさせられたり(場所や内容によって被ばく線量が変わるため、本来はありえない)、後に、裁判のために元請け企業に作業現場の記録の提出を求めても、竹中工務店だけ資料が残っていないのだそうだ。
鹿島建設の現場に入った時は、鉛ベストを着る時に、何番のベストを借りることを受付で書類に明記し、返却時には自分でフックに引っ掛けるのではなく、除染作業後、受付の人が保管場所にしまっていた。突発の作業なんかもないし、作業に行くときはいちいち書類を書く。当時はなんでこんないろいろしないといけないんだと思ったそうだが、今から考えるとそれが通常のことだったとあらかぶさんは仰っていた。
労災は、①白血病である、②1年間で5mSv以上の被ばくがあった、③発症時期が初の被ばくから1年以上間を空けているという条件を満たすので、すぐに認められるだろうと思っていたら、認定まで1年半以上かかった。ちなみに、労災請求に当たっては、現場で仲良くなった鹿島の若い監督が動いてくれて、最終的に鹿島建設が書類を整えてくれたそうだ。元請けが労災に協力することはめったにないのだが、あらかぶさんの人柄がうかがいしれる話である。
労災認定後、東電の記者会見があったが、あらかぶさんへの謝罪はなかった。また、それだけではなく、労災認定を受けた厚労省のプレス発表では、線量とガンの発生率のグラフを出して、「科学的に被ばくと健康影響の因果関係が証明されたものではない」とわざわざ書かれた。そのため、一部の新聞やSNS等で、被ばくとガンの関係はデマということがささやかれ始めてしまった。そのために、あらかぶさんは、被ばく労働に関わったことがある人、今も関わっている人の正しい補償や労働条件改善のために、裁判で闘うことにしたそうだ。
裁判は、開始して10年が経とうとしているが、未だに本人の陳述や尋問が続いており、証人尋問までも行っていない。あらかぶさんの思い通り、被ばく労働者の方々が救われるような結果になるよう、私達も協力していかねばならない。
ちょっと余談気味の話だが、こういった話を聞くたびに不思議なのが、なんで労災が認められたのに、ガンと被ばく作業が関係ないということになるのだろうということだ。労災の基準である5mSv/年の根拠が見当たらないことや、ばく露量100mSv以下では、発生率に対してエラーバーが大きすぎて、発生率が有意に高いと統計的に言えない、という論文がICRP(国際放射線防護委員会)から出ているというのはそうなのだが、そういう話の前に、労災の基準として5mSv/年が定められていることと、それに則って労災認定されたことは事実なのだから、これは業務上の災害だったということになるのではないか。業務上の災害だったのなら、白血病とばく露作業の間には因果関係が認められているということではないかという風に思うのである。まあ、逆の話で、労災として認められなかったものを会社の責任として裁判する場合もあるので、労災認定と原因や責任の話は別になっていた方が都合がよいこともあるのだが、ちょっと釈然としない気持ちは残る。
5.終わりに
今回2日目からの参加だったが、参加者の活気に驚いた。確かに年齢層はかなり高かったし、韓国から招待していた労働者の方は若かったが、この活気が各現場で発揮されているのなら、巷で言われているほど日本の労働運動は衰退してないんじゃないかと思った。
私も見習って、元気よく労働安全衛生活動を行っていく。(事務局 種盛真也)
関西労災職業病2025年11・12月571号


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